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しまいには世の中が真っ赤になった。

倉知淳『シュークリーム・パニック 生チョコレート』読書感想

 

 

 

本書は、短編が3作収録されているが、どれも倉知特有のユーモア&ロジックというわけではなく、ミステリの技法をストーリーに絡ませているモノが多い。ガチガチの本格ミステリというよりかは、『日常の謎』に分類される癖のある短編集と言うべきだろう。

『現金強奪作戦!(但し現地集合)』は、一癖ある銀行強盗モノであるが、このトリックを使うにはやや〝説明〟が弱いと感じることも。サクラダから銀行強盗を持ち掛けられた主人公は、それ相応の葛藤の中、強盗をすることを決断するのだが、サクラダからの説明がシンプルすぎる。

①モデルガンで脅し、3分以内に金を運ぶ

②4人体制

③1人1億円の分け前

といった概要をサクラダが話すのだが、主人公が現場でやるべき事についての〝説明〟が薄い。一世一代の大勝負、一蓮托生するには計画犯罪のわりに杜撰なのでは?という疑問を読者に植え付けるところがあり、これはただの強盗モノではないという警戒心を与える。このトリックを純粋に読者に仕掛けるには、主人公同様の〝真っ新な〟状態が好ましく、純粋な倒叙モノだと錯覚させる必要がある。その点が弱いと感じた。しかし、伏線やオチは上手く練られており、ただでは転ばない作風を如実に表現している。そういうこともあって、癖のある倒叙モノを読みたい方には自信を持って勧められる。

『強運の男』は、とあるバーにて隣の男から何気ない運試しゲームを持ち掛けられるという話。この短編は、構造が構造なので、オチが見えやすいのが瑕である。ゲームが進む毎に徐々に高くなっていくレートであるが、主人公にとってはノーリスクという点を丁寧に描かれている。それが一種のミスディレクションとなり、オチに繋がる流れであるが、平均点の域を出ない。話が話なだけに小粒であり、これ以上に話自体を膨らませることは難しく、構造とスケールの問題であり、これ以上苦言を呈するのは無粋かもしれない。しかし、読みどころと言うと、ゲームを仕掛けてきた紳士から出る〝狂気性〟とも取れる運への飽くなき欲求だろうか。その姿勢はギャンブラーの極致を示しており、力説する様 は鬼気迫る力がある、この話は、〝馬鹿げた話を如何に説得力をもって信じ込ませられるか〟に限っており、その部分についての評価は高い。

『夏の終わりと僕らの影と』は、端的に言うならばジュブナイルである。ミステリ要素としては、〝監視下における人間消失〟であるが、その謎自体はかなり小さいものである。〝どうやって人間が消えたのか〟というよりも〝なぜ消えたのか〟が問題であり、その意図にこそ作者が描いた一夏の思い出に掛けた青春グラフィティが展開されている。探偵役が怒涛の推理をするシーンがあるが、そこの徹底した部分はミステリとして評価されるべきものではあるが、あくまでも推理シーンは〝ミステリの手法を借りた〟程度のものであり、それが本質ではない。結末を敢えて描かないリドル・ストーリー風になっているところが、爽やかな余韻を齎す。青春物語として構えることが肩透かしを食らわない近道だと言えよう。