おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

おおたまラジオ第5回『ボヘミアン・ラプソディ』/おおたまラジオのこれから

 

動画時間5:40~『ボヘミアン・ラプソディ』/批評という言論/『SSSS.GRIDMAN』を交えつつ

動画時間1:26:00~おおたまラジオの公開反省会

 

2018年最後のおおたまラジオでした。

本当にありがとうございました。

メインはタイトルにもあるように『ボヘミアン・ラプソディ』感想でありますが、途中からえる・ろこさんの「批評」に纏わる話の提示から、確かに一旦『ボヘミアン・ラプソディ』の感想から外れていくので主題からすり替わっているように思えますが、私はあの横道の時間があったからこそ、他の畑=『SSSS.GRIDMAN』と並列的に語ることがスムーズになったと思います。

それはあくまでも私個人の都合でしかないのですが、先日彼に送ったメールを一部引用しますと。

最近、禅宗に興味あって色々と本を読んでいるんですけど、西欧化を直輸入したことで相補的で相対的な日本的なものが失われたと。西洋では「カオス」をよろしくない状態と捉え、カオスからロゴス(→言葉ありき)になり、ロゴスからロジックになる西洋では体系化と定義付けが確立していると。
一方で、東洋ではカオスは生命の起源であり、生産力を指し示すと。西洋では論理構築による秩序が重んじられ、東洋ではカオスの状態から生み出される生産性が重んじられるらしいですが

(中略)
なんで、禅宗を学んでいるかというと、「不立文字」という言葉がありまして。言語こそが思考の限界でもあり、言葉でしか伝達できない人間であるけども、言葉では本当の現実を捉えることは出来ないし、唯識論的であるからという東洋思想なんですよね。
でも、そうはいっても言語レベルでしか格闘できないじゃんってなりますから、どのように現実を捉えるのか。あるいは現実を言語レベルで拡張していくのか。そこに批評という言論が鍵になるのでは…という考えがありましてみたいな(笑)
今年で出た鈴木敏夫の『禅とジブリ』が面白かったので書店に寄ったら是非!

という考えが前提として、える・ろこさんとある程度共有されていまして。

彼の中でどのように消化されたのかは定かではありませんでしたが、結果的に問題意識の設定として繋がった感覚はありました。

そこで批評という言葉が衰退している現状を語ることで、「なぜ今それでも語っているのか?」と「語り難いと言い放った作品に対してなぜ?」という命題が突き付けられる感覚をライブ的に持つことができました。

しかし、結果的には「横道」の感覚がある中での配信となり、作品内部の情報を語ることでの密度の高さ(例えば変身願望から自己肯定への流れ)は正直無いです。全くないわけではないですが、それがメインにならなかった。

私個人のプランとしてはそれをメインに、フレディという個人を深堀していく流れだったわけですが、ろこさんの横道提言によってある種の異質さ、他の『ボヘミアン・ラプソディ』感想との棲み分けにはなったのではないかと思います。

つまり『おおたまラジオ』ならではになっている…だって『ボヘミアン・ラプソディ』感想と並列的に『SSSS.GRIDMAN』の話をしてしまっているわけで(笑)

予定調和を壊せた嬉しさはありますが。

本編中でも赤裸々に喋ったように、まだこのラジオの形は不透明な段階です。

2019年は、それを具体的に形作っていくステージに入っていくつもりです。

そういうことで。

 

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