BリーグとFリーグ そこに未来はあるのか
Bリーグが盛り上がっている。
NHKでも定期的に取り上げられ、スポーツニュースでもバスケ枠は多少の尺でも確保されている。
2020年の東京オリンピックという風も吹いている。バスケに関しては開催国枠が無いらしいので、日本でのオリンピックという一世一代な舞台を目指すために日本代表は本戦へのチケットを獲得するべく競争中。
島田慎二『千葉ジェッツの奇跡 Bリーグ集客ナンバー1クラブの秘密』を読んだ。
書籍紹介
経営不振からBリーグ集客ナンバー1のクラブになった千葉ジェッツの秘密
今、バスケットボールのBリーグが熱い。中でも、初めて年間観客動員数13万5000人を突破し、1試合7327人という最多動員数を誇るのが千葉ジェッツだ。5年半前、経営不振のクラブ立て直しのため社長に就任したのが、コンサルタントの立場でかかわっていた島田慎二。つぶすか、つぶさないかという瀬戸際を、これまでの会社経営のノウハウを活かし切り抜ける。そして、社長に就任するとすぐに経営強化のための再建計画を策定し、稼げる体制づくりに取り組む。スポンサー探しに奔走し、経営基盤を確かなものにしたあと、ブースター(ファン)をさらに獲得するため、地域密着型のクラブづくりに着手。イベントやお祭りなどに選手やスタッフが参加し、年間150~200回もの地域貢献活動で固定ファンを増やしていった。そして、実力も人気も高い富樫勇樹選手や外国人選手を戦略的に補強し、2017年1月の天皇杯で初優勝を飾る。卓越した手腕で経営を刷新し、人気・実力ともにBリーグトップチームに押し上げた島田流マネジメント術と、千葉ジェッツの変革の軌跡がギュッと詰まった1冊。
Bリーグの中でも人気随一の千葉ジェッツの経営者でもある島田慎二が、千葉ジェッツをマネジメントしてきた経緯が記されている。ビジネス書としても読めるのは勿論のこと、好きなことを仕事にしているから安月給でも文句は言えないよねといった風潮に経営者の視点から論外だとダメ出しをする気持ち良さもある。
冒頭でアリーナスポーツに付き纏う箱もの産業を分析し、チケット×座席数がそのまま集客のキャパになり、収入になる。箱の座席を増やせば、インセンティブが増えるかというとそうはいかない現状なのは当然で、特に近年では箱の増設に関して逆風が吹いていると島田は言う。記憶にも新しい新国立競技場問題、豊洲移転問題が背景にあるとのこと。
スポーツと地域性のコラボレーションは理想的だ。
クラブチームとしては地元に根付いて、中長期的に地元のファンの生活と一体化して、クラブチームが地域と密着するのはクラブのフロントの夢だろう。
その中で島田の掲げる理想は「地域密着」ではなく「地域愛着」。
サーフィンが好きで湘南に住んだ。スキーが好きでニセコに移った。
それみたいに千葉ジェッツが観たいから船橋に住んだと言われることを目指しているらしく、島田は千葉ジェッツのビジョン、戦略、クラブとしてのフィロソフィー、かつてのキャッチコピー「打倒トヨタ」、千葉ジェッツというクラブのキャラ立ち、ダービーなどの因縁の対決作りをすることで人気と知名度を獲得していった千葉ジェッツの歴史が書かれている。
島田がクラブを運営するためのビジョンとして、導入したのがホップ・ステップ・ジャンプの理論だ。
ホップ→資金注入
ステップ→選手に投資し、良いチームを作る
ジャンプ→集客
肝は「集客」は最後に回したこと。「集客」は経営上外せない観点であるが、「集客」を継続的に行うための演出や魅せ方はクラブとしての実態が伴っていなければならない。
良いチームであれば、「集客効果」とそのための戦略を練れる。良いチームを作るためにはそもそも良い選手が居ないと難しい。良い選手を集めるためには資金が必要なので、スポンサー契約を獲得するために千葉ジェッツに投資するに足りるビジョンをどれだけ説得力のあるプレゼンを提示できるか。
夢を語るだけで金や現実が追い付いていなかった。
島田は夢を語るのは後でいい。現実とのギャップを埋めよう。そのためには金が必要だと説く。
組織経営とは社員やスタッフを食べさせていくこと。
島田がコンサルタントとして千葉ジェッツに関わっていた当時の職場の雰囲気をこのように記している。
好きなことを楽しくやり、日々夢を追っている。それの何が悪い?
バスケには夢がある!
バスケの競技人口は多い!世界的にみればサッカーよりも多い!
だから、いずれクラブ経営も上手くいくはず!
夢を与えるには先立つものが必要である。金の話は付いて回る。
役員のみならず選手の給与体系も同じように。
お金が良くなければスポーツとして先細っていくのは避けられない。スポーツの魅力やロマンだけでは限界がある。現場がどれだけ魅力を伝えても、ビジネスの面を切り離すことはできない。そのスポーツを伝道するにも選手は勿論、組織の人間の雇用関係などの契約はあって、ビジネスを無視してスポーツの持つクリーンさだけを語るのは無責任ではないだろうか。
バスケのためにどうにか頑張ろうよ!
それを薄給の言い訳にしてはならない。好きな仕事をしているのだから薄給でいいわけではない。仕事とは食べていくものである。
好きなバスケを仕事にしているのだから仕方ないだろうといった経営の傲慢さが蔓延していたのを島田は指摘している。
好きだからこそ、好きなことを仕事にしているからこそ、その環境に然るべくお金が入るようなサイクルが根付いて日常的になるのは、とても長く困難な道程であるけれども。
選手や役員の給料がよければ人材は集まる。競技人口の底上げの鍵となる子どものプレイヤーも増える。
人集め、資金集め、選手集めなどは、どこかの要素で繋がっている。それぞれが独立しているものではないと。
本書は冷静に日本バスケ界を分析し、経営者としての視点で熱くも俯瞰で書かれている。
なんといっても金の話が大半であるから、未来の選手たちでもある子どもたちにビジネスの側面を強く押し出している面は否めない。
だからこそ、子どものスポーツをお金と絡めてビジネスという枠組みに嫌悪感を抱く人もいるだろう。
島田は言う。子どもにとってのスポーツは金と切り離されて清い夢のように語られがちだが、高みを目指すならお金は付いて回ると。
そのお金の流れが正しく膨らみ、入っていきそうなビジョンが提示されている。
*
Fリーグの話である。
本書を読むキッカケは、Fリーグと比較されがちなBリーグを覗き見る気になったから。同じアリーナスポーツ。同じ球技。リーグ創設からそれほど大きな時間の開きが無いということから。
しかしながら、Bリーグの人気はFリーグをあっという間に追い抜いたと言っていいだろう。
勿論、日本バスケ界の歪みが矯正されてBリーグ一本化となったことのよる新鮮味や東京五輪間近という期待が加味されている人気度なのかもしれない。このBリーグ人気がどこまで上がっていくのかは分からない。どこかで落ちるかもしれない。
それでも、今は確実にスポーツニュースで尺が割かれている実情や観客動員数の右肩上がりといった数値が示すのは明るい材料だろう。
同じアリーナスポーツとして比較に持ち出されがちであるが、個人的にバスケとフットサルの競技人気には開きが当初からあったと思う。
体育館問題という共通項はあるにしても、そもそもバスケとフットサルでは認知度・定着度といったスポーツとしての基礎体力が違うような気がする。
バスケには『スラムダンク』があって、ストリートバスケの場の提供問題や高校以降のバスケ選手の進路の不透明性があったが、紆余曲折を経て B リーグに一本化された。Bリーグ以前のリーグ体制からくっ付いているファン層がいる。
フットサルもFリーグ前からのファン層が確実に付いているが、ファンの新規獲得という点はどうなのか。試合後のファンサービスの丁寧さは試合観戦した人にしか分かり難いかもしれないが、あの選手との距離感という強みをより推して欲しい気持ちもある。それをどのように宣伝するかという話にもなるが、選手の本分は「試合」であるから負担を大きくするとバランスが難しい。
メディアのスター・システムや露出度を考えた際に、日本バスケ界にはNBAから帰ってきた田臥選手といったバスケをよく知らない人にでも分かり易いアイコンがいる。
その点でフットサルは、森岡選手のメディア露出がFリーガーの中でも際立っているが、それでも認知度は果たしてどうなのか?という疑問もある。風貌は印象的でも、名前はどこまで浸透しているか。
NHKのスポーツ番組に森岡選手が出演した際も、VTRでちょっとだけ登場したキング・カズの存在感は強すぎた(森岡選手と母の親子シーンもエグかったけど)。
- やべっちFCでのフットサル企画(AbemaTV連動)が先日放送された。
やべっち+Fリーガーvs黄金世代のフットサル対決は、個人的に少年サッカー時代から憧れていた小野伸二などの黄金世代相手に、今年から観戦を始めたFリーガーがテレビに出演するということもあって、とても楽しみだった。舞い上がったままテレビの前で正座していた。
AbemaTVの人気投票で選出された皆本選手が冒頭からぶっこんだりしたが、テレビ放映された内容は殆どが黄金世代の錆び付かない技術の結晶と連携に終始。
Fリーガーで印象に残ったのは流石のイゴール。
やべっちを最前線にカウンター要員として残すというお約束から、数的不利を強いられるDFをしていたFリーガーは印象的だったし、「テレビ的」な制約がありながらも要所のボラや森岡選手は「テレビ的」には残っていても、それ以外はほぼ黄金世代が中心。
黄金世代が永遠に無限に好きなので、放送内容に不満があるわけではない。
でも、どこかスッキリしない気持ちもある。
Fリーガーが人気番組で取り上げられた事実を喜ぶべきなのに、ここまでの流れのようにグチグチと書けば、「フットサルファンって面倒だな」って思われてしまう可能性はあるけれども、それでも書かざるを得ない面はあるので勘弁。
「テレビ的」どうこうとか忖度映え(爆笑問題の漫才より)云々ではなくて、かといってバチバチにやって欲しかったとかではなくて(そもそもFリーガーはシーズン中)、「テレビ的」に美味しいのはやべっちがどれだけ点を取るかが主題であるし、そこへの御膳立てとしてあれだけのFリーガーが集まっても、スポットライトは黄金世代になってしまうのは、サッカーとフットサルのヒエラルキー的な考えが定着してしまっているから当たり前なんだろうけど、素直に飲み込んでいいものなのかという気もするのです。
「フットサルはサッカーに役立つ」という観点から、育成年代に導入するような流れが正しく起きれば素晴らしいと思う。
正確なメソッドと知識を持った指導者の下で、「フットサルはコートが狭いから視野が狭くなる」という誤った風潮がぶっ飛べば良いとさえ思っているが、その着想自体がフットサルとサッカーの序列を固定にさせてしまっているのが複雑でもある。
勿論、きちんと導入することで早い段階からサッカーだけではなくフットサルへの道を指し示すメリットはある。だからこそ、トップダウン型でサッカーとフットサルの連携をすることで、サッカーの現象を分析していく中にあるフットサルの要素を掬い上げ、その意味を理論的に体系化していく流れになれば競技向上に繋がるのではないだろうか。
- 日本フットサル界にどれだけの未来があるのか?
Fリーグを今季から観始めた一ファンの意見としては、Fリーグが直面している危機感を表した記事ばかりが印象に残っている。
ネガティブな空気が蔓延している。キャンペーンなどではなく事実として、今まで触れてこなかった世界だからこそ、自分の予想以上に事態は深刻なことが分かった。
このような閉塞感から抜け出すには、過剰なポジティブキャンペーンではなくて、フットサルの魅力を最も感じているであろうFリーガーたちからの現状を意識した発信によって、既存のメディアを味方に付けて声を大きくしていくのも一つの手ではないだろうか。
かといって、ネガティブな空気をそのまま引っ張る発信だけではバランス感覚が難しい。
正しく現状を捉えること。付いて回るのは金の話。先立つものが無ければ夢も語れない。
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フットサルは本当に素敵です。
「やる」スポーツだけではなくて、「観る」スポーツとしてもこれほど複雑という意味で明快な中に秩序があるのは素晴らしいと思う。
トランジションの頻度によってカオスになりがちな局面の中で、秩序を持ってコントロールしていくことで、カオスの局面でさえも包括的な秩序への移行が幾何学的な美を作ります。
監督、選手ともに芸術的良心(≒理想)があるからこそ、批評家としての視点もあるでしょうし、現実との鍔迫り合いといった複雑さに魅せられているのかもしれません。
偶発的で連続性のあるスポーツならではの困難さをコントロールしたい欲求が、アスリートでありながらもアーティスティックにしているような。
ゴンさんが皆本選手を「ミナ」と呼んでいたのがほっこりハイライトだった。
ちなみに、1月6日22時からAbemaTVで未公開シーンが放送される。ほっこりハイライトの更新はあるのかどうかを期待したい。