おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

『選ばれた子』

人が嫌いだ。

馴れ合うのは疲れる。人と話したくない。

だから、声なんかいらない。

そう、少年は願った。

ある日、少年は声を失った。会話することに疲れていた少年は口を閉ざし、心までも閉ざした。

そして他人と距離を取り、少年は疲れることすらも止めようと努めた結果、少年は声を無くした。

原因は不明。いつ治るかも分からない。そう何人ものの医者は同じように首を傾げ、母は何度も泣き崩れた。

それから母は諦めたように、少年に手話を習わせた。

しかし少年はやろうとしなかった。

手話なんて。必要とせずに何度も首を横に振る。

少年は対話を望まず、筆談でのやり取りさえも拒んだ。

母はそんな少年の横っ面を叩いた。悲痛な想いで母は何度も。

少年はいつしか願った。手話なんてなくなればいい。

以前よりも少年は閉じていった。

もはや母とすらも距離をとるようになった。

ある日、少年は腕を失った。筆談、手話すらも適わない身体になったのだ。不思議なことに少年は笑った。

自分は選ばれた、と。

少年は神の存在を信じた。

そして少年は自分は他人とは違い、唯一、神と対話できる存在なんだと思うようになる。

そう、人が嫌いだ。

人との対話を望まなかった少年は神との対話を始める。それから何度も。

少年は耳を失った。音が邪魔になった。無音でなければ神の声は聞こえない。

それでも神は一度も少年と対話をしなかった。少年の願いを聞き入れるだけで、他にはなにも。声もない少年はただ神に語り掛けた。

あなたはなんなの?と、それだけを毎日。

もはや母は少年の前からいなくなっていた。その事に少年が気付いたのは、青年になった頃だった。

青年は闇を受け入れ、目を失った。視界に入るものが全て邪魔になっていたのだ。青年を永遠の暗闇が包んだ。

しかし青年は寂しくはなかった。

これで神と対峙できる。そう信じ、孤独になった青年はもう一度対話を試みた。

まだ足りない?

青年に声はない。胸のうちに問い掛けた、自分自身に言い聞かせるように。

神の声は聞こえない。青年は願うことをやめなかった。青年は足を失った。暗闇で佇む決意をして。

それから青年は狂ったように願い続けた。永遠の孤独な世界で青年は神の存在を知ろうとした。

声を聞くまで、青年は何度も願い、失っていった。

そして暗闇のなかに青年は一筋の光が零れるのを感じた。見えたわけではない。ただ何となく青年には分かった。青年は確信した。

神は近くにいると。

青年が捧げられそうなものは、もはや命しかなかった。

躊躇うことなく青年は願った。そして祈った。

神よ、僕を導いてくれ。

暗闇に射し込んだ光がぽつっと消え失せたのを、命朽ち果てる瞬間に青年は感じた。

可笑しい。

神は僕を裏切ったのか。

青年は頭をクシャクシヤに掻きたい気分だったが、そんな腕はない。

風前の灯火で青年は暗闇に叫ぶように、神に問い掛けた。

なぁ、おい、出てきてくれよ。

すると青年が消える寸前にノイズのような擦れた声が聞こえた。

「あんた、しつこいね」

快挙の瞬間は何とも味気ない言葉だった。

人間との接触を拒んだ末に、遂に神との対話がかなったのだ。

最後の最後に。

万感の思いで青年は最後に聞いた。

貴方はなんだ?と。

神の名も知らずに召されたくはないと青年は思っていた。その名こそが青年の人生の墓標に刻まれるのだから。青年は人生の対価を欲した。これまでの人生に意味を付けたかった。

しかし神は勿体ぶる。なかなか口を開かない。

はやくしてくれ。時間がない。

そう青年は願うと、神は口元を緩めただけであった。

「さっさと逝っちまいな」

青年は神の答えを聞くことなく、そのまま息絶えた。

それが幸か不幸かは青年にしか分からない。

神は闇に墜ちていく青年の亡骸を抱え、血が滴り落ちている心臓にしゃぶりついた。

「名前なんかないさ」

血を滴らせ舌舐めずりがよく似合う神は、死神と呼ばれるものに似ていた。

 

 

いきなりこれはなんのかというと、もはや怪文書ですね、これ。

2012年くらいまで私は小説と呼べるかも甚だ疑問だった文章を書いていたわけですよ。

その際にはインターネット上で創作系の人たちと幾らかやり取りをして、SNSも浸透していた中、ブログを中心に書評と創作でお茶を濁していました。

もっともブログに熱中していた時期だったかもしれません。正確にはSNS文化が来ているときに、まだブログで根っこを張っていた人たちの粘り気みたいのがそこらで観測されていた(もちろんその後はSNSに流れていったわけですね)中で、等しく変なプライドを抱えていたってのもあるんですが、私も例に漏れなかったのです。

当時、親交があった人々とは殆ど切れ、稀に訪問をしてみては更新が停止してブログ化石になっているなんてザラ。インターネットの海に還ることもなく、圧倒的な情報量が押し寄せる波打ち際で、ひたすらアクセスカウンターだけが訪問者の有無を音もなく刻んでいるだけの状態。

もちろん中にはまだ頑張っている人もいるみたいですが、当時のような更新とつながりの熱量は感じられませんでした(私が遠くに感じているだけ)。

で、ブログとSNSの話をすると長くなるので止めときますね。ほら、noteの話とか書かないといけないじゃん。

話を戻すと、上にある文章は2012年に私が書いた最後のものです。

それ以降は一回たりとも書いたことはなく、いつしか2020年になっていましたというのが実感です。

一度も書こうと思ったこともなかったのが本音でしょうか。

なぜ、書くのを止めたのかも正確には思い出せません。

当時は物凄く情熱を傾けていたのに、一向になぜ止めたのかを思い出せないのです。

こうやって振り返ると、その程度だったんだなと腑に落ちることは簡単です。

けど、納得ができないのも事実で。

あれほどまでに熱中して執着していたのに、こうも容易に時の忘却に耐えられなかった事実に、私はムカついています。そんな簡単に忘れられるものだったのかと。

これは教訓です。まるで時が止まったかのように動かないアクセスカウンターと化石ブログのように容易くそのままになって、忘れていったこと自体が風景になるみたいに、私の上の文章からはそんな空虚な風景が見えてきます。

当時、書いていた文章は殆どゴミ箱のゲートを潜って終了しています。多元宇宙的な世界観であれば無事に今頃は結婚しているんだろうなと想像することは楽勝なんですが、それを観測できないリアルの不自由さたるや。

だけど、この文章だけは辛うじて残っていたんですよね。唯一サルベージできたのが、最後に書いたものだったのです。

2012年の私は、なにを意図してこれだけを残したのか。

名残惜しいから?

消し忘れ?

まあ、何でもいいでしょう。

全く何も分からないのは確かです。いつかの私は、私に何かを期待していたのでしょうか。

となると、私が取るべき選択は「晒す」に尽きます。

恰好のネタになるんだから、それを供物として差し出すのがブロガーなんじゃないのか。

これがブロガーの矜持なんだよ。

中途半端に残していったいつかの私へ。

後悔も、恥も、大体は拾ってやる。

だからお願いだ。

オチを拾えるだけの技術をください。オチを書けるだけの能力を磨いてください。

これが、恥の上塗りってか。