倉知淳『壺中の天国』読書感想
やや間延びしている印象は拭えず、第1回本格ミステリ大賞を受賞した作品であるが、ミステリの味わいは深いものがあるとしても、〝本格ミステリ〟という部分は弱い気がする。
法月綸太郎は、倉知を〝天然カー〟と評していた。
この作品もその傾向は御多分に洩れず。
構成としては日常パートと被害者視点のパートと謎のオタクによる記述と電波怪文書が順番に並べてある。構成の妙によって、ほのぼのとした雰囲気が漂う作品となっているが、〝次に誰が狙われるのか〟が分からないサスペンス調が実に中和されている。
倉知淳の味といえばそれまでであるが、日常の描写と非日常の描写を分けたことによって、緊迫感はやはり薄らいでいるので、電波系連続通り魔事件という殺伐としたサイコ的雰囲気 が無いのは、もしかしたら読者を選ぶ要因となるかもしれない。
事件自体は怪事件である上に、容疑者が絞り込めないサスペンス度の高いものではあるが、日常パートの安心感が奇妙な落差を生むために、不思議と事件の凄惨さが遠い出来事に思える。
探偵役たちも事件から〝離れた位置〟にいるように思えるために、日常パートと非日常パートのメリハリが付きすぎている。その辺を〝天然カー〟の醍醐味だと表現しても問題はないだろうが、薄いものは薄いと感じた。
本編全体にあるのは、ミッシングリンクとしての魅力にある。
そして、その真相は実に単純明快かつ挑戦的である。風刺的と言っても差し支えないだろう。
しかし、フーダニットの弱さは否めず。〝通り魔〟という特性を存分に活かしたフーダニットであることには違いないが、エンタメ性はなく、カタルシスも欠けている。
とはいっても、探偵役の圧巻のプロファイリングといった解決篇の勢いは凄まじいものがあり、堅固なミッシングリンクを強烈に公開する流れは満足感の高いものがある。
おばさん怪文書といった最初から提示されていた手掛かりから導かれる犯人像の絞り方をベースとした怒涛の推理はミステリパートのオチに相応しい巧さ。なかでも第2の被害者でもある甲斐靖世が出演していたビデオの使い方と人間心理は絶妙である。
また、犯人の独白にある、電波系要因の大きな仕掛けは大きな拍手を。ここまであからさまに提示されていたとは思いも寄らず。被害者目線で描かれているパートなので、巧妙に錯誤を生みだしている。
言葉の受け取りによる認識のズレが秀逸。
さらに、〝閉鎖型の本格〟ではないところからの作品としての拡がりが、電波系連続通り魔事件にそれなりのリアリティを生み出している部分は評価すべき点である。
作中に一度も描かれていない人物が犯人という可能性すらも〝有り得る〟空気感を醸し出すことには成功しており、容疑者が〝不特定多数〟という『クローズドサークル』には相容れない要素を〝天然カー〟の味付けで料理している技術は確かなものである。荒業でありながらも、ギリギリとしての線を残しつつ確立している意匠。
作家としての引き出しを感じさせる作品となっている。