西尾維新『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』読書感想
良くも悪くも西尾維新である。西尾維新の原点でもあり、変化の無い西尾節に安堵を覚えおる読者も多い事だろう。
天才。天才。天才。
これほどまでに多くの天才が一堂に会する物語は少ないはずだ。天才のレッテルを貼る事で、安易にキャラ付けしないように様々な角度から『特異』を演出している。それでも、これだけ天才、天才を連呼されると、やはり安っぽさを感じてしまうものだ。一応、天才のキャラ付けとして、珍品が並んだような人格を描いている。変人奇人ばかり。語り手の『ぼく』だけが唯一真面…でもないところが1つ肝でもある。
天才に寄り添う者ならではの苦悩や歪みがある。そういうことで真面な登場人物が居ないというのが、本書の特徴だ。一癖二癖という表現が陳腐に思えるほどだ。リアリティーという物差しでは測れない魅力があると言うべきか。
西尾維新は、兼ねてから第1回メフィスト賞作家の森博嗣を憧れの作家だと公言している。それは明らかに作品へのアプローチやセリフ回しに意図されているモノ等から窺える。
そして、本書である。
森博嗣がメフィスト賞を受賞した鮮烈的な処女作でもある『すべてがFになる』から、インスパイアされていることは明白だろう。さらに森博嗣への畏敬の念が込められている。その想いが強すぎるあまりに、オリジナルなのに既視感が生まれてしまったのは気のせいだろうか(森作品を読んでいない人なら、特に気になる点ではないだろうが)。
ユーモアのある文体。無駄が多い、という言葉では飾り切れない。とにかく回りくどい。そこが良くも悪くも西尾維新である。当初から、西尾節が確立していたということを考慮すると、西尾維新ファンは目を通すべき作品だろう。
クビキリ死体が登場した場合、多くのミステリ読者は〝死体の入れ替え〟を頭に浮かべるものである。それを見越した西尾維新の技巧はまさに痛快。西尾作品でも、屈指の〝ミステリ感〟が味わえる。
奇天烈な登場人物ばかりに気を取られるが、作品の構成はわりと王道。正統なミステリである。良い意味で裏切られるものの、もっと『バカミス』して欲しかったという自分もいる。
タイトルの意味を汲むと、洒落ているなと思う。
ただ、本文中の言を借りるならば、戯言である。