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しまいには世の中が真っ赤になった。

今野晴貴『ブラックバイト 学生が危ない』読書感想

 

 

 概要

学生たちを食い潰しているブラックバイトが社会問題化している現状で、全国規模のチェーン店として展開されている「外食業」、「小売業」、「学習塾」が代表的であると書かれている。

世間的に大々的に報道された温野菜のパワハラ事件は、学生という弱い立場を利用された結果、バイト先での職業責任と労働災害パワハラと時間外超過勤務などによって引き起こされ、事件の渦中にいた学生は単位を落とし、テストに出られないといった学生の本分に支障をきたした。

また、ファミリーマートでの案件は、学生が辞めたくても辞められない立場に立たされて、無理矢理にでも辞めると言うと損害賠償請求といった脅迫を受けた。両親からの仕送りはあるにしても、学費は自ら賄っていた本件の学生にとって、アルバイトは学費と就活のための費用を稼ぐための意味合いでダブルワークしていたが、心身ともに支障をきたした際に、コンビニを辞めたいと伝えたところ、「うちを辞めるならもう一つも辞めろ」と言われたこともあったようで、貧困につけ込んで働かせ、従わないならばさらに貧困に叩き落とすという足元を見るやり方を一例として紹介。

その他にも、学習塾のワリに合わない労働対価が、徐々に責任や負担が増大していく負のスパイラルが記されており、学生アルバイト講師が塾の営業の最前線であるから、責任が結果そのままに反映される学習塾の側面やすき家の無茶で過度なワンオペ事例を参考に紹介している。

そもそもブラックバイトという言葉は、中京大学の大内教授によって提唱された。

自身の講義に出席している学生にアンケートを実施したところ、劣悪な学生アルバイトの実態がわかり、実は全国規模でも同様だったことがフェイスブックによる発信から分かった。

これによってブラックバイトが「学生の使い潰し」を引き起こす労働問題、社会問題であることが明確となり、フリーターといった非正規雇用との区別を付けてから、改めてブラックバイトは「学生であることを尊重しないアルバイト」として定義された。

2014年の全国学生アルバイト調査結果から、学生の長時間労働のアルバイトが学業に影響している点、特に深夜勤務の場合にはその影響が色濃い点、バイト先のシフト決定のあり方が学生への配慮を欠いていることから弊害を受けている点、学生の貧困化がアルバイトの長時間労働化に影響している点、多くの学生が不当に扱われている経験があるにも関わらず、問題が解決していない点、労働条件を記載した書面が交付されていない点などが明らかになった。

ブラックバイトの3つの特徴として、学生の生活全体がアルバイトに支配されてしまう状況を指し、職場の中でも過剰に戦力として期待されてしまう「学生の戦力化」、学生として、さらには子どもとして扱われるためから発生する「安く従順な労働力」、上下関係を背景にした脅迫・暴力も辞さない「一度入ると、辞められない」を挙げている。

具体的には「学生の戦力化」では、自分がいないと職場が回らないことから休めなくなる。責任が増大し、学生アルバイトが正社員不在の中で責任を押し付けられやすいことから、長時間・深夜勤務が日常化し、断ることが難しいシフトの強要が避けられない事態に陥ることを示している。

「安く従順な労働力」は、学生という属性から、使用者によって社会的に人格的に劣位に置かれ、子ども扱いされてしまう。その結果、雇用関係を超えた上下関係が発生して責任ばかり中心的労働者のように使用される。罰金、自腹購入、ノルマの設定など不合理な状況が発生する根拠は、学生という弱い身分からの社会的地位の優越といった上下関係から、法律をも無視した利用が現場では罷り通っているとのこと。

「一度入ると、辞められない」は、職場の中で戦力として数えられている現場の責任から辞められなくなってしまう心理や、責任感の裏返しとして責任を果たさなければ簡単に職場から追放されてしまうという恐怖心があると指摘。責任感を利用しつつも、更なる強硬手段として契約違反による損害賠償請求という脅迫や暴力といったケースが多いようで、学生を「辞めさせまい」として最後に現れるのが剥き出しの暴力という現実を指している。

また、大学生のみならず高校生もブラックバイトに搾取されている対象として紹介されている。

高校生は大学生よりも大人に弱く、従順で安いことから貴重な戦力であるが、大学生以上に労働者として不当に扱われやすく、労働者としての権利を認めないといった人権侵害も目立つとのこと。

ブラックバイトが全国規模に展開しているチェーン店でのケースが多いのは、今日のチェーン店の労働は単純化・画一化・マニュアル化されていることから、オーナーや正社員の店長であっても、短時間で習熟し、予定通りに業務を遂行することが求められているからである。

マニュアル化された単純な業務に従事する労働力の充当が、経営戦力そのものになるので、学生アルバイトはこの業務を遂行するための基幹的労働を担っていることから、近年の商業・サービス業が単純化されたことで、学生アルバイトへの依存が増してきた側面と、業務の質を求めて学生への依存を深めてきた側面が同時進行してきたと筆者は分析し、「量」の要求と「質」の要求はブラックバイトを引き起こす要因となっているとのこと。

アルバイトに圧迫してくる正社員は加害者として見られがちであるが、社会的には被害者の一人である点は見逃せない。

ブラックバイトとブラック企業の正社員は競合し合う関係にあり、上下関係があるのは前提としてある正社員にしても、アルバイトと限りなく同等の労働力として編成される。正社員も替えが利く、量的な負担を求められる存在で、正社員にせよ、アルバイトにせよ、企業からすればマニュアル労働を充当してくれればよい経営判断があるから、どちらも使い捨ての点は否めない。

ブラック企業の経営手法は、単純労働を最大限安いコストで充当することで、利益を最大化させるというところにあるので、この構図の中では正社員もアルバイト同様に搾取される対象でしかない。

学生が過酷な労働を受け容れてしまうファクターとして、責任感が挙げられる。仕事への責任感や個人としての責任の範疇を超える管理責任、経営者としての視点といった経営への参加者として意識を持つことになる結果責任という次元まで引き上げられるからとのこと。

企業からの過剰な要求に対して、学生に無間地獄のような責任を負わせる仕組みの一役を買っているのが、あたかも職場が学生自身に重大な意味を持つ共同体であるかのように受け止めているので「経営に擬似的に参加させる」ことが、後々のやりがいや達成感を与える。その「やりがい」を利用して、法規範を超えた過剰な要求が希薄な権利意識を浮き彫りにさせるような案件が多発している。

学生にとってアルバイト経験は、社会経験を積むための機会であり、就活時の売りにする側面もあるので、アルバイト経験は自分自身への投資、すなわち「人的資本への投資」である。その実績がステイタスとなるから、アルバイト経験での失敗が、社会的に失敗の烙印を押されたように感じてしまうので、学生は受け容れてしまうという心理が働いている。

ブラックバイトが広がっている最大の背景にあるのは、学生の貧困と奨学金の問題がある。

家計状況の悪化と学費の増大によって、学生はアルバイトに従事する機会が増え、学費面だけではなく、就活資金を稼ぐという理由もある。

また、卒業と同時に借金として現れる前借の教育ローンとして働いている奨学金が、学生の将来への恐怖感を強めているので、返済の大変さと難しさが時限爆弾的であるから、早急な返済への圧力がブラック企業やブラックバイトに縛り付けていると指摘。

だからこそ学生が経済的な事情からブラックバイトを辞めることができず、不当な労働力を強いられている。経済的事情や責任感やパワハラなどの脅しが加わることで、ブラックバイトの支配をより強固にしてしまっている。

学生にとってアルバイトは、非正規雇用労働という意味合いだけではなく、社会的に自分が試されている場として自己承認を確立できるのかどうかという意味も含んでいるので、前述した責任感などによって経済的にも心理的にも複雑に絡んでしまっている。

このような背景には、経済状況や正規・非正規雇用共通の「下層労働市場」が形成されているさまが、商業・サービス業を中心にして蔓延している点と少子化による人手不足がリンクしているとのこと。

人手不足でも賃金が上がらないのは、単純な労働力不足ではなく、ワンオペのような過酷な労働やフレキシブルな勤務対応に従事しながら、最低賃金水準の雇用関係が求められているので、主婦や学生にとっては対応することが困難である。

しかし、労働市場の要求が無理な働き方に対応できる労働者なので、その結果として不足しているという点になってしまう。

以前から、非正規雇用問題は大きく変化していた。

正社員は男性で、女性や出稼ぎの農業労働者が部分的な仕事を担うといった棲み分けがあったが、棲み分けが解消されて家計を自立しているのが非正規であることは今日では珍しくもない。自分自身で家計を賄う必要性があるが、低賃金・不安定な働き方が急増し、2000年代に「ワーキングプア問題」を引き起こした。

そこから、アルバイトであろうが正社員であろうが、その待遇に関係なく企業の業績に責任を負い、競争しなければならず、自身の生活なども働き方に適合することが求められているのが日本社会である。

それらの解決策として、アルバイトの立場を明確にすることで、学生自身は勿論、周囲も正しく認識し、企業もそれを踏まえた上での雇用関係を管理することが必要と記されている。

また、学生がアルバイトに従事する根本的な問題として学費が挙げられるが、学費の値下げや現状の教育ローンの教育政策の見直しの必要性がある。給付型奨学金制度の創設、労働教育という視点が解決策の一例として挙がっている。

最後のあとがきに筆者は以下のように記して警鐘を鳴らしている。

日本の企業が「目先の利益」だけを考えて行動し、一過性の利益を求めて若者を食い潰しているように見える。そして、それはますます苛烈になり、広がっている。若者世代では少子化が進み、過労うつの社員が、今や膨大な数に上がっている。この使い潰しの経済が、学生にまで及ぼうとしている。このまま若者の使い潰しが進めば、日本の社会に将来はない。一過性の利益を上げるための一部の企業の行動が、私たちの「未来」をも食い潰してしまいかねない。

 

他人事では済まされない半径5m以内の問題 消費行動も政治的行動である

私自身にはこのような経験はないが、ブラックバイトとして紹介されたケースに類似したものを友人や知人から聞いていたので、とても他人事とは思えなかった。

学生の貧困は、経済的事情や学費の増大がそのまま直結している。

私立大学に通っている学生はなおのこと直面している問題だと思う。

奨学金を利用し、少しでも学費や生活費を工面する為に学生はアルバイトに従事する。家計的にも自立していくためにダブルワークも珍しくない今日では、ブラックバイトのように雇用関係を超えた人権侵害や人的負担が、社会的に弱い立場である学生がダイレクトに被害を受けるケースは後を絶たない。

職場での上下関係の在り方から、下層に位置付けされやすい学生が、職場の戦力として中心化して、権利意識が希薄なまま一アルバイトの責任の範疇を超えた負担を強いられる負のスパイラルは度々テレビや新聞で目にしたことがあった。

本書では、雇用する側の心理と経済市場と雇用される側の心理を分析しているが、就活前の社会的トレーニングとして位置付けて働いている学生が、失敗したという烙印を押されることの恐怖からますますのめり込んでしまうといった心理はグロテスクであるが、頷けてしまう。

当時問題となった「すき家」のワンオペを行っていた私の友人も、そのような心理があったらしく、「逃げること」は「悪」という社会的な風潮や「逃げた」事に対しての「弱者」というレッテルが安易に貼られやすいことから、過酷な労働環境に心身を投じていた記憶がある。

特に、コンビニの業務の多種化は近年増加していくのは消費者側としても身近に感じられる。そういった業務の量のみならず、労働者は営業面でのサービスの質が求められる時代になってしまっているが、そのサービスの恩恵を得られているのは私たち消費者である。

コンビニが便利なのは言うまでもないこと。今更コンビニが縮小したら、それまでのサービスの便利さに依存していた消費者は戸惑うだろう。

企業側の過度な要求が生み出す労働者への依存のみならず、消費者側のニーズという依存も絡んでいるので、ブラック企業、ブラックバイトの労働問題は社会的に浮き彫りになるべくしてなったと思った。

奨学金の利用が継続していなかった私でさえも、奨学金の返済はとても近い将来への不安として付き纏っている。

未来への自分への投資として大学に通うために、未来への自分にお金を前借することで不安を押し付けるのが奨学金の現状だろう。そのサービスがあったからこそ、大学に在籍出来たのも事実である。大学の乱立や学部の増設などで、今後大学進学する若者はより増えていくだろう。

そこで、ワーキングプアといった貧困問題は更に拡大していく流れでもあるから、経済的な援助として、現状のままの奨学金制度だけではなく、文献内にもあったように給付型の創設を求める声は大きくなっていくはずだ。

奨学金の返済に追われる卒業後の学生や学生の貧困化は、より深刻化していくと思う。その深みがブラック企業やブラックバイトの温床にもなるだろう。お金を稼ぎたい若者の心理を利用した不合理な労働環境が強いられてしまうのは、重大な社会問題である。

このような理不尽が罷り通ってしまっている日本の社会システムは嘆かわしいが、それが無いと成り立たないサービスが乱立して、私たち自身が依存してしまっている点から目を背けては駄目だろう。

便利であることは正しいのかどうか。理想は正しいのかどうか。視点の置き方、相手方、俯瞰で観ることによって、構図を捉えることは様々なことが変化して分かってくるものである。

これから仕事に従事していく若者はフレキシブルな労働環境への対応だけではなく、権利・義務の関係性や法規範や労働者としての尊重などに対して、しっかりと対応されているかどうかを厳しくチェックする必要性がある。

雇用関係であるにしても、その範疇を著しく超えた力関係については守られるべきものは守られないといけないというスタンスや「アルバイト」の立場を明確にすると同時に、労働者から企業体質の審査を受けているという視点もフレキシブルに持ち合わせることが求められていくだろう。

不条理であるような過度な労働への要求が、労働者の心身を蝕み使い捨てに至っても、自分の替えはいくらでも居るという背景は面白くない。

社会的に脱落者や弱者とラベリングされてしまうことに対してのケアも必要で、周辺の理解もより深まっていく必要性もある。この状況が不自然であることに疑問を持ち、今の暮らしが成立している背景には企業からの過度な要求と消費者側の利便さを満たすためのニーズがマッチしていることであるので、現状を正しく捉えて声を挙げていくのが大事だろう。

マルクス「資本論」が書かれた頃の労働状況は過酷:マルクス「資本論」