フットサルのポエム化と観測位置の苦悩
政夫:フットサルのポエム化の話をしてもいいですか。
ろこ:いいよいいよ!それは。
政夫:分かるんですよ。フットサルの実況ツイートって単語、単語、単語みたいになっちゃうじゃないですか。在原さんとかがやっていたのはハッシュタグでタグ付けするという。ただ、在原さんが他の人たちと違ったのは、ボール保持者や対面のDFなどの内的なものにかなり寄り添っていましたよね。
ろこ:内的なもの?
政夫:メンタルや思考のオプションを挙げてから、それがあったけど、こういう選択をしたに違いないと推察をしていましたよね。あの辺が他の人たちと大分違ったんですけど。
ただ、大体の人がフットサルの実況を140文字サイズに纏めるとなると「~番のパラレラからの~」みたいになっちゃう。必殺技みたいになっちゃう。専門用語のオンパレードになっちゃうんです。
ろこ:せやね。
政夫:それがどんどん専門用語の密度が高度化していくと、その他の言語情報が削ぎ落されていくことによって、散文化してしまう。ポエム的な表現に近付いてしまう。まさに陥る罠としては分かり易い例だと思うんですけど、ろこさんは結構ハマっていますよね。
ろこ:ハマっているね。
政夫:僕は最近聞いた言葉で、「言語の限界が思考の限界である」というのがあるんですけど、フットサルは連続性のあるスポーツなので、サッカーよりもスペースや時間やコンタクト率などの密度が高く、激しく連続性のあるスポーツだから、その一挙手投足を切り取って実況するのはかなり難しい。だから、おおまかな言葉によるタグ付けが必要になるんですよ。それがパラレラだったりするんですよね。アクションの定義として。こういう動きという概念がパラレラとして共有されているわけで、その辺が部分、部分であるから、本来は連続性で繋がっているものが、言語表現化する際には部分、部分しか抽出できない感覚。
だからこそ、間のものが抜け落ちてしまって、言語表現的にダイエットしてしまっている。思考レベルではもっと詰められるのに、言語レベルでは詰め切れないから、限界を示してしまっているというのが分かる事情。ポエム的なツイートになっちゃうのはしょうがないかなって思っちゃう。
ろこ:今の政夫君の思考のベースが、もっとあって欲しい。それが正しい観方だと思うんだけど、何を言語化するというか、現象を言語化するのもいいんだけど、俺が思うのは4人しかいないから共有化しているプレーの想像力の話かな。
政夫:フレームワーク化という話がありましたね。
ろこ:そうそう。言語の世界では第三者からしたら「後付け」的なんだよね。第三者的には「見えない世界」じゃないですか。
政夫:認知できない世界だから、そこに思考はあるのかというと認知できていないから本来は考えられないんですよね。ただ、グランドデザインは共有されているから「見える」んですよね。それがフレームワーク処理という意味ですよね。
ろこ:そうそう。
政夫:分かりますよ。それをあのツイート群で読み解くのは相当難しい。それはフォロワー減りますよ(笑)
ろこ:(笑)
政夫:前提を共有するコンテクストが無いから。読み解けばあるんですけど、パッと触れると無いように映るから、ツイートだけを観るとね。
ろこ:すいません。
政夫:分かりますよ。選手たちがケーススタディ毎に、このパターンはこれで処理するんだなっていうのが、結果的に連動性を生むということは誰でも分かることじゃないですか。それによって機能美というのが生じるわけで、フレームワーク的処理というのは当たり前なんですよ。言ってしまえば、チーム全体が共有している約束事ですからね。それを、あのような実況ツイートをすると、コンテクストはあるんだけど、読めない人にはポエムだなってなっちゃう。フォロワーは減りますよ。フォロワーが減るのはおおたまラジオのせいじゃない(笑)
ろこ:(笑)ちょっと話逸れるけど、要はその瞬間を観ているわけじゃんか。で、そういう情報を拾ったとすると、現場のフレームワークを捉えたとしても、俺はそれを俯瞰で観ているから…
政夫:後付けってそういう意味のね。
ろこ:そうそう。結局、自分の世界観で処理しちゃっているじゃんか。
政夫:それは主観的モデルと客観的モデルの話で済みますよね。
ろこ:俺のツイートは主観性だから。
政夫:基本的に客観性は存在しないというスタンスでいけば(笑)
ろこ:(笑)
政夫:全部主観なんですよ。客観性という主観なんですよ。
ろこ:ちょっとそれは難しいな。
政夫:何この話?「客観的な」という話をする人は怪しいという話なんですけどね。それは置いといて、モデルの話ですよね。観測の位置によると思いますけど。僕らは俯瞰レベルで、選手たちが見ている景色は一人称的な景色が、選手毎にあって、連続的に変化している。
ろこ:さっき、機能美と言ったやんか。めっちゃ主観やんか。
政夫:んー。ヒートマップというかなんですかね、アレ。そういうのあるじゃないですか。パスマップみたいな。サッカーで、ポゼッションするチームだと11人の結びつきが密度が高い図形になるじゃないですか。逆にボールを持てなくて繋げないチームは距離感が遠くて、細長い形になっていますよね。フットサルだったら、DFの位置は分かり易いんじゃないですかね。
ただ、ろこさんが言っているように、選手たちは一人称で、自分が見えている範囲で、認知できている部分とできていない部分の処理の話を、僕らは俯瞰レベルで後付けのロジックをしているのは確かですね。そこに「意味」を与えているんですよ。だから必要以上に「意味」を与えすぎている可能性もあるわけですね。現場で共有されている約束事以上のものを、僕たちが勝手に考えている可能性もある。だからこそ、戦術クラスタというのは結構大変なんだろなって。
ろこ:(笑)
政夫:なぜなら机上の空論だと一蹴されかねないから。僕もかつてはそうだったわけですけど。
ろこ:俺もそうだったね。
政夫:今はそこに興味ないから。ろこさんと遣り取りしていて思うのは、ある現象に対してどこまで言語化できるのかという、言語化によってレベルというのがメタ的に含めてどこまで水準を上げられるのか、解像度を上げられるのかという話と、それでも上げきれない部分のモデルの話が、表現として興味あるなって。その部分でのサッカーやフットサルへの興味になりましたね。
ろこ:あー。
政夫:昔みたいに一試合観て、レビューを書くことは無い。卒業しましたね。
ろこ:マウントじゃんか(笑)
政夫:違いますよ(笑)そこじゃないんですよ、興味があるのは。
ろこ:まだフットサルを観てポエム書いているのかよみたいな(笑)
政夫:そんなことを言っていないですけど、そういう受け取られ方をしてもオカシクナイ言い方をしましたね(笑)
ろこ:結局、何かを語るといっても、自分の中に持っていないと無理だから。そこの違いだと思うけど。
政夫:そうですね。現場にいないんだから、現場レベルのものは持っていないんですよ。それはテレビとかで観ている側が抱く屈託ですよね。間違っていないと思いますけど。
一番いいのは選手本人が解説することですよ。
ろこ:そうなんですよ。
政夫:指導者とかもね。
ろこ:ちょうど今週あったんですよ。Abemaで、北原さんが現役選手を呼んで解説するのを始めたんですよ。凄い良い試みだと思っていて。
府中の完山選手が、名古屋と大阪との試合で、シュライカーがPPに入って、名古屋が前2枚、後ろ2枚の守り方をしていたのよ。ボックス的な。
で、俺は絶対やられるわ。前の2枚の距離広いってツイートしたのよ。で、Abemaのコメ欄でも名古屋のDFに対してチェックが入っていたのよ。おー、俺と同じ考えって思って。
そしたら、シュライカーが点を決めたのよ。俺は、ホラね!って。
でも、完山さんは、一先ずそういう守り方をするけど、シュライカーはタイムアウトを取らずにPPに入ったんだよね。一先ず観るという守り方で、そういう時間があるらしいのよ。その時間帯に、シュライカーがゴールをしたという現象なんだよね。だから、スゲーと思ったんだよね。
政夫:なるほど。
ろこ:フワッとしていたけど。
政夫:俯瞰レベルで観て気付くことを現場レベルでは当然詰めてやっているということですよね。
※この記事は11月に配信したものの一部を文字起こししたものです