メッシに思いを馳せて
レオ・メッシはサッカーが楽しめているのだろうか。
そこがバルサとアルゼンチン代表の違いだと思う。
クラブと代表を比較するのもそもそもバックボーンを考えるとオカシイ話であるが。
背負っているものが重過ぎる。
メッシに限らず、しかし国を代表するというのは、そういうことなんだろう。
想像も尽かない。心中を察するなんて安易に使えない。
メッシ自身がどう思っているかはインタビューしないと分からないが、ピッチ上の偉大なるディエゴ・マラドーナの亡霊との比較論は永遠に付き纏う。それを振り払う機会はワールドカップのピッチしかないだろう。
マラドーナとメッシ。
当時のサッカーと現代のサッカーの違いとかではなく、メッシが対峙するのはワールドカップの偉大なる歴史そのものかもしれない。
勿論、メッシ本人は純粋にタイトルを欲していると思うし、チームと国民と歓喜に酔い痴れたいと思っているだろう。
比較論なんて私のような外野の肴でしかない。ただ無責任なもので、そういうストーリーを作りたがるんだが。
メッシには楽しんで欲しい。
お前らがこの試合を面白がれるかどうか!/面白い試合になれば観客も盛り上がる。お前達も余計楽しくプレーできる。そういう時だよ。自分の想像を超えたいいプレーができちまうって時は!
『GIANT KILLING7巻』達海猛
ニーチェの提言した「超人」は最終的に「幼子」がモデルとされている。
何にも干渉されず、ありのままの自由で無垢のままに「超人」的なプレーで魅せて欲しい。