おおたまラジオ

可哀相じゃない!

村田沙耶香『コンビニ人間』感想 普通とは何か?を超えて

ろこ:読書の秋です。


政夫:ちょっといいですか。オードリー若林の『ナナメの夕暮れ』は読み終わったんですか。


ろこ:正確には読み終えていないです。まだ読んでいます。面白く読ませて貰っています。


政夫:直近のANNの若林のトークゾーンで『ナナメの夕暮れ』に言及していたので是非ともラジコで聴いて下さい。ザックリいうと自分の本を紹介するのって恥ずかしいよねみたいな話です。自意識の話です。


ろこ:あーもー。


政夫:『ナナメの夕暮れ』なんてまさにそうだと思うんですけど、若林が好きな作家さんに西加奈子朝井リョウがいるんですよ。どちらも自意識の作家なので。自意識チルドレンなんですよ、あの人たちは。


ろこ:政夫くんに訊きたいのだけど、読書って孤独じゃないですか。


政夫:超孤独ですよ。


ろこ:そこをどう思う。要は誰々と出来ないみたいな。自分で見つけてやって自分で楽しんで。そういう能力が必要だと思うんだよね。それを近い人にシェアしたとて中々伝わらないというか。


政夫:それについて話してしまうと、これから村田沙耶香の『コンビニ人間』について喋りますというのが頭打ちになりますよね。最初から限界みたいな。袋小路に入っちゃいますよね(笑)


ろこ:(笑)


政夫:でも分かりますよ。読書って孤独ですよ。孤独なんですけど、孤独であるがゆえに自己完結できるんですよ。その気軽さ。他者性を必要としない気軽さって必要だと思います。特に今みたいに過剰に繋がれる世の中だと。一人で何か完結できる気持ち良さ。今の時代を鑑みると相対的にそのような価値が高まっているという話なんですけど、ただ、僕なんかも結構本を読んでいる部類だと思いますが、ろこさんと読んでいる本が被ることはまず無いですし、他の読書家とも繋がっていた時も読んでいる本が丸々被ることはなかったです。同じジャンルが好きという前提でも被らなかったんですよ。それだけに読書においてシェアすることのハードルは超高い。

だからこそ読書会とかの小さなコミュニティがありますが、自己完結できるからこその利便性と不便さ、孤独ってのは、ろこさんが言うように自己充足感があっても他者性が欠落しているために何か物足りないなという感覚はありますね。
特に読み終えた後に感想とか漁っても、ゴミみたいなのしか出ないから困るんですけど、それでもなんとか探り当てた時に、「この記事はいいなあ」で救われるというか。
ちなみに気を付けて欲しいのは、本の感想ブログで感想を謳っておきながら長々と前半で本の中身を紹介するやつ。いや、それ読んでいるから、知っているから。早く、お前がどう思ったのかを書けよと思っちゃうんですよ(笑)


ろこ:それ、やろうとしたわ。


政夫:後半にそいつが思ったことを書いているんですけど、なんとまあ味の薄いことよ。


ろこ:恐い恐い。


政夫:僕が漁った経験からの傾向なんですけど、変にレイアウトに凝っているのはしょうもないのが多いです。ブログの話として。
僕がアタリだと思ったのは、殆どレイアウトはスルーしていて無機質なんですけど、ちゃんとノッテ書いているやつ。端から見ると読み辛いのかもしれないけど、読み易くレイアウトされているものより、はるかに読み心地がいい。


ろこ:あー。それも読書みたいなもんか。


政夫:もう文章から滲み出る豊かさが段違いなんですよね。変に重要なところに赤文字しても、いや知っているから!って。読んだし知っているよって。そうじゃないじゃん、感想って。どう思ったかでしょ。君のやっていることは事実の確認だよね。


ろこ:厳しい厳しい恐い恐い(笑)警察官恐い。


政夫:(笑)『コンビニ人間』の話に入りましょうか。

第158回芥川賞受賞作です。帯に又吉直樹による推薦文があります。
あらすじは

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。
日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、
「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。

「いらっしゃいませー!!」
お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。

ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。


この帯にあるアオリ、これでもう編集部は仕事したなって思いました。

普通とは何か?実存を軽やかに問う衝撃作。

 

ろこ:「普通とは何か?」だよね。


政夫:ただ、僕は言いたいことがあります。この「普通とは何か?」はヌルイなと思いました。読んでて。


ろこ:おお!


政夫:もっと踏み込めたんじゃないのって。


ろこ:警察官恐い(笑)


政夫:まず好きか嫌いかは置いといて、単純にいうとグロテスクです。とても。

社会の歯車として回転している箱というコンビニの「中」と「外」、コンビニという箱の中で帰属している承認されている主人公の古倉さん。彼氏なしバイト経験18年目の大卒。就職しないでずっとコンビニバイトをしていると。僕は読んでいてコンビニという箱が色んな描かれ方がされていまして、水槽箱や歯車という言葉も出てきまして、要するに機械仕掛けですよね。作中にないですが、つまりオルゴール的ですよね。ネジを回せば同じ音や動きが求められているのがオルゴールじゃないですか。毎回、同じ音が鳴る様に。つまりオルゴール的というのはコンビニ的でもあるんですよ。コンビニも均質で均等で記号化されていてマニュアル化されていて合理化されている。それが基準になっているじゃないですか。


ろこ:そうだね。基準だね。


政夫:超コンビニというのが、これこそ資本主義だ!みたいなんですよ。これが伊藤計劃の『虐殺器官』だったら宅配ピザとコーラですよ。資本主義の象徴としてね。ただ『コンビニ人間』は資本主義を揶揄する小説ではないですよね。


ろこ:そうだね。ネタバレをすると、彼女は最後同じ道を歩むわ。その葛藤は忘れたけど。


政夫:無機質な葛藤はありましたよ。なんでコンビニバイトを辞めてまたコンビニバイトに戻るのか、みたいな。それまで機械仕掛けのオルゴール的な箱にいた人間が一度辞めて、切断して、外に出て「私ってなにも無いんだな」という空っぽさに気付き、外から機械仕掛けの箱を観た時に、ちょっと見え方が変わる自意識の変奏を描いているんですよね。


ろこ:そうだね。ちょっと変わるね。


政夫:ちょっと変わってまたコンビニバイトを始めるという終わり方で、これが果たしてハッピーエンドなのかバッドエンドなのかは問われるんでしょうけど…この古倉さんがマニュアル的で合理化されていますよね。自分の意思がなくて機械的なんですよ。それを見て新入りのバイト君が「宗教みたいですね」と。コンビニの音や生活音に機械的に反応しちゃう古倉さんの生態。


ろこ:それに違和感がないんだよね。


政夫:マニュアル化に染まっていない彼は宗教化されていないし、洗練化もされていないんですよ。古倉さんたちは宗教的に洗練されている側なんですよね。それが合理化であり、マニュアル化。それに違和感を持たない…


ろこ:読んでいると「俺もそうかも」と思っちゃうよね。違和を持つ感覚というか。


政夫:このマニュアルってのは、「これで合っているのかな」や「俺間違っていないかな」と不安を正すためにあるんですよね。こうした方が合理的だよ速いよと。みんなこうしているよと。これがマニュアルじゃないですか。

コンビニ人間』は「安心」というのもあって、「安心」は「普通」と繋がっているんですが、女性としての社会の繋がり方が就職か結婚の二択として描かれているんですよ。

「まだその年で就職していないの?結婚していないの?」「結婚した方がいいよ」とか。妹や友人に。その二択から外れた人たちはどうなるのって。外られたらマイノリティなのか。

コンビニ人間』はマイノリティの生き辛さも描いているんですけど、それに対して無感覚なのがこの主人公なんですよ。「私、これで大丈夫なんですけど」みたいな。


ろこ:そうだね。


政夫:安心したいってのは変わらない日常=終わらない日常あるいは無感動な日常のループ。古倉さんは過ぎ去った時間をカウントしている癖があるんですよ。無感動な日常の消費をわざわざカウントしているんですよ。

で、変わらないことに安心して、変わらないことに落胆する。それに危機感はあるんですけど、差し迫ったものではないから、日常を徐々に蝕む程度のものだから、年齢や貞操観念や社会的な「普通」の男女間の役割とかに繋がって刻々と。

ジェンダー的な話ではないから、LGBTというテーマは排除されていますが、「普通」としての男と女しか出てこない。「普通はこうだよね」といったように、普通という強制力に対して自覚的であるかどうか。古倉さんは自覚的な一面もありながら無自覚で無感動で無理解な面もある。そこがちょっとズレているよねって。


ろこ:そのズレが着眼点として面白いよね。だから「普通」か。


政夫:この主人公ってみなさんの幸せのためにアクセル踏みすぎて結果的に空気読めないみたいになっちゃったエピソードがあるんですよね。それは公約数的な幸せの獲得のために「空気を読んで」行動したのに結果的に「空気読めない」になっちゃった。

ろこさんが言っていた『コンビニ人間』はサイコパス的という表現、他人に対して無感動というか暴走の果て、結局ボッチ化していく。ディスコミュニケーションですね。ボッチの問題児がトラブルを起こさないための処世術がディスコミュニケーションで、主体性を喪失し、他人のミクスチャー化をするんですよね。色んな人間の真似をするんですよ。バイト先の人間の喋り方や服装を真似するんですよ。

平野啓一郎が提唱している分人化を出すなら、「分人化の属人化」と言い換えられると思うんですけど、みんな色んな顔を持っているじゃないですか。分人化しているんですよ。それが古倉さんにとっては、ある人を模倣する為にある。ミクスチャーなんですよ彼女は。ミクスチャーロックですよ。リンキンパークです(笑)


ろこ:あー。


政夫:あーじゃない(笑)


ろこ(笑)


政夫:主体性がないんですよ。色んな人のコピーをしているから。それがミクスチャー化して、モザイク的になり、本当の古倉さんって何なの?って。ないんですよね。
この人は空気が読めていないというか空気を読みすぎて読めていない人であり、不器用というよりも器用すぎる自己防衛によって不器用になっちゃっている。一周しちゃっているんですよ。


ろこ:なるほどね。


政夫:それがサイコパスという言葉で片付けられるのは色々抜け落ちていないかなって。環境的に形成されていったということを丁寧に描かれているんですけど、ミクスチャー化に至るまでの温度の無さ、熱の低さは確かに読んでいて恐いんですよ。他人に対する処世術が結局ディスコミュニケーションになり、自分というものを無くす。


ろこ:その一周の仕方か。俺は単純に「普通」って何かな?って抱えながら生きてきたから、共感する部分もあるんだよね。


政夫:それは帯にある「普通とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作」。


ろこ:入りがシックリ来たんだよね。だからパッと読めた。


政夫:なるほど。冒頭に言ったように「普通とは何か」よりも一歩踏み込めるんじゃないかと思うんですけど…その前にミクスチャーの話に戻りますが、彼女の置かれた環境とそこに居ないといけない理由って、彼女がコンビニ人間だからなんですよ。コンビニの商品って毎日廃棄とかもあって中身入れ替わっているじゃないですか。でも商品構成は目立って変わっていない。商品も店員も店長も変わっていない。機能性は同じだし、実態は同じなんだけど、昨日と今日では商品の「中身」自体は変わっているんですよね。日付が古い商品は捨てられ、同じ商品が同じ棚に入るんですよ。同じなんだけど、中身は変わっている。

これ、古倉さんそのものを表していると思うんですよ。常連のおばあちゃんがいて、「ここはいつも変わらないね」と言うんですが、古倉さんは心の中で「変わっていますよ」と思うんです。商品はそのまま入れ替わっているんですよと。この入れ替わりが彼女の心的なものをそのまま表している。彼女自身のミクスチャーを表現している。
で、「普通とは何か?」に入りますが。
ろこさんが刺さった部分です。結局、同じではないし普通ではないし異物だったら排除されるしかないよねと。正常というか普通というパッケージ化されて。

作中では「修復」という言葉が出てくるんですよ。つまり欠陥品なんですよ普通じゃないのは。バイトの新入り君が「僕たちは強姦されるんだ」と言うんですよ。


ろこ:あー。


政夫:普通ではないということ、マイノリティへの普通という強制力は強姦的なんですよ。古倉さんにとっては「修復」されるというイメージなんですよ。欠陥品が。


ろこ:凄い表現だね。


政夫:言葉の暴力性が凄いですね。古倉さんの「修復」という言葉が分かるんですよね。だってコンビニってオルゴール的じゃないですか。機械仕掛けなんですよ。その中の歯車なんですよ彼女は。それは「修復」ですよね。それを強姦されるとは言いませんよね。でも彼は「強姦される」と言ったわけですよ。なぜなら彼はコンビニ人間じゃないから。


ろこ:ちょっと今まで立ったことのない鳥肌が立っている…。


政夫:まだ彼の言い分は身体的なんですよね。古倉さんの言い分は機械的なんですよ。もう肉体的じゃないんですよ。だからコンビニ人間なんですよ。


ろこ:村田沙耶香、凄いな!


政夫:普通じゃないのは駄目なのか?って。この作品では普通ではないと排除されているんですよ。だからこそマイノリティ特有の生き辛さはあるけど、その苦悩は描かれていない。なぜなら彼女が無感動な人間だから。「これでいいじゃないですか」って。BBQのシーンとかまさに。普通に対する強迫観念ですよね。

スペックや評価経済的で、オークション的で裁判所的なんですよ。これアリナシみたいな。これいくらくらいとか。そのために僕たちはスペックを競い合いながら、他者と競争して、安心したいがために自分をラベリングしてパッケージ化。

違う奴らには「普通ではない」として石を投げると。石投げの意識が無かったとしても、古倉さんを取り巻く環境による親切心が結果的に石を投げていることになっている。


ろこ:そうなんだよね。BBQのシーンとか、優しさではないよね。


政夫:優しさではないですね。普通じゃないよ!普通じゃないから安心できないじゃん!みたいな。
それで、彼女は普通ではないのか?ですよ。どう思いますか?


ろこ:それは読んだ人がどう思うかどうか(笑)


政夫:僕は読んでて「これヤバいだろ」と思いますよ(笑)ただ、感覚的に100%ライドできる人間がいるのかどうかといったら、僕はいないと思うんですよね。いや、100人中1人はいるかもしれないです。希望的観測で。それくらい露悪的に描かれているんですよね。古倉さんという生き様が。露骨にこんな人間、普通じゃないだろって描かれ方されていませんか。


ろこ:そうだね。


政夫:普通だ!って言える人はそんないないと思うんですよ。それに対して、ダイバーシティという言葉があるじゃないですか。


ろこ:多様性。


政夫:多様性多様性言う人々よ!あんたらの言っている多様性ってコンビニ人間を受け容れられるのって。これ僕は村田沙耶香の挑戦状だと思いました。


ろこ:(笑)


政夫:これ普通じゃないでしょどう見ても。普通じゃないからといって多様性なのに受け入れないのかよという挑発だと思いましたよ。


ろこ:そんなスタンスあるか(笑)


政夫:だって露悪的じゃないですか。

あんたらの言っている均質や均等や合理化やマニュアルというのは、それって普通になるためのロールとして画一的と一緒でしょ。画一的と同じなら多様性とは何なのか?ですよ。

普通と普通じゃないに分けて安心したいという自意識と帰属意識、そこからはみ出した者への攻撃、排除ってどうなの?って。多様性を考えるなら、あなたはコンビニ人間を許容できますよね?って。


ろこ:(笑)


政夫:という本だと思ったんですけど…。いや多様性多様性言っているけど、本当に多様性の考え方を持っている人ってそんなに居ないんですよね。多様性にかこつけて多様性じゃない奴いるじゃないですか。寛容でありたいと言いながらも不寛容に対して寛容的じゃないように。本当に寛容ならば不寛容にも対しても。


ろこ:そうだね。


政夫:理想論なのかもしれないですが、コンビニ人間にも寛容にならないといけないんですよ。


ろこ:だから売れたじゃん(笑)


政夫:そうなんですけど、『コンビニ人間』が描いている普通側の人間ってみんな一緒なんですよね。意識的に記号化されているんですよ、普通を。普通ではない古倉さんを機械的に描くことで、人間的な温度を感じられないような作品になっているんですよね。普通側の人間、彼女の友人や妹も記号でしかない。


ろこ:なんで結婚しないの?って聞かれた時に答えられなかった感じか。


政夫:普通の会話なんですけど、テンプレですよね。


ろこ:冷たいもんね。温度がない。形式だけ。


政夫:誰でも出来る会話というか。普通として描かれている彼ら彼女らも、普通なんでしょうけど、とても突き放された書き方をされていると思っていて。なんでかというと、彼女らがいう「普通」は画一的で記号的だから。

女の幸せって結婚するか就職するかの二択だけ。は?多様性とはなにか?みたいな(笑)

だから、僕は「普通とは何か?」というよりも「あなたは『コンビニ人間』を多様性をもって受け容れることができますか否か」が僕が読んだ結論なんですけど、凄い挑発的だと思いました(笑)


ろこ:展開面白い。読み直してみます(笑)

 

※この記事は10月に配信したものを一部文字起こししたものです。

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コンビニ人間 (文春文庫)

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