おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

伊集院光嘘伝説カルタは空前絶後の攻めガルタ

伊集院光深夜の馬鹿力リスナーなんだけど。

別に深夜ラジオをこそこそ聴いて眠れない寂しい夜をラジオに寄り添って貰いながら酒をちびちびやっているわけではないんだけど。

深夜の馬鹿力の話。

名物コーナーの「新・勝ち抜きカルタ合戦 改」で2週続いて勝ち抜いている「伊集院光嘘伝説カルタ」にビックリしている。

12月18日の放送から新進気鋭のカルタとして登場してきたこのネタの趣旨は、「伊集院光を語る上で伝説となるであろう美談や噂をリスナーが想像を働かせて表現する」こと。

このカルタに入る前のマクラとして石原さとみの(実際にあった)美談について触れ、伊集院が「俺もあんな感じの美談が欲しいから(嘘でいいから)送って」というお約束のもとで企画されたカルタ。

テレビでの求められる立ち位置を器用にこなすタレントとしての伊集院のクリティカルさもありながら、ラジオでは時折葛藤や珍言・妄言が爆発して着地点をどうするかという「テレビ的」とは求められている像が違うのがラジオ(深夜の馬鹿力)の良いところであるけれど、伊集院光の人間としてのデリケートな部分はラジオやツイッターでのフォロワーとの距離感をみると窺い知れるわけで。

 

  • ただ、このカルタはどこまで伊集院を弄れるのか?

ギリギリのボーダーラインがハガキ職人に投げられている構造が面白い。

色々なコーナーがあるけど、実は一番ハガキ職人と伊集院の間でキャッチボールができるカルタではないだろうか。

採用されるためにハガキ職人たちはハガキに魂を込める。伊集院が採用すれば、ラジオから自分のペンネームとネタが読まれるのを聴くために、その一瞬に懸けている。あ、私はハガキ職人ではないです(ハガキ職人については突き詰めて行ったオードリーのANNで有名なツチヤタカユキ『笑いのカイブツ』を読んで痺れて欲しい)。

 

どんなネタも採用されるかどうかは伊集院の匙加減。

しかも採用されたからといって、ネタが放送中で映えるとも限らない。ネタが読まれた上で伊集院がどのようなコメントを添えるかによって、ネタとしての爆発力が変わることもしばしば。

尺の都合や読み手の伊集院のテンションにも左右されるので、純然たるリスナーでもある私のような素人的には独立して結構刺さるネタでも、伊集院が一言添えるかツッコむかどうかで印象が変わることがある。

今回のカルタもそういったお約束は当然同じだけど、ハガキ職人がどこまで伊集院を攻めれるか?どこまで伊集院が許容するのか?みたいな攻防があるように思う。

「(嘘の)美談を送って」という共通理解から、迎合するようなコテコテなそれっぽい美談ばかりでは、カルタとしての幅が狭くなってしまう。かといって、雑な美談風だらけやネタとして攻めすぎるにしても当初の趣旨(石原さとみの件からのフリ)とのバランスが難しくなってしまうような気もする。

それでも印象に残っているのは、12月18日の放送回での「うる星やつらラムちゃんは伊集院がモデル」という雑さなんだけど。

 

 

個人的に近年で最も刺さったカルタは「黒歴史カルタ」である。黒歴史を晒す趣旨だから読まれるペンネームが馴染みのないものばかりというのも最高だった。覆面ペンネームだらけだったのはあのカルタならでは(そもそもペンネームに覆面性があるのに)。ネットの人格の一つであるペンネームというペルソナ、虚像が信頼やステータスを獲得していき、自己情報のコントロールの幅が広がっていくのは現代なら当たり前のことなのかもしれない。だからこそ、積み重ねてきた虚像(ペンネーム)にでも覆面を被せてしまうほどの強烈な黒歴史の存在。

あのカルタは本来、黒歴史を公共の電波に乗せるみたいな変態性ばかりに目が行ってしまうが、墓場まで持って行くと堅く決意した秘密でも人間には口があるのでどうしても誰かに話したい欲求がある。その葛藤だと思う。

中にはネタとしての飛距離が走り過ぎた(オーバーすぎて)のもあったけど、黒歴史特有の名前も顔も知らない他人のグロテスクな思い出が伊集院に読まれる瞬間、変なネタに対して変な雰囲気になる絶妙さが、あのカルタにはあったのを覚えている。

 

伊集院光嘘伝説カルタ」はそういう面白さとは違うにしても、今までのカルタとは毛色が違うような読み手の伊集院とハガキ職人とのせめぎ合いがありそうで良い。

どんなカルタにも共通して言えるのはハガキ職人が、カルタの制約の中でどれだけ敷地を掘れるか。カルタとしての幅をどのように表現するか。これは垂直的な意味合いが強いと思う。ネタの着想はハガキ職人の数だけあるし、どのハガキ職人もカルタに忠実に、そして面白く爆発しているけども、特にこの「嘘伝説カルタ」は職人がどこまで方向性を広げられるか。

つまり水平性的なカルタではないだろうか。しかも、そのネタの対象がリスナーが慣れ親しんだ伊集院光

多分、このまま勝っていくカルタだと思う(12月26日現在)。

面白いから。

それでも、私が思っている以上に爆発するポテンシャルはあるだろうし、どこまでカルタとして広がっていくのか全然分からない。

 (2018年1月8日回で負けました…)

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勝ち抜きカルタ合戦のコーナーは、伊集院がネタを読む。オリジナルのカルタの設定で、ネタを集めるのだけど、伊集院のテンションが上がっている時のネタの読み方には「目の前にそのカルタが並べてある」ように触れるし、「そのカルタを取る前後のリアクション」をイメージしたツッコミが入る。勿論、リスナーは「そういう設定」なのは知っている。でも、ラジオの向こう側の伊集院がカルタを前にして、カルタを取りながら楽しんでいるのが分かる時、リスナーも波長がリンクしているから最高なんだよね。