おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

芝浜の酒

人情噺の傑作の一つに『芝浜』がある。

あらすじはwikiよりそっくり引用。

天秤棒一本で行商をしている魚屋の勝は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗が続き、さっぱりうだつが上がらない、裏長屋の貧乏暮らし。その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かう。しかし時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つける。拾って開けると、中には目をむくような大金[1]。有頂天になって自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集めて大酒を呑む。

 翌日、二日酔いで起き出した勝に女房、こんなに呑んで支払いをどうする気かとおかんむり。勝は拾った財布の金のことを訴えるが、女房は、そんなものは知らない、お前さんが金欲しさのあまりに酔ったまぎれの夢に見たんだろと言う。焦った勝は家中を引っ繰り返して財布を探すが、どこにも無い。彼は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。つくづく身の上を考えなおした勝は、これじゃいけねえと一念発起、断酒して死にもの狂いに働きはじめる。

 懸命に働いた末、三年後には表通りにいっぱしの店を構えることが出来、生活も安定し、身代も増えた。そしてその年の大晦日の晩のことである。勝は妻に対して献身をねぎらい、頭を下げる。すると女房は、三年前の財布の件について告白をはじめ、真相を勝に話した。

 あの日、勝から拾った大金を見せられた妻は困惑した。十両盗めば首が飛ぶといわれた当時、横領が露見すれば死刑だ。長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は勝の泥酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言いくるめる事にした。時が経っても落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の勝に財布の金が下げ渡されたのであった。

 事実を知り、例の財布を見せられた勝はしかし妻を責めることはなく、道を踏み外しそうになった自分を真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は懸命に頑張ってきた夫をねぎらい、久し振りに酒でもと勧める。はじめは拒んだ勝だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」といったんは杯を口元に運ぶが、ふいに杯を置く。「よそう。また夢になるといけねえ」

 

 

良い話だ。

『芝浜』というと立川談志のもんという認識がある。談志は『芝浜』をはじめとする落語と格闘した生涯をおくり、演者立川談志のみならず評論家立川談志として芸談・落語論を披露してきた。

芸について語りたがらない落語家もいる中で、常日頃に落語と鍔迫り合いをした談志は晩年に『談志 最後の根多帳』でこう書いている。

「談志ほど落語に興味を持った者は、過去一人も居るまい」

 

 

 

初めて『芝浜』を観たのは、先輩たちの劇だった。落語ではない。

『芝浜』を題材にした劇は圧巻の一言。今となっては美化されているかもしれないが、あれほど良いもんを仕立て上げた先輩たちに、初めて年上に尊敬の念を抱いた。

「たかが2つくらい早く生まれただけでイキるな阿呆」という主張を取り下げた記念日だ。

未だに観劇の趣味は無いが、素人のもんでも圧倒的なストーリー性。正直に捩じり曲がっていた10代前半、「劇なんてくだらねえ」と思っていた時分、死角から繰り出されたアッパーカットは脳天をぐるんぐるん揺さぶり回した。よう回った。

あの『芝浜』は未だに友人たちと語り草である。

あれ以来、私にとって『芝浜』は特別な噺になった。そして、立川談志との出会いとなる。

談志は「落語は業の肯定」と言っていた。本質的よりも一人歩きしている感は否めないが、他にも『イリュージョン』やら『江戸の風』といったワードを遺している。

しかし、『芝浜』などの人情噺は「業の肯定」とは言えない代物である。その点を「談志の自己矛盾」と指摘されるのもしばしばだった。

落語評論家の広瀬和生は「それでも『芝浜』を演らなければならなかったのが談志の業」と評した。

『芝浜』は「業の否定」とする向きはある。金拾ったら、使うでしょ。夢にされたって酒は辞めないでしょ。飲むでしょと。

しかし、「そういう状況になっても、辞められるんだ、使わないんだって風に捉えると、談志は凄く人間を優しく見ていたのでしょう」と言ったのは三遊亭兼好だ。

『芝浜』をはじめとする噺から、談志の人間観が透けて見える。

「落語は人を殺さない」という談志の言葉にあるように、世間的にはどれだけ毒舌を吐いて七面倒臭い家元のイメージが付き纏っていても、これほどまでに落語を通じて談志の素直な人間愛といった情念が滲み出ているのは揺るがない。

 

 

 

さて、『芝浜』のクライマックスについて。

妻が芝の浜で拾った財布の秘密を告白した後、久しぶりに酒を飲むかいと勧める一節。

夫は注がれた酒をみて「いい色だ」と目で堪能する。久しぶりの対面に感激しながらも、思い止まってサゲの名台詞が出るわけだが。

ここで一つ思い出したことがある。

昔、居酒屋で知り合いに「酒は飲めんの?」と訊いた。

「イケる口です」

「辛口がいい?甘口がいい?」

「は?」

 ここで話が通じていないことに気付いたわけだが、酒っていうと日本酒を指すのは常識だと思っていた。

じゃあ、お酒ってのは? 日本酒以外だと。

勿論、『芝浜』の酒は日本酒だ。変でしょう。芝の浜がどうだこうだ言ってんのにワインやらジンだったら。ま、灰皿にテキーラよりかはマシ。

黄金色を楽しむってことでビールだったらワンチャンあるか。いや、ギネスだったらどうなるか。何にはしても酒の席にビール瓶は危ないからどかさないと。

『芝浜』を海外で公演する際には字幕が出ると思うんだが、その場合はSAKEかJAPANESE SAKEなんだろう。SAKEが外国人にウケているってのも見聞きしたし。出来れば前者であって欲しいが。

落語を英語で演るって時も前者であって欲しいな。だってSAKEの方が語感がいいじゃない。JAPANESE SAKEは冗長だから避けてくれ。

 

 

少し私用が落ち着いたのでごゆるりと飲もう。落語を聴きながら。お酒はほどほどに。