おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

摂取したもの2018年12月

昨年末は『SSSS.GRIDMAN』を観ていた。

その記憶しかないのだけど。え、『GRIDMAN』しか観てなかったっけ。

ずっと観たかった『ボヘミアン・ラプソディ』もクリスマス前にはようやく観れて、その感想をラジオで話したこともあった。一部で褒めていただき感謝。

futbolman.hatenablog.com

『GRIDMAN』は一度きちんと整理したい気持ちはあるのだけど、しばらくかかりそう。他人の感想を読むと触発されるというのはあるあるだと思う。

やはり12月は、禅宗の本をよく読んだ記憶がある。鈴木大拙の著作は2019年もパラパラと見付け次第読んでいくつもり。というか、身体観の話は面白い。禅宗云々的ではなくても、オリエンタリズムの枠組みの中でシステムの直輸入で喪失していった歴史や背景が身体観にロジカルに響いているのが面白い。だから宇野常寛編『PLANETS10』も身体観の部分の前後を何度か読み返したり、思考レベルとの乖離に気づきがあったりと発見があった。かといって、西洋的なものはダメだ!とか言うつもりは毛頭ない。

 

futbolman.hatenablog.com

小池龍之介は、旧友が自己啓発本的に読んでいたのをオススメされた記憶から引っ張ってきた。基本的に「超訳シリーズ」を読むなら他のを読んだ方がいいとマジで思っている人間として、超訳イデオロギーに屈した敗北の日となった。

んー、現代に置き換えているという試みで、読者層の射程が広くなっているのは事実だろうし、カジュアルに読めるようなデザイン性も相まって、ブッダが身近になれば本望みたいなことなんだろうけど、カジュアルな洗練の過程において削ぎ落された硬質性や専門性(本質から幾分距離が遠くなったとしても根本からズレていないだろうが)への距離は逆説的にカジュアルだからこそ浮かび上がる消費形態だと思う。この「超訳シリーズ」を機にガッツリ触れようと思う人と、「超訳シリーズ」単体でカジュアルに済ませてしまう人の割合は気になるところ。

2019年の目標に、一つ確りしたものを書くことがあるのだが、作家の候補の一人として竹宮ゆゆこがいる。それほど熱狂的なファンというわけでもないけれども、着々と著作を読んでいる事実がツボで。

なんで読んでいるのだろうか…。

 

中村明『笑いのセンス 日本語レトリックの発想と表現』
東浩紀 市川真人 大澤聡 佐々木敦 さやわか『現代日本の批評 2001-2016』
荒谷大輔ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析
さやわか『一〇年代文化論』
大澤真幸サブカルの想像力は資本主義を超えるか』
鈴木大拙『東洋的な見方』
中村伸『寄席の底ぢから』
森博嗣『森には森の風が吹く』
小池龍之介『偽善入門』
鷲田清一しんがりの思想 反リーダーシップ論』
小池龍之介超訳 ブッダの言葉』
玄侑宗久『しあわせる力 禅的幸福論』
米澤穂信春期限定いちごタルト事件
安田登『日本人の身体』
東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』
藤田一照 伊藤比呂美『禅の教室』 
堀江貴文『多動力』
小池龍之介『こだわらない練習 「それ、どうでもいい」という過ごしかた』
宇野常寛『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』
竹宮ゆゆこ『おまえのすべてが燃え上がる』
阿津川辰海『星詠師の記憶』
千葉雅也『別のしかたで ツイッター哲学』
藤田一照 光岡英捻『退歩のススメ 失われた身体観を取り戻す』
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている 13』
前田朗『メディアと市民』
藤田一照『青虫は一度溶けて蝶になる 私・世界・人生のパラダイムシフト』
内田樹『常識的で何か問題でも? 反文学的時代のマインドセット
鷲田清一『おとなの背中』