おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

おおたまラジオ第10回 突発的超雑談/谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』喪157感想

政夫:一応第10回と銘打ちましたけど、今回は本来ならば古市さんの『希望難民ご一行様』をもとに読み解いていこうかなという流れだったんですけど、今日はちょっと違うということですよね。

 

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

 

 

ろこ:それ、説明しちゃうの(笑)そうですね。

 

政夫:まだ読み終わっていないんですよね。

 

ろこ:なかなかページが進まないよね。

 

政夫:僕は読み込んで、レジュメ10枚超えましたね(笑)

 

ろこ:マジで欠席…

 

政夫:誤解しないで欲しいのは『希望難民』だけでレジュメ10枚はいっていないです。他の本も読んでいます。

 

ろこ:聞いていない。

 

政夫:言っていないし(笑)

『希望難民』を読んでて、連想していくんですよ。出口治明さんかなんか言っていたんですけど、「読書は筋トレ」みたいな話があって。読書というのは一冊の本では成立していないんですよ。しているようで、していないんですよ。何かしらの思想や主義が体系付けられているんですよね。特に『希望難民』は社会学の本なので、色んな人の名前や著作名がパッチワーク的に出てくるじゃないですか。引用されているというか。参照元が多いんですよね。巻末に参考文献の一覧があるんですけど。

本ってのは、学術的なもの以外でも、小説でも、何かしらの影響を受け、文化史的な流れがあり、文脈があり、一冊の本で完結しているのだけど、とある本を読み解くには量が必要だと。その量が繋がれば、自分の中で体系的に、データベース的にヒモ付けされた場合、繋がるんですよ。ネットワークとして。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

ろこ:それは、政夫君にある程度の土台があるからではないんですか。

 

政夫:それは読んでいないとダメです。『希望難民』を読んでいると、僕は「この本もいけるな」って風にどんどん連想が続くという感じで。今は削る段階ですけど。

 

ろこ:なんか、進んでいるよね。俺が知らないうちに(笑)課題というか義務…。  

                

政夫:僕もろこさんも筋トレの最中ですよ。僕が多めにプロテインを飲んでいるという話で(笑)

そのアウトプットを、来月に時間を取って、これもまた高カロリーというか、ある種のピースボート、希望難民から自分探しが止まらない若者像への救済措置としての話なんですよね。詳しくは話しませんよ。来月やるんで。しかも、ろこさん読んでいないし(笑)

 

ろこ:古市さんの話はするの?

 

政夫:経歴的な話は…ちょっと触れるかな。あの本がデビューなんで。あとがきに書いてあるように修士論文を書籍化したものなんですよ。もちろん、かなり手を加えられているわけなんですけど。文体がユニークじゃないですか。

ただ、ちょっとした薀蓄として「古市憲寿とは」をチラっとしますけど、ただ最近の『平成くん、さようなら』は芥川賞候補になっていましたけど、あの辺の本は読んでいないし。

古市・落合の対談がめっちゃ炎上しましたよね。確か、尊厳死安楽死も)の話だったと思うんですよね。テーマとして倫理的な態度が求められる話題で、アナーキーに映ってしまったというか。ちゃんと対談も読んでいなければ、炎上もどれだけ正確的なものだったのか分からないし、況してや落合陽一が取った態度として、自分でnoteに書いて公開するという。記事で足りなかった部分を、ファクトを重ねていくというかね。雑誌というか本は、一回書き上げて世に出たらオシマイなんですよ。本来。

ただ、日々情報というのは更新していくものですよね。

 

note.mu

ろこ:うん。

 

政夫:小説にしても、朝井リョウがインタビューで言っていたのは書き上げるのに半年くらい掛かる場合、書く段階で抱いていた構想というのは半年前のものなんですよ。半年前のセンスなんですよ。それが、半年後にも、世の中に響くかどうかは相当不安であると言っていて、ある種の時代性を汲み取りながらも、古びない感性というのを書に認めないといけない。

 

ろこ:本ってそこよね。

 

政夫:パッケージ化されている。世に出た時点で、もう終わってしまう。本という媒体が孤独的であるのは、インターネットのようにインタラクションがあるわけではないでじゃないですか。

futbolman.hatenablog.com

ろこ:関係性としてね。

 

政夫:その時点で解決しまっているから。そうなると、紙の媒体という話になりますが、書物というのは自己完結しているから、読者というのは向き合いやすい。ピリオドが打たれているから。商品として、情報として。

だからこそ、孤独に地道に、作者やキャラクターや思想や主張なりに向き合うことが出来る。それが、常に無限に、膨大的に更新が続くとなると話は別じゃないですか。お互いに対話が成り立つ場合は、際限がないというか。常に情報としてアップデートが出来るというメリットの反面、どこでピリオドを打てばいいのか、ラインを引くタイミングの問題を抱えているわけですよね。

 

ろこ:キングコングの西野さんが無料で絵本を公開したよね。その辺の諸問題をスマートにやっている気がするけど。良いもんはお金を払いますよと。

 

えんとつ町のプペル

えんとつ町のプペル

 

 

政夫:届かなければダメだということですよね。無料で配って、読んでオシマイの人もいるけど、これ良いなと買う人もいるんですよ、一定数。そこにリーチさせるための。

 

ろこ:そこは分かってやっていると思うんだよね。

 

政夫:マーケティングとしてね。

 

ろこ:音楽もそんな感じするやん。

 

政夫:そりゃあ、情報というのが、情報の価値としてお金を落とすに足りることなのかは疑問になっていて、特に無形のものですよね。インターネット上で消費できる娯楽、音楽にしてもウェブマンガにしても。手に残らないものの、実在性ですよね。

一時期、マンガ村のブロッキング騒動が話題になって。あの時に突き付けられたのは、出版社の態度だと思うんですよね。このまま出版社が古めかしいままだと、ネット的なものに食い破られてしまう危惧が現実化した瞬間ですよね。ただ、読者の態度も問題になる話なんですけど、インターネット上に転がっている情報は恰もフリーに思えるから。大半は。

 

ろこ:その皺寄せが音楽的にも来ている気がする。

 

政夫:音楽の場合はフェスですよね。インタラクションのあるイベントを押し出すべきだし、マンガはマンガで、ウェブマンガはウェブで読めるからそれでいいやだけじゃなくて、紙の本も買う人もいるし、電子書籍もマンガ村ブロッキング以降、実は売り上げが良くなっているという数字も出ているんですよ。

 

ろこ:本腰を入れたということ?

 

政夫:読者的な…

 

ろこ:そこのリテラシーは上がっていないと思うで。俺が、高校生だったらマンガ村ラッキーって思うよ(笑)

 

政夫:文化というものを保存していくか。お金は切っても切れない関係なので。おおたまラジオ的にも、語らないといけない。語り続けないといけない。

 

ろこ:そうだな。答えは欲しいな。何か(笑)

 

政夫:僕が嫌だなと思うのは、一応今まで色んな作品に触れているわけじゃないですか。ありがちな落としどころとして、「これオススメですよ」で終わるわけなんですけど、キュレーション的なメディアとして働きたくないという気持ちが。

 

ろこ:働きたくない(笑)

 

政夫:これオススメですよと思っているんだけど、確かにあるんだけど、それ以上の気持ちが別の方向で働いているというか。これは語らないとダメでしょという部分があるんですよ。

 

ろこ:俺はどうだろうな…

 

政夫:「良いものだから語りたい」と「これ良いものだから読んでねや観てね」は一緒のようで一緒じゃない。

 

ろこ:え、難しい。

 

政夫:そういう意味で、語りの技術として。

 

ろこ:海外のドラマでメガネを付けたら、その人の信頼度が数値化される社会を描いたドラマがあって。

 

政夫:まさに評価経済的ですね。フォロワー何人とか。

 

ろこ:めっちゃ管理されている社会だから、恐いなと思ったんだよね。無料で色んなものが楽しめている日本社会は、それはそれで幸せな国なのかなとちょっと思うんだけど、でも、古市さんは主張は逆なのかな?って。

 

政夫:若者的な話ですか。

 

ろこ:そうかな。勝手にね。

 

政夫:古市の主張としては、「俺たち金ないけど、休日に仲間とスマブラして楽しければいいよね」みたいな感じですよ。

 

ろこ:そんな感じなの?

 

政夫:あの本の最大の主張は、若者をあきらめさせることなんで。これ、来月やるじゃん(笑)今、やらなくていいじゃん。

 

ろこ:こっちは勝手に想像しているだけだから(笑)

『希望難民』と『平成くん、さよなら』は読みたいよね。ラジオをやってから読みたい。

 

政夫:それはダメじゃないですか。僕らの中でもインタラクティブじゃない。僕がレジュメ10枚ぶつけてオシマイになっちゃうじゃないですか。それだと(笑)

 

ろこ:読んで、立ち向かうみたいな話になっちゃっているけど、政夫君のレジュメ10枚って、俺はそこまで出来ないから。政夫君の思考法とか勉強になるやん。

 

政夫:いやいやいや、一貫しているというか凄い単純なんですよ。

この前、第9.5回であだち充の作品について少し喋っているんですけど。メタフィクショナルの暴力性について話しまして。メタレベルによって、虚構を楽しんでいる僕たちが現実に揺り戻されてしまう暴力性というか(あだち充の懐古趣味と並べて語りました)。

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おおたまラジオも10回もやっていて、自分の考えってあんまり変わっていないんだなって分かる。ずっと同じことを喋っている。実は。

表現というのは一つの暴力なんですよね。ある種、何かしらを規定してしまうんですよ。作品世界に、環境に、キャラクターに依存してしまうように何かしらを区切るんですよね。規定したりすることが一つの自由でもあるんだけど、暴力的でもあると。メタレベルに突き詰めて行けば(目線が昇華しつつ)拡散していくんですよ。虚構と現実みたいな話から、目の前で展開されているストーリーや文章が、以前にフットサルのポエム化の話をしましたけど、目の前に起きている現象に対して言語化することは何かしらが零れ落ちているのではないかという話をしたわけですよ。

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言語化しきれない部分、抽出できない何か、用語として纏められているけど、そこからはみ出ているもの、零れ落ちているものがあるから、身体的な連続性に対して、言葉が追い付いていない感覚。僕らは言葉でしか量れないから言葉に集約するんだけど、それはつまり身体としての連続性をある種の省略が行われるわけですよね。

だから「パラレラ」としても、その準備動作や状況もあるし、ある部分だけを抽出すれば「パラレラ」になる。規定するためのメソッドでもあるんだけど、それが僕のずっとの関心事なんですよね。

 

ろこ:規定したいんだけど、イシュードリブン的な話かもしれんけど、俺が喋ることは全体的にフワっとしているじゃないですか。だから恐いんですよ。

今回、前提として古市さんの本があるじゃないですか。前提が間違っていたら、そもそも話にならない。認知の部分だよね。

 

政夫:そうなんです。僕はずっと認知世界の話をしているんです。おおたまラジオで。認知できる部分とできない部分の話を『我らコンタクティ』にしても、バンクシーの話にしても、作品論にみせかけているわけでもないけど、作品、虚構を通して見る作品の認知世界と現実の僕たちの認知世界のラインというか、どんどん高度化していく感覚に対して、どのように言語で処理すればいいのだろうかと。

だから20世紀的なんですよね。言語的な解決というのが、強い時代だったのが20世紀だったわけで。言語学が顕著ですけど(ソシュール以降の思想)。そこから、21世紀になって、やっぱり人間ってのは自分の目や耳や皮膚で知覚しないとダメなのでは(実在性)というモノですよね。あるいはコト。

その重要性が強くて、モノが溢れすぎている現代で、コト消費が大事になってきているのが2010年代の頭からずっと言われていて。フェス文化や本を売ってオシマイだけじゃなくて、サイン会やイベントのチケットにする役割を充てる。読書会や講演会ですよね。一つ、手元にあるモノを消費して、その先にあるコトに向かう手段になっているのが今風なんですけど。やっぱり、モノの大事さってのが分かる一方で。

 

ろこ:その辺の感覚というのは、抽象的でありながらも本質的なものではないかと勝手にイメージしているんだけど、政夫君の話を聞くうちに普遍的なものに結びついているし、実は大きなものなのではというのは凄くあるから。

 

政夫:多分、ろこさんがリーチしようとしている話はめちゃめちゃ大きな話で、それはやっぱり人間、考え事をしていてある程度行くと大体他の人も考えているとなるんですよ。昔の哲学や思想などで、自分の問題設定が図られているみたいな。それを現代の状況に照らし合わせて再帰的させるという話になるんですけど。

だから、自分の抽象的な概念へのリーチの困難さは、なぜ抽象的なのかを考えるべきで、何が分からないんだ何が足りないんだって話になるわけですよ。そこで、筋トレの話ですよね。

 

ろこ:俺はね…

 

政夫:やっぱり『日本代表とMr.Children』を一度やるべきなんですよ。

 

日本代表とMr.Children

日本代表とMr.Children

 

 

ろこ:それは批評の話になるからさ…

 

政夫:僕が今喋っている話は全部批評の話ですよ。ずっと。どうやって語りを得るのかとして、そういう技術として批評なるものが必要だという話をしているんですよ。

 

ろこ:え、令和の時代に、これ。

 

政夫:語り続けるんだったら、語り続ける技術が必要なんですよってことです。

 

ろこ:それはそうやな。政夫君は筋トレじゃないですか。ちょっとポジティブに聞こえるんだけど。

 

政夫:(笑)

 

ろこ:俺はポジティブに捉えられないというか地獄みたいな感覚(笑)自分が空っぽだから、自分で取りにいかないといけないから。

 

政夫:それが、とてもポッドキャスト的ですよね。僕は、ハトトカ最終回を聴いて愕然としましたよ。あの中村慎太郎さんが、ポッドキャストは数字が出ないと。

 

hatotoca.com

ろこ:そんなことを言っていたんですか。

 

政夫:それと反応がないと。前に、ろこさんとポッドキャストの話をした時に、ろこさん自身の態度が受動的だったわけですよね。それに対して、僕が「クール気取っているんですか」と煽ったわけですよ(笑)

futbolman.hatenablog.com

ろこ:(笑)

 

政夫:今の時代で、クールなんですか?と。でも、ハトトカでもそういう状況(数字として)ということなんですよね。それは幸せになれないですよね。バズれば僕たちは幸せになれるのかというと、それも幸せになれないと思うんですけど。例えば、100万DLされましたとか。嬉しいですか?って(笑)

 

ろこ:そうだよね。今のYoutuberはそこを表明するじゃん。俺は自覚的でありたいから。

 

政夫:数の話は付いて回るわけなんですけど、やっている間はずっと。

 

ろこ:そこの競争の中に、突き抜けると楽なんだよね、多分。落合陽一もそうだと思うけど…この話、何回かやったな。

 

政夫:僕は、ハトトカはそこを突き抜けていると思っていたんですよ。

 

ろこ:俺も思っていた。

 

政夫:ただ突き抜けていないんですよ。

 

ろこ:コラボとかしてビジネスに乗っけている気がしたけど。

 

政夫:それでも反応が無くてという話をしていて。ポッドキャストは前向きなメディアではないと。中村さん自身はYoutubeで配信している状況なんですけど。

 

ろこ:Youtuberになっちゃったわけね。

 

政夫:我々と一緒で。

 

ろこ:俺は違うけどな(笑)俺はポッドキャスターよ。

 

政夫:何か変えたいですよね。態度的なものを。

 

ろこ:そこ、何かあるの?

 

政夫:中村さんが言っていたのは、ポッドキャストなんて人生で1、2回くらいしか自分からリーチしにいかないでしょみたいな話をされていて。どうですか、これは。

 

ろこ:俺は…違うかな。俺は寿命的な話として、続けていくこと、寿命を延ばすことで得るものがあると。ちょっと逆行しているかもしれないけど、好きなことを…

 

政夫:「好きなことで生きていく」ということですか。

 

ろこ:違う(笑)現実は違うのだけど、やっていて価値が生まれるものって何かあると思うんですよね。別に面白くなくても。なんか、ポッドキャスト論みたいになりそうだけど。

 

政夫:ポッドキャストというメディアの性質上、そういうのが見込めないよ、がハトトカの結論だったと思うんですけど。

 

ろこ:それは、ハトトカが突き抜けていて環境的になんでポッドキャストをやっているの?って突き付けられたと思うんですよね。ハトトカは明確なアンサーが無かった。俺はそれでいいと思うんだけどな。ポッドキャストは。

 

政夫:そういう撤退戦をすればいいという話ですか。

 

ろこ:生存戦略的な。

 

政夫:諦めたいけど諦めたくないという消耗戦をするってことですか。その果てに、地平が拓けるという期待ですか。希望難民ですよ。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:戦略性のない希望難民ですよ。

 

ろこ:繋がっている。

 

政夫:この話は来月にやるので。

 

ろこ:俺はレジュメ10枚に向き合いたくない。別にやる理由も明確化しなくてもいいのではって。

 

政夫:あー。内在性も何回かしていますけど、「好きだから」だけじゃキツイ感じもあると思いますけどね。

 

ろこ:だから、政夫君が言っていた話せる技術は選択肢としてあった方がいい。

 

政夫:最近読んだマンガの話をしてもいいですか。

 

ろこ:今日は何でもいいよ。

 

政夫:ガンガンオンラインで連載している『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』という、とても濃いタイトルのマンガの話なんですけど。

 

 

www.ganganonline.com

ろこ:凄い。

 

政夫:知っていますか?

 

ろこ:知らない。

 

政夫:これ、アニメにもなっていて、とある一部の界隈でとても熱狂的な支持を受けているマンガなんですよ。通称『わたモテ』というマンガで、タイトル通りなんですが、主人公のもこっち(黒木智子)というキャラクターがいまして。喪女なんですよ。モテない女性を指すネットスラングですね。由来は2ちゃんねる的な話なんですけど、掻い摘んで話すと、もこっちというのは高校デビューに失敗してずっとボッチだったわけですよね。

ただ、2年生の修学旅行辺りからもこっちと絡む人間が増えていき、それまではずっとボッチだったんですよ。ボッチ特有の自意識の空回りがコミカルに描かれているのが『わたモテ』の特徴だったんですけど、修学旅行編を経てもこっちは3年生になっているんですが、ハーレム状態なんですよね。

 

ろこ:なにがあったんだ。

 

政夫:周りは女の子だけなんですよ。同性の友達がたくさんいる状態なんです。

 

ろこ:女の子にモテる女子になったということか。

 

政夫:それもスポーツが得意でボーイッシュで同性人気がある感じとかそうでもなくて、なんか、アイツちょっと気になるよな状態なんですよね。

クラスで関わらないけど、気になるアイツみたいのっているじゃないですか。

 

ろこ:基本的に明るい子がモテるのってあるじゃん。

 

政夫:もこっちは明るくないです。

 

ろこ:その子がモテているという話なんでしょ。

 

政夫:同性にモテると。面白いのは、もこっち自身は基本的には何も変わっていないんですよ。

 

ろこ:関係性が変わったということか。

 

政夫:もこっち自身は相当クズなんですけど、関係性が変わったんですよ。なぜ変わったかというと、クラスというのは基本的には動かない(1年間固定)。ただ、修学旅行というイベントの中で、よりミクロ的にグループが決まった時に、嫌でも誰かと関わらないといけない状態になってしまう。無理矢理な関係性が生じて、ゆるやかな繋がりが発生して、そこから連鎖的にみたいな。それが3年生になって、もこっちの周りに女の子がたくさんいるんですよ。

 

ろこ:なんやねん(笑)

 

政夫:これが大事な点があって、ボッチを描いているマンガだったのに、今はハーレム状態であると。つまり、他者性というのがどうしても必要になるんですよ。

『わたモテ』自体はボッチを否定的にも肯定的にも描いているというマンガではないんですが、ボッチの痛い自意識をあからさまに描いているマンガで。ある意味、反面教師的に取れるんだけど、それがブラックジョーク的に面白く、もこっちは基本的に変わっていないんだけど、環境があれば人間関係も変わっていくという当たり前のルールに、あの、もこっちでさえも取り込まれてしまうという話なんですよ。

当たり前なんだけど、人間って他者性が必要なんですよ。もこっちは友だちイラネーとか思っているわけではないんですけど、別に。結局、ボッチというのは友だち的なもので解消されてしまう。これで、もこっちの立ち位置が分かって貰えたと思うんですけど。

futbolman.hatenablog.com

ろこ:分かった。

 

政夫:最新話ですね。これが衝撃的だったんですけど、前回のラストで不良の吉田さんとバイクのニケツをして通報を食らって謹慎処分を受けるというオチだったんですよ。あの、もこっちがバイクに乗って誰かと帰る。凄い青春してんじゃん(笑)みたいな。1年生の時のもこっちでは到底考えられない状況なんですよ。

 

ろこ:うん。

 

政夫:それで謹慎処分を受けて、最新話は初めてもこっちが本編に出てこない話だったんですよ。つまり『わたモテ』という作品世界で、もこっちという中心がいないまま描かれた世界の話になっているわけですね。

 

ろこ:うん。

 

政夫:これ、完全に『桐島、部活やめるってよ』の話ですよ。

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 

 

中心の不在ですよ。

正確にいえば桐島はスクールカースト最上位の子ですよね。いきなりそいつが部活をやめたらしいぜという話になり、その周辺のカーストの崩壊と変動するのが『桐島』の群像劇ですよ。

ただ『わたモテ』の中心の不在というのは、もこっちというスクールカースト最底辺の子がいつのまにか中心になっている。クラスの中で外部的だったもこっちが、中心にシフトしていっているんですよ。それが謹慎を受けて不在になった瞬間に、もこっちを中心に描かれていた人間関係を同時並行的に群像劇として描いているのが最新話なんですよね。この、もこっちが居ないのに、不在の中、彼女たちを描くことがどういう意味を持つのかというと。

 

ろこ:それは宏樹的なポジションの子がいるということなのか。

 

政夫:そういう話ではないんです。スクールカースト的な話です。

 

ろこ:もっとカースト寄りの話か。

 

政夫:カースト最下位のもこっちがいつのまにか中心になっていた。その中心の不在の波紋を描いているわけですね。中心がいなくても各自で独立して成り立つわけなんですけど、全ページにもこっちは描かれていないんだけど、読者は(キャラも)もこっちの影を探してしまう構成になっているんですよ(笑)

居ないんだけど、今までの作品の中で、もこっちの存在感が際立つようになっている。

 

ろこ:なるほど。『桐島』みたい。

 

政夫:『桐島』だったり『藪の中』でも、中心の不在を描いた群像劇の中での化学反応というか。

『わたモテ』というマンガは長期連載で、単行本でいえば15巻くらい出ているんですけど、ハーレム状態になったのは8巻以降の展開で、つまり1~7巻はもこっちの痛い自意識に付き合わないといけないわけですよ。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:そこまで付き合っていたら、もこっちというキャラクターが好きだと思うでしょ。僕はそんなに好きではなくて。今の『わたモテ』人気は8巻以降のハーレム状態における女性キャラクターの参入が、関係性消費として盛り上がっているわけですよ。キャラ的な文脈で。それは別にもこっちを中心にしなくても盛り上がっているわけですよ(しかし、多くの二次創作ではもこっちというキャラクターとの関係性の文脈と切り離したものではないので、やはり厳密に直接的に描かれていなくても、間接的にキャラクターのベースとして存在することを意味するのが特徴的である)。

なんだけど、最新話で初めてもこっちが出ない『わたモテ』を読むと、俺たちは黒木智子が好きだったんだなと自覚せざるを得ないんですよ(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:という感じですかね。

 

ろこ:ヤラレタと思ったわけね。

 

政夫:はい。謹慎処分として、そういう可能性はあったわけですけど。確かサブタイが「モテないし謹慎するってよ」なんで完全に『桐島』オマージュなんですよ。

 

ろこ:なるほどね。

 

政夫:『桐島』といっても、ろこさんの好きな『桐島』の文脈ではないですね。『桐島』の作品の前提としてあるスクールカーストと桐島という中心がスッポリ抜けた後の余波みたいな最初の部分を描いてる感じです。

 

ろこ:面白そう。

 

政夫:面白いですけど、別にこれを読んでくれと言っているわけじゃないですよ。キュレーションになりたくないから。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:面白いし、『桐島』的でもあり…『桐島』で面白いのはトップカーストだった桐島というのは何者だったのかという話として。

 

ろこ:そっち?

 

政夫:いや、作品で描かれていないからこそ、語るという意味で。

 

ろこ:あーなるほどね。

 

政夫:『わたモテ』はもこっちというキャラクターが存分に描かれているわけですよね。そのキャラが、スクールカースト最下位だったもこっちが居ないことで、物語が展開してしまったという今の状況が面白いんですよ(成立してしまうことのプロセスとして)。

ただ、カーストという概念を超えて色んな人たちと関わりを持ってしまったもこっちとその周辺の関係性が物語として構築されているので、これは語らないといけないなと思って喋りましたけど。

 

ろこ:(笑)

 ※この記事は5月に配信した音源を一部文字起こししたものです

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おおたまラジオ第9.5回 

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おおたまラジオ第10回の「自分探し回」は5月26日に収録予定です。

課題図書は古市憲寿の『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』となります。

「自分探し」の文脈は、ラジオでいうと第8回によるものです。

お前ら、またかというツッコミは滅茶苦茶ください。える・ろこを叱ってください。

よろしくお願いします。

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希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

 

 

今回は番外編でした。

話した内容は、

  • おおたまラジオ自体はYoutube的ではないし、マイナー気取っているわけでもないという事実について。
  • 第10回の宣伝について。

古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』について触れましたが、恐らく本編では取り扱いません。それでも『希望難民』のアップデート版として読めますので派生的に手を取って欲しいなと。むしろ「若者論」への言及は、こちらの方が色濃いです。

それでも『希望難民』を選択したことへの意図を汲み取って欲しい…!単に『「若者論」への論』をやるわけではないという意思表示!

 

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

 

 

  •  語り継ぐことは文化的に大事なのは前提として、細かい作品語りではなく、もっと大きなスパンで語るべきではないだろうかという提言について。ゼロ年代セカイ系、日常系、無菌系、からの新世界を開拓する地平としての2010年代を語るためには。

 

一〇年代文化論 (星海社新書)

一〇年代文化論 (星海社新書)

 

 

セカイ系とは何か (ソフトバンク新書)

セカイ系とは何か (ソフトバンク新書)

 

森田るい『我らコンタクティ』 現実を見ているからこそロマンが見れる

ろこ:今回のテーマがマンガじゃないですか。相当難易度高いと思うんですよ。

俺はある種、一回目に読んだ時に、マンガ=物語として楽しんで面白かったなとなったんだけど、そんで政夫君と打ち合わせというか話すじゃないですか。全然違う視点が出てくるわけですよ。俺との関係性があるから政夫君は優しくこう考えると面白いよと道しるべ的なものを教えてくれるわけじゃないですか。理解を広げるという形というか、抽象的なものを、これこれこうですじゃなくて、抽象的なレベルで関係性を伝えるってめちゃめちゃ難しいじゃないですか。

今回テーマとして扱うと、物凄いプロセスがあったわけなんです(笑)

 

政夫:(笑)

 

ろこ:今回『我らコンタクティ』をやろう!となってどうなんですか。

 

我らコンタクティ (アフタヌーンKC)

我らコンタクティ (アフタヌーンKC)

 

 

政夫:第9回はそれについての作品語りがメインだったわけですよね。で、一回ラジオを録ったわけですよ。それが、あまりにも難しすぎたというか。あまりにも音声メディアで伝えるには困難が伴っていたわけですよ。

 

ろこ:まず、俺がどこやっているの状態だったからね。

 

政夫:僕が用意してきたものが一コマ一コマレベルなんですよね(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:ろこさんはもっと物語レベルの話だと思っていたようで、そこで齟齬が生じていて、情報の繋げる部分が合わなかったというのがあって、僕は自分で準備してきたものをブログに書いたわけです。

futbolman.hatenablog.com

ろこ:ありがとうございます。

 

政夫:じゃあ第9回どうするかってなった時に『我らコンタクティ』をリベンジしようとなったんですけど、内在性の問題というか、僕の中でマンガというのは多様な読み方があり、多角的であるものだから、色んなものがあるはずなんですよ。可能性という意味で。

僕が書いた『コンタクティ』の記事は、第9回に向けて纏め上げるのに一心に準備してきたものなので、それをただブログに書き写しただけのもの記事なんですけど、僕の中ではあれ以上の読み方が無かったんです。結論をいうと、ブログ記事以上の読みが僕には無かったんです。僕の内在的な問題で。多角的であるはずなのに、僕は読み方が凄く一面的なんだなって痛感したわけなんですよね。

第9回をリベンジしようとなった時から色々考えたわけなんですが、『コンタクティ』をパラパラ読みながら「これとかどうかな」と思うと、ブログに書いてある(笑)もう書いてあんじゃん(笑)みたいな話になるわけですよ。

そうなると、俺の内在性ってどうなのって。多角的であるはずなのに全然一面的じゃんみたいな。あれで纏めたら、俺の中ではオシマイなの?って問題が出てくるわけです。

 

ろこ:マンガの表現というかね。

 

政夫:だから『コンタクティ』に関しては何の準備をしていないと。ブログに書いたものが僕の答えだというスタンスなんですよね。だからこれから『コンタクティ』について話すので。

 

ろこ:え、話すの(笑)?

 

政夫:ろこさんが話したいというスタンスじゃないですか。

 

ろこ:そうだね。リベンジという名目としては。

 

政夫:内在的な問題で、ある一面的な観方が定着してしまうと人は容易に多角的に見られないという問題なんですよ、これは。僕の中で固定化してしまっているわけですよね。

あの記事のような読み方が僕の中で固定化してしまっている。それをどうにか破かないと、僕は『我らコンタクティ』について提示するものがないという立場なんですよね。これは人によっては、ここだけを意地悪く聴いたとすると、とても自信満々に自分の記事が素晴らしいからあれ以上のものが繰り出せないんだという風に聞こえるかもしれないけど、全くそれとは逆で、そういう問題じゃないんですよね。

本来、もっと色んな読み方があるはずなのに、そういうスタンス、前提を取っているはずなのに、僕の中であの読み方しかないというのが問題なんですよ。

 

ろこ:その前提の話は、政夫君のレベルでは相当高いと思うんですよ。

 

政夫:だから、僕は色んな人のレビューを見るわけですよ。

 

ろこ:なるほど。

 

政夫:自分に無いもの、固定化しないためにも量的に観測したいという、参考にしないけど観るというのはそこなんですよね。

だけど『コンタクティ』に関しては一回書き上げちゃったら、もう動けないという状態で困っていますね(笑)

 

ろこ:俺はその読み方をしてこなかったというか、その楽しみ方は無かったから、今回『我らコンタクティ』をテーマとして扱うことでもう一回ちゃんと読んだよね。

そこで、分からない部分が出てくるし、直接政夫君に聞いた方がいいんじゃね?みたいなこともあるじゃないですか。だから、やってくださいよ。

 

政夫:なんですか(笑)

 

ろこ:これ、番外編で政夫君がそもそもマンガが読めないと言っていた人間じゃないですか。

futbolman.hatenablog.com

政夫:そうですね。

 

ろこ:克服はできそうなの?

 

政夫:出来ていないです。

 

ろこ:マンガの表現というのは今回扱ってみて相当難しいというのが分かっちゃったから。観ながら聞いてもいいですか。まず、ズバリ言っていますものね。「ロマンの功罪」と。

 

政夫:あ、僕のブログですか(笑)僕のブログを読みながら言うんですか。僕はてっきり本編の話かなと思っていたんですけど。

 

ろこ:本編の話もあるけど(笑)時間下さいよ。

 

政夫:いいですよ、繋ぐので。第8.5回ですね、番外編で、僕はマンガを語るのってめちゃめちゃ難しくないみたいな話をしたわけですよ。

一面的には第9回の『我らコンタクティ』を語る時のハードルを上げるための装置だったわけなんですけど、その手続きを踏まえたことによって、否が応でもマンガに真剣に向き合う一ヶ月を設けたかったわけですね。その結果、ブログに纏めたような準備をしてきたつもりだったんですけど、ハッキリ言ってラジオという媒体を無視した情報だったんです。

となると、僕が直面したのは、伝えることを度外視していた自分ということですよね。自分が、マンガを読んで考えたこととは別に、伝えるというのは別のベクトルなんだなって初歩的な問題にぶつかったわけですね。

そこから、ろこさんに言われたように、君はマンガを語るのが難しいという問題を克服できたのかというと、出来ていないと先ほど答えたように、僕のブログ記事を読むと人によっては「これは凄いよく出来ている」とか「全然ダメだ」とか色んな意見があるでしょうが、どちらにしても僕の中ではあれ以上のものが出てこないなという語りなんですよね。それは、自分で持ち上げているとか卑下しているとかそういう矮小的な話ではなく、前提としてマンガってのは色んな読み方があるはずなのに、僕は書き上げてしまったものに対して、多角的な表現が思いつかないというのに問題を感じているという話です。だから、非常に困ったままなんですよね(笑)

 

ろこ:俺は聞きたいね。2つ。

まず、この物語はハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。捉え方は色々あると思うんだけど、政夫君の論を聞きたい。

 

政夫:ハッピーエンドですね。

ブログの中では逮捕という結果で終わっているから、アンハッピーエンドのように受け取れるかもしれないけど、と書いた記憶はあるんですけど、僕の中ではハッピーエンドだという解釈ではあるんですよね。それはなぜかというと、これはブログには書いていないんですけど、冒頭のカナエちゃんとかずきの第1話の目線というのが、カナエちゃんは飲み会の後、歩道橋でかずきと出会うまで目線がずっと下なんですよ。かずきは、伸びていてカナエちゃんを見下ろす側であるから目線は下なんですけど、かずきというのはフラットな観方ができるキャラクターですよね。

 

ろこ:いや、俺は、かずきのキャラが全然掴めなかったけど。

 

政夫:それはちょっと置いといて(笑)

最終話で捕まった後に、ヒュ~イ~ヒュ~イ~というシーンがあるんですけど、カナエちゃんは捕まった船の中で「ヒュ~イヒュ~イ~って踊っているよ」と言いながらも目線は上を向いているわけですよ。カナエちゃんの目線は下から始まったのに、最後は上を向いているわけです。

で、一方でかずきはヒュ~イ~ヒュ~イ~と涙を流しながら踊って終わるわけですよ。

 

ろこ:おうおうおう。

 

政夫:ここで目線の揺らぎというのがあって。

僕は最近『文豪ストレイドッグス』というアニメをめちゃめちゃハマっていまして。

 

 

これ、本当に傑作だったんですけど、『文スト』の特徴的な演出に飛行機雲を使う演出があるんですよ。画面のキャラは動いていないんだけど、奥に映っている空に飛行機雲がゆっくり線を引いているシーンがあるんですよね。

で、この飛行機雲って何だろうって思うわけですよ。それは、飛行機雲は、キャラクターたちが向かうべき場所や方向を指し示しているわけですよ。だから矢印になっているんですよ。キャラクターたちが行くべき場所や将来的なものを暗示しているわけですよ。

 

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そこから受け取ると、ロケットが宇宙空間に出ていく、そのロケットの光や上昇していく姿もどことなく飛行機雲ぽいんですよ。僕はまんまロマンの昇華と書いた気がしますけど、上昇しちゃって行っちゃったから、ロマンが。そのところだけを見ればハッピーエンドだよねと。

ただ一面的ではない。アンビバレントな物語だから、それを功罪と書きましたけど、罪でいえばアンハッピーエンドかもしれないけど、目線と上昇していくロケットの尾や昇華していく姿を捉えると、キャラたちは幸せだったのではないかという。

 

ろこ:いや、いいですね。

 

政夫:果たしてこの物語は、キャラの幸福・不幸というのを読者の目線で図れるのかという問題がある。

 

ろこ:なにその、そもそも論は?

 

政夫:読者的には捕まっているじゃん、アウトじゃんみたいなイメージを抱かせるんですけど、作中のキャラはそれを踏まえた上でやっちゃっているわけじゃないですか。となると、キャラと読者が抱くイメージにギャップがあるわけですよ。それを読者側の倫理で図れるのって?

 

ろこ:2つ目の質問で聞こうと思っていたんだけど、作者はこのエンドを想定しつつ、政夫君はそういう風に受け取ったと。で、俺はそれを聞いて受け取ったと。

だから、作者はどういうことを届けたかったのかなって。想像しがたいことであるんだけど。

 

政夫:これ、ブログで書いた記憶がありますけど、教訓めいたものではない気がします。ロマンの功罪だと一面的には書きましたけど、それが説教的な語りでもないし、こういうことをやっちゃいました!ダメだよみんな(笑)みたいな話でもない。

 

ろこ:そこよね。

 

政夫:なにかを教訓的に扱っているわけでもないし、それが難しくて、物語に対して意味を求めてしまっている部分、なにか教訓めいたものを期待してしまっている態度自体がどうなのかなって思ったりするわけですよ。この作品に対しては(手塚治虫はマンガは風刺と告発だと述べていましたが)。

 

ろこ:固定観念ということで。

 

政夫:物語を通して持ち帰るものがある、なにかを期待するわけです。貴重な現実を生きる僕たちが、虚構を通して、何かしらの期待を抱くわけですよ。何かしらを持ち帰りたいわけですよ。現実に還元したいわけですよ。

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なんだけど、ロマンの功罪と書いたのは僕がそう思ったから書いたわけなんですけど、ただ、それが作者が言いたかったこととするとあまりにも救いが無さすぎるわけですよね。さっき、ハッピーエンドと言ったからには(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:それがどうも(僕の中でも)整合性が取れていない。

 

ろこ:目線の話で腑に落ちたけど、描写ではやっぱり。

 

政夫:簡単にいえば良いことも悪いこともあるよね、みたいな話ですよね。なにか目標があれば人は活き活きするという話でもあるわけですよ。カナエちゃんもそうであるし。他人の夢でしかなかったものが、自分の夢になったことによる充実感ですよね。

その果てが、あの二人の暴走ですよね。暴走というのは簡単なんですけど、あそこまで行ったら止まれないでしょ。止まんないでしょって。それを止めようとするのは現実という僕らの理性なんですよ。

 

ろこ:おっと、出ましたよ。どういうことですか。

 

政夫:カナエやかずきはロマンやファンタジックなものですよね。現実的なものを一時的に超越してしまっている。その清算として逮捕という結果で終わるんですけど、僕らが倫理的に説いている、恰も倫理的な読み方をしてしまう、アンハッピーエンドなのではないかという部分は、ある種の風刺とも取れるというか、僕らの観方そのものが現実的なんですよ、やっぱり。

 

ろこ:感情と論理は対立しない、そういうのを超えちゃうということですか?

 

政夫:ロマンを優先させると、現実を無視してしまう、一時的に現実を超えてしまう。その結果ですよ。

現実的に僕らは眺めるんですけど、それは僕たちの現実的な態度なんですよね。キャラの都合ではないんです。

 

ろこ:そこの解釈難しいな。

 

政夫:だから、僕らは暴走と言うんですけど。

 

ろこ:そこが、かずきに乗っかれないところかもしれない。

 

政夫:それはロマンを獲得した者にしか見えない景色。

 

ろこ:うわ。ちょっとエグイとこを書き過ぎですって。

 

政夫:今、ちょっと考えただけだから(笑)

 

ろこ:ここに立ち向かうのはラジオならでは、です。

 

政夫:え。

 

ろこ:(笑)この瞬間が、俺らが『コンタクティ』に向き合ったという。

 

政夫:情報レベルでいえば間違いなく僕らはコンタクティしていますよ。

 

ろこ:そういうことを言いたいのよ。

 

政夫:俺たちコンタクティですよ(笑)

 

ろこ:(笑)いや、凄いね。抽象度が高すぎますわ。読む人は分かれますかね?

 

政夫:これは、みんな良いと言う作品じゃないですかね。僕が観ている感じでは否定的な意見は無い。なかなか高評価な作品だと思いますけど、現にめちゃめちゃレベルの高い作品ですから。

 

ろこ:もう解決しましたよ。俺の疑問は。

 

政夫:え、ろこさんが読んでどう思ったのかを聞かせてくださいよ。

 

ろこ:俺の?感想じゃなくなるよ。前回の失敗を経て、改めてどう俺らはコンタクティさせるかみたいなことを考えたよね。

 

政夫:(笑)マンガよりもラジオなんですね。

 

ろこ:ある種の刺激だよ。ダメージという名の。

 

政夫:(笑)

 

ろこ:そういう意味ではバッドエンドかもしれん(笑)

 

政夫:ラジオをやる前に、僕の記事に引っ張られようが引っ張られなくても、ろこさんの意見が聞きたいですと言った気がするんですけど、めちゃめちゃ引っ張られてますよね(笑)

 

ろこ:(笑)しょうがない。政夫君を再生させなアカンから。俺の視点はずっとカナエちゃんよ。

 

政夫:僕もそうですよ。カナエちゃんは主人公だなって思いながら。

 

ろこ:俺はカナエちゃんなんよ。

 

政夫:え。

 

ろこ:嫌な仕事を黙々とやってさ、日本社会の閉塞感みたいな。

 

政夫:日本社会の閉塞感…(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:タームがデカい。

 

ろこ:物凄い現実があったわけですよ。ツライというか。

 

政夫:パッとしない現実ですね。

 

ろこ:俺もそうですもん。常日頃楽して生きたいと思っていますよ。

 

政夫:その話に乗っかると、ろこさんの愚痴に(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:カナエちゃんをダシにしたろこさんの愚痴語りになるから。

じゃあ、どうすればいいのか?って、『我らコンタクティ』を読めば分かるでしょ。ロマンを求めようということですよ。内在的にロマンを持てば、幸せになれるんですよ。

 

ろこ:嗅覚凄いな(笑)

 

政夫:目標ですよね。夢ってありますか?って聞かれることも、お互いこういう年齢になると寧ろ聞かれる機会も少なくなるわけですけど、お互い60間際ですものね。

 

ろこ:おい。

 

政夫:夢を持ちましょう。

 

ろこ:このラジオもそうですよ。体験を具現化していっているわけじゃないですか。もう9回目ですよ。

 

政夫:なんだろう。ろこさんが、そういう話をするとそっち(自分探し系)の方に行っちゃいそうな気がする。

 

自分探しが止まらない (SB新書)

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ろこ:それは鼻利きすぎよ(笑)

 

政夫:ブレーキを掛けたくなっちゃう(笑)それ、第8回でやった自分探しじゃんみたいな。

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ろこ:おい、俺の引き出しを閉めるな。

 

政夫:やっぱり、内在的な問題ですよ。

 

ろこ:夢を持ち続ける難しさを知っているわけじゃないですか。『ブルーピリオド』でもやったよね。

 

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンKC)

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政夫:夢を持つと、持ち続けるは確かにまた…延長線ではあるんですけどね。時間や覚悟や責任、もちろん才能と努力みたいに枝分かれしていきますけど。

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だからある程度、年を取ると夢を持ち続ける難しさに目が行っちゃうわけですよ。そういう人間には宇宙で映画を公開することは出来ないんですよ。

『我らコンタクティ』がシレっとやっているのは、マンガだからトンデモ理論でも宇宙に飛ばすためのテラリウム発電とかよく分からないですもの、やっぱり。本当に大丈夫なの?とか思うわけですよ。なんだけど、一人でカバーしているわけですよね、かずきが。彼のポテンシャルの高さというのは、作中で一々ツッコミは入っていないわけですよね(安川教授は例外でした)。かずきのポテンシャルありきの企画なわけですよね。でも、かずき一人では、あのロケットは飛ばせなかったわけで…というところにカナエちゃんという存在がとても主人公に見える。

カナエちゃんが入ったことによって、という物語なので。全部が動かしたということで、カナエちゃんが主人公ですよね。

 

ろこ:そっちから、カナエちゃんをね。

 

政夫:もちろんカナエちゃんからなんですけど、かずきを経由してもう一度カナエちゃんを覗くと主人公だなと思って読んでいました。

 

ろこ:カナエちゃんは俺だったという話をしたけど、カナエちゃんはいくつか知らんけど、それなりに社会経験があって現実を見ているわけですよ。

そこが、現実を見ているからこそロマンを見れるということもあるわけじゃないですか。

 

政夫:うん。

 

ろこ:そこをラジオとリンクさせたい。

 

政夫:非常に面白い。現実を見ているからこそロマンが見れる。カナエちゃんって、なんの才能があるの?って聞かれると困るキャラクターですよね。特別容姿が優れているわけでもないし、なにかスキルがあるわけでもなく、ただカナエちゃんの他人を気配る優しさですよね(ブログでは距離感として書いています)。梨穂子さんやテッペイだったり。かずきの小さな世界の人間関係の場を繋ぐ、カナエちゃんのバランスの良さというか。そこが彼女の良さが出ている象徴的なシーンだと思うんですけど、結果的にカナエちゃんはロケット開発に何を与えたのかというと、かずきの周りを変えたことが結果的にかずきを変えたことになると思うんですよね。

それは、カナエちゃんの行動力ありきなんですよ。カナエちゃんは行動ができるんです。現実で腐っていても、ロマンがあれば現実の中で行動できるんです。そこですよね。

 

ろこ:何かあったと思う。出来ることと出来ないこと。それを自覚することが人生で区切りになるというかね。

 

政夫:止めてくれよ、お悩みは(自分探し)!(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:流れ的に危ないなと。

 

ろこ:嗅覚が過ぎるって。まだ何も言っていない(笑)

 

政夫:ろこさんの座右の銘は挫折だと思うんですけど(笑)好きな言葉は挫折(笑)

 

ろこ:誰がや(笑)

 

政夫:昨日、テレビで、世界卓球やっているじゃないですか。石野卓球じゃないですよ?ツイッターの面白い方じゃなくて。

 

ろこ:聞いてない(笑)

 

政夫:卓球って中国なんですよね。競技人口が8000万人くらいいるらしいです。中国の強さの秘訣というのは、超選ばれし者たちがいて、それは国が養成しているわけですけど、その施設に1軍・2軍合わせて100人くらい中国の全国から選ばれし強者たちが日々練習をしているという、それに至るまでの幼少の段階、育成段階の話なんですけど、よくサッカーだと成功体験がどうのこうのとか言うじゃないですか。

中国の卓球は逆でした。失敗から学ばさせるだと。失敗した時から、どのように立ち直させるかというのを戦略的に考えさせる教育をさせていましたね。それはもちろん、リバウンドメンタルが関わってくるわけですけど。ミスった時のコントロールの仕方。メンタルだけではなく、戦略的に、あるいは技術的に。失敗から学ばさせるというのが中国卓球らしいんですよ。

 

ろこ:面白い。

 

政夫:これ、える・ろこ案件だなって思って。

 

ろこ:俺案件ではないけど(笑)成長過程というのは気になるけど。

 

政夫:失敗から学ぶというのが、とても現実的な話だと思うんです。成功というパイよりも、失敗というパイの方が多くない?というとても現実的で合理的な話だと思うんですよね。

ただ、成功体験の方がより快楽的だから、成功の旨味を知れるから、より突き詰められるという意味では合理的なのかもしれないし、ただ、僕のイメージでは失敗の方が多いのだから学び取る、立ち上がるという方がよりタフになっていくという考えは凄い分かる人間なので。

だから、カナエちゃんですよね。カナエちゃんはクラスのリーダー的存在だった過去があるわけですよ。スクールカースト上位だったわけですよね。小学校自体でスクールカーストは顕在化しないという研究はあるんですけど、中学校くらいから…。

 

教室内(スクール)カースト (光文社新書)

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ただ、所謂コントロールする側だったカナエちゃんが、今は社会的にコントロールされる側で、良い様に扱われる。大きなギャップがあるわけですよね。それは誰しも抱えるものというか。もちろん、みんな、なだらかにある程度のポジションをずっと生きたいのかもしれないけど、多少の落差や上下があるというかね。

そこで、どう現実と向き合っていくのかと、失敗と向き合っていくのかという話になるし、カナエちゃんは仕事は稼ぎのためにしているだけで、他にアテがあるんだったら、お金持ちになれるんだったら、仕事を辞めたいと思っている仕事なんですよ。そこで転がり込んできた宇宙ロケットの話。金になるかなと思っていたら、お金どうこうの話じゃなくなってくるのが面白いところじゃないですか。とても、

お金というのが現実的な話なんですよ。超現実(お金)を見ていたカナエちゃんが、ロマンに引っ張られていくのが面白くないですか。

 

ろこ:うん。その…

 

政夫:いや、これ以上続けるとろこさんのスイッチが入りそう(笑)

 

ろこ:せやな(笑)カナエちゃんは俺みたいなこと言っちゃったけど、他人からこうあるべきというものからはみ出て欲しい、超えて欲しいみたいなキャラだったんですよ。カナエちゃんは。

 

政夫:はみ出るにはロマンなんですよ。お金自体が物凄く現実的な物差しなんですよ。それをとても社会的な不利益、損害をカナエちゃんは受けるわけですから。それを被っていることは現実的にみれば不利益でしかない。

けども、ロマンのために合理的に、カナエちゃんの中での現実的な選択はアレだったわけですよ。

 

ろこ:さっきね、俺は、この物語は読者を選ぶと思うんですよ。なぜなら、ヒエラルキーでいう上位の人には響かないと思った。

 

政夫:あー。絶賛だとか褒め讃えているのは底辺だと。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:上級国民ではないと(笑)

 

ろこ:そこまで言っていない。ただ、上位の人にはね。

 

政夫:それは何故?

 

ろこ:お金を持っていたら〇〇みたいな人(本編ではガッツリ名前が出ていますが、ろこさんの配慮を要望したため伏字です)たちは違うベクトルで、ロケットを飛ばしているわけじゃないですか。彼らに、ここまでのロマンを、この解釈は出来ないんじゃないですかね。

 

政夫:そうですか?(笑)

 

ろこ:自分たちが金持ちじゃないから、そう思うだけかもしれないけど(笑)

 

政夫:ただ間違いなく言えることは、この物語が刺さる・刺さらない人が上級国民であろうがなかろうが、それはとても些細なことで、この物語が分かる人・分からない人がいるんだったら、分かる人でありたいなと。

 

ろこ:それが言いたかった!

 ※この記事は4月に配信した音源を一部文字起こししたものです

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