おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

嫉妬は人生の辛口スパイスだ

久しぶりに嫉妬した。

七つの大罪の一つに『嫉妬』がある。嫉妬することは醜悪だと教えられ、自覚してから、ある程度の歳を取ってからは嫉妬するような機会は無くなっていた。大きな環境的な変化が無いまま時を過ごしているかもしれないが、『憤怒』はあっても『嫉妬』はあまり。

 

とある人の記事を読んだのがキッカケであった。

感心することはあっても、妬むほどのものは然程ないものであるから、久しぶりに湧いた感情にビックリした。

その人の記事は情報の整理整頓が行き届いた記事としてのフォーマット、構造、分析が明確となっていて感服したわけであるが、それと同居した嫉妬心もあった。

ここでふと考えたのは、嫉妬というものは決して手が伸びないと思っているからこそ芽生えるものではないかと。リスクペクト100%の感心しきりだったら、嫉妬の余地なんて無いのでは。

その人の記事を読んで妬んだということは、自分でも手が届く範囲であるからと無自覚的な対抗心が感情を燃やしたということになる。一方で、自分如きがと線を引く己を客観視する面もありながら、やはり妬める程度の対抗心を抱けている事実を認知している自分もいる。

この辺の難しさよ。

しかし、『嫉妬』が悪いものだとは思っていない。寧ろ欠かせないものではないだろうか。妬み嫉みがあるからこそ、人々の競争が煽られる。ケツに火を付けるのは激情だろう。

「たとえば、傲慢なところがまったくない人というのは、自信がない人のことじゃありませんか。誰からも強欲と言われない人は、きっと家族を養うことも難しいでしょう。世界中の人が誰にも嫉妬しなければ、新しい技術が生まれるとは思えません」 米澤穂信遠まわりする雛

 

競争を勝ち抜くために、出し抜くためには分析が必要不可欠である。自分と相手の相対的な力関係を前提に戦略を練ることが求められる。主観的なもので固まらずに、周りの助言や姿勢を倣うような吸収していく柔軟性を用いて、分析した事実に向き合い、研鑽していくことが大事だ。

 

立川談春『赤めだか』において、兄弟子、弟弟子といった談春志らくの繊細な関係性と技芸における実力と伝統の世界の一端が書かれている。

若き日の談春に声を掛けた家元。

立川流の落語家の立川談志に纏わるエピソードとして、弟子が壁にぶつかっている時にそれとなくタイミングを図って助言をする家元の姿勢は欠かせない。師匠としての背中を見せ方であろうか。惚れた相手(師匠)からの言葉を一言一句漏らさずに全身で声に傾ける弟子。

その一節が忘れられない。嫉妬に燃えた日、この言葉を刻む。

「お前に嫉妬とは何かを教えてやる。己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかというと原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という」

 

赤めだか

赤めだか