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しまいには世の中が真っ赤になった。

『俺ガイル』を通した内省的なあとがき

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この一か月間は、日夜文学について考えてきました。

その中で、文学とは「時間軸を作る」ことだと一時的な結論を出しました。 

むしろ、文学のみならず批評などの二次創作含めた表現全般に言えると思いますが「語り直す」ための時間軸を作る「場所」を用意するのが役割であり、そのためには相応の「時間と場所」が必要になります。

これは時間軸を単一的に考えるのとは異なり、時間軸を複数持つイメージです。現実に容赦なく流れる共有的な時間軸を横軸とするならば、縦軸を構えながら横軸に随時斜線を刻んでいく「場所」の意味が文化ではないでしょうか。 

まさに圧倒的な情報量が加速している常時接続の現代において、如何に時間を遅らせるか、または違う場所を用意するのかといった速度調整が大事になっています。

例えば宇野常寛が掲げる「遅いインターネット」の計画は、端的にいえばそのように一時的にそして場所として固定的に遅らせることを目的にしているでしょう。

私の場合は『俺ガイル』を通して、文学や時間軸に考えざるを得ない「場所」を用意したことに尽きます。

この『俺ガイル』論はテクスト論ではありません。

しかしながら、テクストから離れないように書いたつもりでもあります。

作中では夏目漱石太宰治サン=テグジュペリなどが素材的に挙げられています。それらを中心に文学を考えてきました。ただし、その思索を纏めたわけではありません。『俺ガイル』には一切出てこない志賀直哉芥川龍之介などの作品や評論も漁り、冒頭に取り上げている吉本隆明が持ち出した「昼の文学」を図った三島由紀夫も例外ではありませんでしたが、これらを扱うとテクストから離れてしまうために書かないという制限を加えました。その思考の中で「時間軸を作るための場所」としての文学と向き合い、私自身も時間軸を作っていきました。

そして出来上がった『俺ガイル』論は本一冊分に相当するものでした。

このテクストが、非常に迂遠な書き方であるのは否定のしようがありません。

なぜなら『俺ガイル』に素朴に呼応した形を立ち上げたかったために、書いた形式自体が『俺ガイル』的だと考えたからです。

このスタイルが『俺ガイル』的であったという態度こそが、私なりの答えでもありました。

論考で指摘した『俺ガイル』が文学として素朴に応答した声は、いわば文学の入り口に過ぎません。あくまでもそのための「時間と場所」を作ることであるならば、私も論考ではそれを追認するテクストで倣おうとした結果でした。

であるから、ライトノベルというサブカルチャーの文法によって導入してみせた文学的経緯を記しました。

同時にこれは「文学(笑)」や「ブンガク」だと揶揄された後期『俺ガイル』の展開について、つまり素朴な文学的態度を受け付けなかった読み手の問題であると告発したかったのは言うまでもありません。

しかし告発したとて、否定したとて、そこに意味を見出せなければ駄目でしょう。そのためにテクストから離れない範囲内で『俺ガイル』の誠意ある文学への入り口としての文脈を掬い取っていきました。

そのような形態を持つ作品に対して、素朴に追認した迂遠なテクスト(非常に『俺ガイル』的)で応答するのが、自分なりの誠実さだと感じたのです。

『俺ガイル』を通じた、その反復性でしか「サブカルチャー化した文学」という現場を論じきれないと判断しました。

結果的に一か月という期間を徹底的な自意識の捻じれと「夕の文学」としての淡いと向き合い続けてきたので、私自身にも根付いているモラトリアム的な病を射程に捉えながら同時に乗り越える感覚がありました。

「書く」ということは内なる自分と対話し、乗り越えるという体験をもたらします。

それは、ある種の青臭さを許容できた時間軸を作ったとも言えるでしょう。

つまり自然と『俺ガイル』に接近していったことを意味します。完全な同一化とは言わなくとも、その微妙なニュアンスに込められた「時間と場所」に浸っていた「揺らぎと淡い」の事実が、私としては文学的な応答だったと考えるのです。

そういう体験をしました。

非常に内面化した「時間と場所」でした。