エロ本、はじめの一歩、ご長寿グランプリ
- 横溝正史の文体が好き。本当に文章が上手い。小説が読まれる限り、あのように達者な文章が書ける人はいつまでも残ると思う。
中学生時代に『八つ墓村』を徹夜で読んだ思い出は財産である。中学生に「鍾乳洞」は刺激が強過ぎた。河原でエロ本を拾うくらい興奮した。
友人がビニ本の自販機で買ったことのある経験者というのを知った時、どうしようもないほどの悔しさはなんだったのだろう。
夜中に出歩いて、補導にビクビクしながら小銭を握り締め、自販機に硬貨を投入したら夜の静寂を破る「ガーガー」って音。ビビッて逃げ出したくなるが、ビニ本を取っていないから立ち去れないジレンマ。そこを経験しているかどうかで人間的な分厚さは変わると思う。
悪い事をしていないのに法を犯したような気分を味わってみたかった。今、辛うじてビニ本の自販機を見付けたとしても、普通に買って終わるだけだろう。そこにロマンは無い。
立川談志はよく「落語は人間の業の肯定」と言っていた。人間だれしも悪い事をする。良い子にしなさい。良い大人になりなさい。外れちゃいけないと言われながらも外れてしまう。
勿論、悪い事をしない良い人もいる。しかし、皆が皆そういうわけにはいかない。性善説と性悪説みたいな話である。
落語は寄席という空間を使って人間の業、弱さを肯定的に包む。
現代の少年たちよ、エロ本を拾って変な罪悪感に苛まれているならば、寄席に行こう。
- 『はじめの一歩』が久しぶりに盛り上がっている。
ゲドー戦(83巻)までは単行本を買っていたが、最近はめっきり。
私のように脱落したファンは多いと思う。
今では100巻を超えた単行本の積み上がっていく量とかではなくて、物語の展開的に痺れを切らしても仕方ないくらい寒かった。
物語の構成として「序・破・急」や「起承転結」などがあるが、本作に関しては「春夏秋冬」が正しい。
それでも、物語の大きな分岐点が描かれる前は本当に楽しかった。あの分岐点はボクサーとマネジメントの難しさ、一期一会を描くためと言われれば納得はするが、感心はしない。
『はじめの一歩』は、愛想を尽かして滅茶苦茶酷く自分本位的に振った〝元カノ〟に近い。でも、様子が気になって偶に〝元カノ〟のSNSをチェックするみたいな。
長い冬だった。雪解けが始まった。
最近の『はじめの一歩』の盛り上がり方にはそう思われずにいられない。
土曜JUNKの『エレ片のコント太郎』で取り上げられた時のトークのテンションの高さは勿論、ネット上での賛否両論、森川ジョージの意味深川柳などが拍車を掛けて今最もホットなマンガだろう。
『はじめの一歩』の読者層は、かつてファンだったアンチがある程度の割合を占めていると思う(勿論、純粋なファンもいる)。私自身はアンチまでいかなくても、元カノの幸せを祈るくらいの良い人間でもなく、惰性かつ無関心に近い悟りの境地。
それらの人間を巻き込むほどに、最近の展開は物凄い。
特に2017年最後の掲載回。
最終回で良かったのでは?と思わせるくらい。降りてくる幕が目に浮かんできた。
ここ最近は色々と凄いので盛り上がっている中で閉じることでの美的感覚がある。
雪解けが始まり、春の息吹が近い。これでまた積雪したらシャレにならない。これまでの厳冬があったので疑心暗鬼になってしまう。
勿論、諸々を解凍して畳むのが一番綺麗だろう。作者にそこまでのエネルギーが残っているのか疑問だが。
こんなことを書いているのだから、なんだかんだ〝元カノ〟が気になるのだろう。
この盛り上がり方は〝元カノ〟がSNS上でフラッシュモブの主役になっているのを見てしまって、「素敵」「羨ましい」「恥ずい」「ダサい」と周り含めて渦巻いている感じではないだろうか。
いや、違うな。フラッシュモブはダサいだけ。
- 『さんまのご長寿グランプリ』での一幕、ハライチの澤部の写真を提示して「この人の職業は何?」というクイズがあった。正解は芸人。元気な皆さんは「修業僧」と答えた後、とある方が「帽子を被っていたらな…」と零してから答えたのが「二等兵」。その後に間を置かずに「連続窃盗犯」までがセットだったのだけど、かなりブラックだった。
「帽子を被っていれば」からの「二等兵」の笑いと重さ。懐かしき面影を澤部に見出したのかもしれない。
そこに畳みかけるように「連続窃盗犯」というチョイス。
因果かしら。
芸人繋がりでどうしても元キングオブコメディの高橋を思い出してしまった。
勿論、回答者自身にはそこまでの計算、クリティカルさは無かっただろうが、結果的に私の中で「連続窃盗犯」が高橋まで繋がってしまったので笑い疲れた。
ちなみに、全く回し方が錆び付いていなかった鈴木史朗さんは来年で80歳とのこと。ビックリした。