摂取したもの2018年3月
この頃は長らく未見のまま封印していた『エヴァQ』を観た。
観てしまった。止めていたのに。『エヴァ』は薬物。
「私とエヴァ」についてはいずれ何処かで処理したいが、ラジオ内だとろこさんそっちのけ独壇場になってしまうから難しいか、端的にいうと『エヴァ』にしっかり触れた17歳で世界は一変したわけだ。その時から私と『エヴァ』の愛憎劇が始まった。この『エヴァQ』も観た直後に、複数の知り合いにエヴァ講義をしてしまった辺りに破廉恥極まりない。
久しぶりに友人から「お前が楽しそうにエヴァについて喋っているのを見たよ」と言われた。語るのは恥だし役にも立たん。
だから、ラカンやゲンロン系を摂取。その中でも宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』は90年代の活動記録の延長戦=集大成的で、現状今年読んだ本でもベスト5に入るインパクト。
再読であるが 『バルセロナが最強なのは必然である』はやはり良かった。これで3回目くらいになるが、毎回発見があるのは名著の条件。サッカー的発見というよりも思想体系的なものも含めてとして。実際、この本ってバルサについて本書なりにガッツリ触れようとし始める辺りからつまらなくなるから(笑)バルサがなぜ魅力的なのかどうかサッカーの中身よりもその前提というか前置きが一番面白い。
小説であるならばロスマク(再読)とローレンス・ブロックの双肩としつつ、ミシェル・ビュッシ『彼女のいない飛行機』が楽しかった。勿論ツッコミ待ちであるにしても、この作者には『黒い睡蓮』から興味を持ち始めてそのまま追い掛けて良かったと思う。殊能センセーの「フランス人の本格ミステリ観」の話は自分の中でアップデートされた感覚がある。
とにかく謎の牽引力が素晴らしい。思わせぶりなフリに対して冗長なVTRやCMの細切れで引っ張るしょうもないテレビバラエティも見習って欲しい。
市川憂人『ブルーローズは眠らない』
一肇『少女キネマ』
菊谷和宏『「社会」の誕生 トクヴィル、デュルケーム、ベルクソンの社会思想史』
東浩紀『日本的想像力の未来 クール・ジャパノロジーの可能性』
さやわか『一〇年代文化論』
東浩紀『セカイからもっと近くに (現実から切り離された文学の諸問題)』
宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』
宮沢 章夫 大森 望『ニッポン戦後サブカルチャー史 深掘り進化論』
宮台真司『いま、幸福について語ろう』
ローレンス・ブロック『泥棒は詩を口ずさむ』
ローレンス・ブロック『泥棒はクロゼットのなか』
宇野常寛『リトル・ピープルの時代』
岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』
ローレンス・ブロック『泥棒は選べない』
フェルナンド・サバテール『父が子に語る人間の生き方―エチカの探究』
てれびのスキマ『1989年のテレビっ子』
ミシェル・ビュッシ『彼女のいない飛行機』
藤井健太郎『悪意とこだわりの演出術』
「テレビの嘘とくだらなさ」と不条理は等号なのか - フトボル男
中村慎太郎『サポーターをめぐる冒険』
片野道郎『それでも世界はサッカーとともに回り続ける: 「プラネット・フットボール」の不都合な真実』
オテッサ・モシュフェグ『アイリーンはもういない』
ロス・マクドナルド『さむけ』
ロス・マクドナルド『虚構の男』
ロス・マクドナルド『魔のプール』
倉知淳『皇帝と拳銃と』