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自然と人工の二元論からの解放

しばしば自然が人工や人為と対立する概念として挙げられる。

一方で、環境は固定的な実態を意味する概念ではなく、流動的な状況を示す。

自然は、主体が何であるかに関係しない概念であり、環境は、主体としての人間や生物に依拠した相対的な概念だ。そのため、ある事象を環境として捉えることは、必然的に事象と主体との間にある相互関係で捉えることになる。

そこには主体でありながらも観察者としての人間による認識・評価が加わる。観測していない事象は存在を認知できないように、主体と客体の関係性を収める必要性が生じる。

生態系とはある地域に存在するすべての生物と地域内の非生物的環境を纏めたものである。

生産者、消費者、分解者、非生物的環境といった要素で構成されている。生物の環境を構成する要因として、非生物的環境、気候的要因、土地的要因、生物的環境、種内関係、種間関係がある。そこに主体と環境と生態系が組み込まれて、相互作用が発生する。それらが環境下でのパフォーマンスを生み出す。

関連した概念としてニッチがある。生物が生存しうる固有の場や他との関係性で見えてくる居場所を指す。さらに基本ニッチと実現ニッチに分かれ、環境条件によって生息パターンが変化する。

例えばミズゴケのように、分析パターンの違いは種間関係によって齎される。人間含めて生物は環境のストレスに晒されるものである。生き物には最適なパフォーマンスを発揮する環境がある。例えば陸上選手が記録を更新する際には、温暖や風の向きや湿度といったコンディションに左右されるように生き物にはベストな環境が存在する。アスリートに通じる相互作用的概念として、ミックスアップがある。ボクシング用語として有名であるが、互いに高め合うという意味で互いにパフォーマンスを引き出し合う競争関係が相乗効果を生む。

またニッチ内において、環境へのストレスに強い生き物は成長などといったスピードが遅く、ストレスに弱い場合はスピードが早い。これらは単純に優劣を示すものではなく、それぞれの生き方の違いである。

結果として棲み分けになることでニッチが発生する。ニッチが重なることやそれぞれが独立することで、生物の多様性を表し、環境という概念が含む多様性や広がりを生み出す。

環境において、植物は種として繁栄すべく生存している。

人間に男女の違いがあるように植物にもあるが、植物の性は異なる性が2つ以上ある種が存在する。中には7つの性を持つ植物の存在はもはや人間の尺度では図れない。人間一人が持つ限定的で偏向的な価値観において、こうした他個体をはじめとする自然から見る世界との対比は己の矮小さと向き合う機会にもなると思う。

植物には無性生殖と有性生殖がある。

前者は基本的にクローンである。例えばセイヨウタンポポは、人間は2セットであるが、この植物は3セットあるので配偶子を作る時のみに行われる細胞分裂である減数分裂が出来ない特徴がある。

無性生殖の代表格として挙げられるのがアメーバの分裂である。単細胞生物であるアメーバでは、母体が2つ以上に分裂して、2個体以上の親とほぼ同形の新個体となる。クローンのイメージそのままである。

同じように多細胞生物のヒドラでは、木の芽が出るように出芽城と呼ばれる部位から、体細胞の一団が親と同形の小さい新個体をつくって出芽し、母体から分離して独立する。個体の数を増やすことに関して、有性生殖よりも無性生殖の方が2倍有利であることはシンプルな真理である。

だからといって、有性生殖を行う動植物が劣っているという話ではない。数というシンプルで圧倒的なデータを前に惑わされるものではなく、二元論で語るものではない。

しばしば自然の情報を見直すと、観察者としての人間が安易に嵌り易い思考の罠として、既存の枠の中に押し込めようとすることは危険である。

有性生殖とは雄と雌が生殖に関わる特別の細胞を作り出し、両者の接合によって新しい個体を作り出すこと。

有性生殖のメリットとして、遺伝的多様性の増加による予測不可能な様々な環境に対応できることが挙げられる。赤道面上での染色体の並び方がランダムであり、個々の染色体がそれぞれ独自に分配されると、次世代に新しい遺伝子の組み合わせを齎すことができる。

また、病原体の攻撃を躱すことができるのは赤の女王仮説と呼ばれている。

この仮説は『鏡の国のアリス』から引用されているもので、大腸菌から人間まで何かしらの存在に脅かされていることを指す。つまり、現状を維持するためには、環境の変化に対応して進化しなければならないことを意味し、無性生殖よりもコストがかかるにも関わらず、有性生殖が行われる理由に挙がっている。

そのフィールド、環境で胡坐をかくことは種としての停滞を意味する。常に歩みを続けていないといけないというのは、自然というフィルターから与えられる警告なのかもしれない。

 

自殖と他殖がある。自殖の有利性は、他個体と花粉の遣り取りが要らないこと。両性花と花を作るためのコストを下げることができる。異性の他個体が近くにいなくてもいいことが挙げられる。その中で、花粉菅の伸長速度の違いによって起こる自殖による補償において、自殖というシステマチックなコントロールによる配分が見えてくる。これは個体のバランスとそのリカバリー能力を端的に示している。一方のみではないことから、種としての能率性が分かり、補完的でありながらも個体同士の連結という繋がりがある。前述のように自殖のメリットには他個体からの独立があるが、自立しながらも一つのコミュニティ、社会として組み込まれているのが分かる。

光合成との関連で植物が形を変えることも生き残るためのメソッドである。

暗所では傘型となり、枝と枝の間隔の成長が暗所では詰まるので、水平に形が広がる。面積を獲得しようとすることで、背の高さでは劣る植物が零れてくる光を得ようとするための適応を意味する。

一方で明所では円錐型がある。節間の成長が活発で垂直になっていく。高さを得ることで、光を手に入れようとする。

この2つのパターンから、形状を変えて互いに重ならないように光合成をするという提携感は奇妙な味わいがあるが、どれも個体としての生存本能から来るものであって、奇妙のように映るのは観察者の領域内である。

 

地球は水の惑星だ。その環境下では、水生植物と陸生植物と分かれるのは必然である。摂取できる水の量、温度変化の大小、紫外線によるDNA破壊の度合いを妨げる水の有無などといった比較性がある。

水生植物の利点、陸生植物の利点はどちらにも往々としてあり、それぞれが環境下に独自に適応していった過程で分岐した結果だろう。ツンドラ南極大陸にも植物が生えている。乾燥や重力の対応だけではなく、過酷な環境下でもそれに適応した生物が、当然のように存在している客観的事実は種の対応力の幅広さを意味する。

しかし、どの分野でも世代交代は訪れる。新世代へのバトンタッチは種としての希望である。

世代交代の一種に攪乱がある。生物の生育環境を大きく変え,空いた空間,つまり次世代の個体が利用できる生息場所を生み出すことだ。

攪乱がもたらす樹木の更新は代表例である。ギャップ更新はギャップの発生により光が射すものであるが、どこにギャップが生まれるか分からないために、数を撃てば当たるケースのように拡散力が必要である。縞枯れ更新は冬の偏西風が関係して木が枯れた結果、届いていなかった光が地表面に届くことでシラビソの稚樹が並ぶ。倒木更新は木が倒れることはその木の死を意味するが、それによって代替としてのスペースが空く。

そして、倒れた木の表面で成長する種子の存在も欠かせない。倒木の表層で種が生き残り易い例もある。生存競争と相互作用が次世代へ繋ぐ強さを死してもなお教えてくれる。焼け跡更新は煙草や焚火の不始末といった人災のみではなく、落雷という天災による山火事によって山が燃えて無くなること。

特異なのがジャックパインと山火事の関係性である。火事によって失われる生命は数多くあるが、火事という大規模な更新が無いと世代交代そのものができない例もある。それがジャックパインの種子である。

このように撹乱と再生のプロセスから、生態系に多様性が生み出される。

ニッチにおける共生、破壊と再生は循環している。左のようなサイクルは仏教用語の輪廻に通じ、ヘラクレイトスの「万物は流転する」などに共通しているが、歴史的に人間が発見してきた叡智は自然、世界との対話から齎された結果だろう。

同じように『星の王子さま』や『鏡の国のアリス』といった古典から見える自然の法則というのは、普遍的であり本質そのものを突いている。それらが人間に生きる術、気づきを与える。

前述の通り、人と自然の二項対立で語られることが多いが、自然・環境の中に人間が存在する。

人間が知恵を駆使して文明を築いたことにより、自然と境界線を引いたような錯覚に陥っているが、天災などで見つめ直す機会がしばしば設けられる。

自然との共生は、人間が生活していく上で永遠の主題である。

人間が環境問題などで自然に対して寄り添っていくという形式で語られがちであるが、環境における人間という主体の小ささは逆説的に自然の包括的概念の懐の深さを気付かせてくれる。

また、自然の中でも生き方の違いから様々な比較などがある。

人間は自然からの享受や恩恵を通して、自然の本質的な仕組みは二元論といったもので図れることではないと知る。普遍的で互いに働きかけているものだ。

片方にスポットが当たっていても限定的な尺度ではなく、幅広い視野と身近にあるという気づきを自然は人間に語る。

そこに共生の鍵があると思う。

私たちは環境、社会という円の中で自然と人間の立ち位置に触れることで、自然の美しさと暴力的でグロテスクな両義性と融合していくことでしか生きていけないことを痛感するのだ。

 

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