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しまいには世の中が真っ赤になった。

川越市から覗く「町並み保存型まちづくり」

 

観光まちづくり 現場からの報告―新治村・佐渡市・琴平町・川越市

観光まちづくり 現場からの報告―新治村・佐渡市・琴平町・川越市

 

 

地区計画の一つに街並み誘導型地区計画がある。

これは、地区の特色に沿った街並みを誘導し、土地の有効利用の推進や良好な環境の形成を図り、そこから派生したものとして町並み保存がある。

町並み保存とは、複数の歴史的・伝統的建造物等が残り、それらが連続して建ち並ぶ町並みを保存する事業・活動のことを指す。それらを象徴とする町並み保存型まちづくりにおいて、歴史的な町並みという残された空間資源を手掛かりに地域社会の活性化と再生をはかるまちづくり運動があり、その事業・活動の対象となる区域は町並み保存地区等と呼ばれる。

歴史的町並みなどを地域ならではの個性や魅力で再生させ、住民の生活環境を整備することを目的としている。保存の方法には対象地区を指定または選定する国選定重要伝統的建造物群保存地区によるもの、都道府県や市町村等の時報公共団体による景観条例などにより対象地区を指定する伝統的建造物群保存地区・町並み保存地区等がある。ここでは、伝統的建造物群保存地区(以下 伝建地区)について述べるとともに筆者の住まいから遠く離れていない川越市を題材として取り上げる。

先ず、伝統的建造物群保存地区制度は1975年の文化財保護法の改正により導入された。その背景には旧法の文化財保護法の限界や歴史的環境保全に対する住民運動地方自治による条例の制定などがあった。それらは高度経済成長による急激な都市化や生活の現代化などにより、一層文化財の破壊が進展したことが大きい。建造物に関して言えば、近現代建築の破壊も付随して行われた。

そして、保護する動きを主眼に置かれた改正後に目立った動きとして、伝統的建造物群保存地区制度の創設や町並み・集落の保全や市町村による地区指定と国による選定である。また、重要文化財環境保全措置や保存技術の選定制度などが挙がる。

文化財保護法においては、文化財の定義に「伝統的建造物群」が追加された。

「周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの」とし、伝建地区は「伝統的建造物群およびこれと一対をなしてその価値を形成している環境を保存するため市町村が定める地区」と指定。基盤のしっかりしたルール作りを徹底した。

伝建地区制度の特徴は、町並み・集落の歴史的環境に対する「面的保全」を初めて制度化したものである。

都市計画区域内において、伝建地区を指定することができるという都市計画法との一体化があり、市町村が住民との話し合いの上で自主的に地区を決定する方法が採用されている。対象となる歴史的環境は住民の生活環境そのもの。そこで生活する住民の同意が無ければ環境保全は継続できないことを示す。

前述の通り、伝建地区制度は町並みを総合的に保存・保全していくための仕組みを具有する取り組みである。伝統的・歴史的な地域資源を発掘し、それらを価値付けることをし、保存・継承していきながら活用する手法を住民たちとともに探っていくシステムだ。

伝建地区制度の恩恵の一つとして知名度が上がることで観光客が押し寄せ、地域が活性化する点がある。町並みの価値が損なわれない限り、そしてそれを守り続けようとする住民の意思がある限り、未来永劫に続く制度による保護が続く好循環が発生する。

伝建地区制度は、専門家と地元の協働による町並み調査が一体となるもので、その成果を学習することによる住民自らの町並みの価値を再認識する。町並み保存をまちづくりの柱に据えるという住民間のコンセンサス形成や行政や専門家との協議を経た住民自身による保存地区の画定と保存計画の策定が特徴と言えるだろう。

次は、伝建保存対策調査の方法について論じていく。

最初に町並みの履歴調査を行う。研究文献の収集と調査を通して、町並みの成立と展開のプロセスを場所と空間に即しつつ解明する。町並みの歴史だけではなく、保存計画につながるように伝統的建造物群が展開する場所や空間のもつ秩序や構成の根拠が説明されるところに特徴がある。資料分析により、現況の地籍図上に町並みの変遷が明示されることが求められ、その成果を根拠に望ましい保存地区設定の立案が行われることになる。

その次は対象となる建造物の履歴調査である。伝統的建造物の来歴、配置、平面、断面、痕跡の採取と実測による個別建築の履歴の把握を通して、町並みの建築的特色を明らかにする。歴史的町並みを構成する建造物の残存状況とそれら伝統家屋が語る歴史、そして構成要素として語る町並みの歴史を解明することが求められる。

第三に景観の現況調査。景観要素の分布布陣と建造物立面の採取、実測、三次元モデル化などを通して、景観要素の残存状況と町並み景観の構成を把握し、町並み保存の課題を抽出する。

第四に町並みの社会調査。町並み保存などの地域活動調査、町並みの居住者と来訪者の意識調査、町並みを支える伝統産業、伝統技術などの実態調査を通して、町並みと地域社会の関わりを探る。伝建地区制度に伝統的建造物群という文化財の保護に加えて、まちづくりの支援制度を確立。保存地区指定の根拠となる保存対策調査において、町並みを抱える地域社会に関する調査は必要不可欠であり、ヒアリングやアンケートを行うのは当然である。

最後に町並み保存の構想立案を行う。これらの調査結果について総合的な検討を加え、保存継承すべき価値としての町並みの特性を具体的に把握して、その価値を保存し高めていくための保存地区設定と保存計画の基本方針と枠組みを提示していく。

伝建地区制度のプロセスにおいて、次のステップとして伝建地区保存計画の枠組みを決めることが求められる。

伝建地区内の家屋の修理や公共空間整備などの保存事業をコントロールする根拠が、各自治体で制定する保存条例や景観条例であり、この条例に基づいて地区ごとの状況に応じて具体的に策定される保存計画が実質的計画となる。

そのために欠かせない保存地区の設定がある。

歴史的条件があり、これは調査によって明らかになった町並みの特性が及ぶ範囲を保存地区にする。

さらに社会的条件。これは保存地区指定後に町並み保存を実質的に支えていく地域コミュニティとしての町並みを形成する範囲を保存地区にする。

また景観的条件。伝統的景観要素の残存度とその分布状況に基づき、将来的に伝統的景観の形成可能な範囲を保存地区にする。

そして技術的条件。修理などの指針を示すことができる範囲を保存地区にする。

そして、具体的な整備計画に入る。地域の空間形成に関わるものの、その中で伝統家屋を含む個人の住宅や事業所などの建設活動のコントロールに関する保存整備計画があり、町並みの管理施設や防災施設、道路や公園、公共施設といった社会資本整備に関する環境整備計画、それらを具体計画として遂行する為の保存システム整備計画で構成されることになる。

以上が伝建地区制度の簡易的なプロセスである。

さて、筆者が本論の伝建地区制度のモデルとして挙げるのが埼玉県川越市である。町並みは蔵造り町家が中心であるが、木造町家や洋風建築などが明治から昭和にかけての多様な建築が分布している。

城下町としての始まりは長禄元年まで遡る。本格的に形成されたのは天文15年頃と言われている。江戸時代に入ると江戸の北方の守りや物資流通の集散地としての地位を築き、地方の中心都市として繁栄を始める。

現在では近代的商店街である駅周辺商業地とクレアモール、それに続く大正の雰囲気漂う対象浪漫夢通りが川越を形成している。

具体的なまちづくり活動は1970年頃から行われている。

寛政4年に建築された大沢家住宅が国の重要文化財に指定されたことを皮切りに、1974年に建築学会関東支部による歴史的保存計画コンペが行われた。これを機会に住民活動に文化財保護運動に加えまちづくり運動の面も出てくる。

1975年、市によって伝建保存調査が行われるものの商店主を中心に反対があり、地区指定されなかったが、1981年市が蔵造り16軒を市の文化財に指定。この頃からマンション建設計画が持ち上がり反対運動が起きる。

しかし、それでもほぼ計画通り建設された。行政も条例などの規制がないため対応できなかった。1983年「住民が主体となったまちづくり、商業の活性化によるまちなみ保存」を目的に住民、市職員、外部の町並みファンや専門家が集まり、蔵の会を結成。その提言から本格的に町並みを活かしたまちづくりを開始。まちづくり規範の作成とそれに基づいたデザイン誘導が始められた。

1989年には川越都市景観条例を施行。景観形成地区による景観誘導を目指した。条例、伝建地区指定などを住民に説明しようとしたが、都市計画道路の拡張案が一部住民の反感を買うことも。

1992年、市の町づくり案の承認機関として北部町づくり自治会長会議が設立されたが、この案を全て白紙に。自主的な案の提示を目標とした名称も十カ町会と改めた。

これまで度々マンション建設に反対運動が起きていたが、この頃から対応策として伝建地区が検討され始める。

1994年、若手住民を中心に町並み専門委員会を設置し検討を重ねることで、伝建調査の要望書を市に提出。町並み専門委員会はワークショップを開催。各種制度の比較検討、伝建地区範囲やデザイン誘導基準の検討などを行った。

その成果は町づくり通信として全住民に配布。この効果もあり、十カ町会が行ったアンケートで回答者の8割が歴史的町並みを保存したいと回答し、市へ要望書を提出までに至る。市は伝建地区指定に関する意向調査を行い、およそ9割の賛成を得た。

1999年に伝建地区の都市計画決定手続きを行い、都市計画道路をほぼ現状に維持する縮小変更を行った。同年に重要伝統的建造物保存地区に選定されるという経緯を持つ。

川越市の伝建地区の特徴は、住民による町づくり組織の存在である。

町並み委員会は一番街の町づくり組織で、メンバー構成は一番街商業協同組合委員、学識経験者、地元有識者などと多彩。市と商工会議所もオブザーバーとして参加している。また、町並み委員会と連携した協議も行われた。

伝建地区で建築行為等をする場合には、計画案について事前に市と相談する必要があり、ここで伝建地区制度やデザイン誘導基準、町づくり規範が説明され、町並み委員会に届け出るようになるという段取りもきちんとしている。

伝統的な建物は保存し、新しい建物は厳格に伝統的様式に従うか、町並みとの調和を崩さない範囲で新しいデザインを追求するという原則のもの、町並み委員会は町づくり規範に従って、建築計画が適合するか検討する。

さまざまな団体の活動によって川越のまちづくりは続けられてきたが、伝建地区指定への合意形成では自治会を基盤とする十カ町会が大きな役割を果たした。デザイン誘導においては、住民自らまちづくり規範を作成。

まちづくり規範には、新しいデザインでも川越らしさを活かしているものであれば受け入れる柔軟性があり、伝建地区としてもこれを許容したことは画期的である。

しかし、一方でデザインの質を維持できているかという疑念も残った。

川越市は1970年代以降、蔵造りの町並みへ統一し、観光客の増加も相まって商業の復活が図られてきた。

このような町並み保存に努めてきた行政と民間・住民の努力の結果、観光客が増え、個々の商店の売り上げに寄与し、さらに商業者が率先して町並み保存に取り組むといった好循環が生まれたことは見逃せない。

町並み保存の景観の変化についても触れておきたい。

川越市一番街の県道幅院は狭く補導も無いため、県の地中化事業の対象とならなかったが、市は一番街が市のシンボルでもあることから、東京電力などの協力を仰いで、電線の地中化を遂行した。

民間の協力によりポケットパークを整備し緑の潤いと安らぎのある空間作りを意識した。また、アスファルト舗装から石畳に改修されたことで、景観的に落ち着きのある雰囲気を醸し出すことになった。

さらに、一体となっている住民の意識も見逃せない。

地元の商業店舗の事業者たちは、業種転換を図ったり店舗を改装する際に、もともとの蔵造り建築を活かすよう工夫したり、蔵造り風建築に改築などすることによって、一番街の町並み景観が統一されるようにしてきた。

その結果、蔵造りを中心とする町並みの整備が進展。商業の売り上げ増加という事実がかつての繁栄を取り戻したという実績がなければ、現在のように町並みの統一は進展しなかったと言われている。

伝建地区制度の導入によって、多少なりとも地域のバランスが図られ、住民と行政の活発な意見交換や連携が行われたことによって生まれた景観を今後も保存していくことが、そこで生活していくために必要不可欠なものだろう。

 

 

参考文献

日本建築学会(2004年)『町並み保全型まちづくり』 丸善株式会社