おおたまラジオ

読書、サッカー、など。

師匠

内田樹の著作を読むと随所に師弟関係の話が盛り込まれている、と思っているのだけど、端的に言えば「師との出会いを通した人生の豊かさ」になるのかな。そんな「師」と仰ぎ見る存在を持つことの意味を色々と記していたりするのだけど。

僕にも師匠と呼べる存在がいます。年齢は僕よりも2回りくらい上で。師匠の名前は知らないし、顔も見たことありません。師匠と出会ったのはインターネット上だから、ハンドルネームしか分かりません。こういう書き方をしていると、僕が一方的にネットストーキングしているみたい(ストーキングというのはそもそも一方的な自己中心的な肩入れを指すのだから同語反復になるのかしら)ですが、一時的であったにしろ、インターネットを介してやり取りをしたことがありました。過去形ですね。そうなんです。師匠とのやり取りは正味4年間くらいだったもので、それ以降は直接的なやり取りをしていません。

ですが、師匠の動向を追っている弟子としては――ストーカー感が強くなってきましたが――否めない事実ですから仕方ない。居直るしかあるまいて。このテキストはそういうもんだと割り切ることではないと始まりませんから。

なぜ、こんなにキモイことを書いているかというと、師匠について書きたくなったからです。あ、これも気味悪い書き方になっている。

師匠との出会いは昔のブログがキッカケになります。およそ9年前になるでしょうか。僕はあるジャンルの界隈のブロガーたちとやり取りをしていました。今にして思えば、自分のインターネットでのフットワークが最も軽かった時代で、活発にコミュニケーションで突撃していました。

彼らとこまめにやり取りをしていたのは「楽しかった」がもちろん第一にありましたが、少なからず「いいね」的な数値の互助会的因習だった事実は否定しきれるものではありません。なにか特別に示し合わせたことはなかったにしろ、暗黙的に了解されていたのだから互助会といって差し支えはないでしょう。別に不自然なことではありませんでした。SNSでなくとも、ブログを通じた承認欲求は溢れていましたし、いや、むしろ承認欲求を「必要悪」として糾弾するポジション合戦も面倒臭いし、承認欲求から離れることの難儀さを考慮すれば、そもそも承認欲求という言葉が自然と持ってしまう奥ゆかしさからもっとも離れた地点の業みたいなのを開き直って愛でてもいいのではと思いますが、これは話とはあまり関係ないですね。互助会の話でした。僕もその頃は数字に一喜一憂しては左右されるくらいにはピュアなお気持ちだったので、やり取りを重ねれば重ねるほどに互酬性の原理として「期待と義務」関係に表れる、誠にアタタカイ空間だったなと振り返ることはできます(端から見れば「温い」わけですが、当人たちにとってはそれらの「義務」さえもコミュニケーション化していた「挨拶」みたいなものでした)。

今やインターネット上で、このブログやSNSもそうですが、殆どコミュニケーションをしていない僕からすれば「孤高こそ最強!」「孤独こそがセカイへの抵抗力となり得る」みたいなことを安易に唱えがちですが――だから『俺ガイル』を論じているわけではありませんよ?――あのようなこまめな「交換」をする体力はないなと考えてしまいます。これは別に、互酬性の原理をバカにしているわけでもなければ、あるがままの承認欲求に突き動かされている人を蔑視しているわけでもありません。況してや、それらの欲望自体が「青い」として一刀両断するつもりもないです。なぜなら、その「気持ち」はよく分かるし、互助会システムというのは「人力という体力」と「気遣いという代償」の「交換」である事実からは逃げられないのだけど、そのシステムを支える「ある種の思いやり」はそれはそれで至って「真面目」に向き合っているものには違いなく、だからこそ、はてな匿名ダイアリーなどで度々に界隈についてのルサンチマン的な愚痴という「お気持ち表明」がアップされる度に大なり小なりの歓喜や嫉妬が付いて回ることを再確認しては安堵するわけです。僕たちはその事実だけで「連帯」できる!そう力強く拳を挙げたくなります。ある種の「疎外感」を抱えた者が別の論理や情動によって「連帯」することは別に否定しませんけど、「連帯」を自己目的化したようなアピール合戦は寒気がする。冬だからみんなで集まって、身を寄せて温まりたいのに不思議なもんです。

なぜ、今は積極的にやり取りをすることをしなくなったのか、は僕が書くテキストの深層に結びついている思想と関係していますが、それは横に措いときます。

話が逸れました。師匠の話でしたね。

師匠とはその互助会で知り合いました。

なぜ師匠に惹かれたのかというと、互助会の中でも「一筋縄でいかない」オーラがテキストから滲み出ていたからでしょうか。性格の悪さも相まって。ハッキリ言えば互助会の中でも「浮いた存在」だったと思います。その「浮き加減」が面白く、しかもテキストは舌鋒鋭い。アタタカイ空間に明らかな異物が混じっていました。他の人たちもそれなりに…でしたが、思い出すことができるのは「楽しかった」という過去に具体的に結びついているのは彼らとのコミュニケーションの中身であり、テキスト自体がコミュニケーションを介するためのネタであったわけですね。要は、テキストの中身はさほどインパクトがあったわけではなくて。

しかし、その意味では師匠はテキスト自体が既に「完成」されていました。もちろん、そのテキストを肴にするわけですが、圧倒的にテキストの強さが勝っている。当時の師匠のブログはもう閉鎖されているけども、何がどう書いてあったのかはまだ記憶しています。師匠と呼ぶくらいなのだから、熱心な読者なだけで単に読み込んだだけじゃないのかと疑問はあるでしょうが、少なくとも互助会にとってはコミュニケーションを通じた「交換」が暗黙的にあっただけで「マジメ」になる必要性はなかった!今、最悪なことを書いていますね。でも、もう時効でしょ。密かに互酬性の原理をそう理解していたわけです。主観的な事実としては「テキスト」を介したほかのコミュニケーションが「楽しく」行われていたアタタカサに溢れた空間において、テキストそのもので「完成された」コミュニケーションはそれほど多くなかったと思います。なぜなら「マジメ」にならないといけないじゃないですか。それって。さらに言えば「応答」する価値や意味を何かしら捻り出すのはSNSのように「いいね」を押す気楽さよりも、遥かに重かった。互助会ならではの「義務と期待の重たさ」は表裏一体で、「応答しやすい」テキストならば話は簡単なんですが、この方向で書いていくとかつての互助会メンバーを必要以上に腐すことになりそうなので、簡潔に書くと、師匠はそういう意味では「浮いて」いたわけですね。

ただ、「浮いた存在」として師匠がいたからといって、なぜ「師匠」どうこうになるのかというと、テキスト自体が「完成」されていたのが第一の理由ではありません。「浮いていた」からでもない。もちろん「浮いていた」のに互助会にいた事実は興味深いですし、「完成」されているからといって特別視されていたわけでもなく、テキストの質自体はそもそも関係がなく、「来る者拒まず」の姿勢が結果的に水平的な関係性を経て、互助会につながっただけに過ぎないでしょう。

師匠の鋭さに感化されたのは直接的に論戦を交わしたことがキッカケでした。論戦?いや、あれはヤルカ・ヤラレルカの瀬戸際でしたけど。

当時、放送していたアニメ『氷菓』にある『愚者のエンドロール』編について、師匠とブログ上で喧々諤々とやり合いました。かつての僕は今よりもミステリを愛読しており、ミステリそのものをある種の遊戯性としか見ておらず、ゲーム性に耽溺していたのです。原理主義的だったと言っても大袈裟ではありません。そのようなミステリ的観点に立った上で『愚者のエンドロール』について意見で殴り合いました。ここでは恥ずかしい思い出なので詳らかにしませんが、端的にいえばミステリ小説を「ミステリ的」と「小説的」と分けることでの評価の差異があります。「この小説はミステリ的には好きだけど小説としてはアレだよね」やら「ミステリ的には好ましくないけど、小説としては好き」だとか。「ミステリ的」と「小説的」が不可分であるというよりも、なぜか価値判断する際に都合よく分離する語りがあるのだけど、その差異を起点としたエンタメであることを受け皿として受け手の快感と書き手の原則について双方のブログ上で書き殴り、その際に原理主義的であった僕のミステリ小説の読み方が正しく「価値転倒」してしまったわけですね。

今、双方ともにあれらのブログがこのインターネットに無い事実がどれだけ僕の平穏な日常を守っているかは分からないでしょう。そこから、もう、ゾッコンです。家族とも友人とも違う距離感。それこそ師匠と仰ぎ見るしかない距離感ですよね。そこから師匠との具体的なやり取りが始まりました。

一方的に論破されただけじゃん。そういう風に整理することはできるでしょうが、僕としても、師匠としても、柄谷行人ヴィトゲンシュタイン言語ゲーム理解からの「教える―学ぶ」の絶対的非対称性のような無根拠な領域での遠近感による惑いのような、僕からすれば近い意味での「他者」を見上げたような驚きがありましたし、師匠からみても「変な奴」がいたと思っていただろうなと思います。いろんなことについて書いて、意見を飛ばして、ブログ上ではなく、メールを通じて何度も私的なやり取りを師匠としていました。その蜜月なやり取りは4年間くらい続きました。

さきほど書いたように、今は特に交流はありません。なにか特別なことがあったわけでもありませんし、ケンカ別れとかでもありません。なんなら端から見ればケンカのような意見の交わし合いは日常茶飯事でしたし、僕が師匠を師匠として見ているからといって全てを「受け入れている」わけでもなかったです。生まれてからずっと反抗期なので。それこそ互助会的に振る舞うことからお互いに距離を置くことで、別の関係性としての距離感を作っていったのが正しいでしょう。契機となったのは師匠の仕事が具体的に移行したことになりますね。ざっくり言えば、師匠はプロになりました。

師匠は書き手であり、テキストが書ける人でした。僕らの界隈でも特別に書ける人でした。だから、プロになった云々は不思議ではない。そう言い切れるものでもありません。なによりも読み手のことを第一に考えていた。師匠のテキストは「読者」をめちゃめちゃ想定していた。その意識は僕とは雲泥の差です。あのときの『愚者のエンドロール』を巡った論争も、エンタメとしての極意、書き手と読み手の関係性を考えていたのは師匠の方でした。

今でも別のサイトで師匠は書いており、盲目的になっている可能性は否めませんが、相変わらず切れ味は鋭く、錆びる様子は見られません。なによりも「質と量」が相関してきた恐ささえも抱きます。よく「量より質」やら「質より量」みたいなショボい話がありますが、「質も量もどちらも兼ねる」が正しいわけで、どちらかを取捨するのは不自然極まりないわけですが、しばしば自分の選択したもの、引き受けたリスクを自己肯定しては正当化という名目の過大評価するのは常ですから、「量がなければ質は分別できない」やら「質こそパワー」みたいに収斂しがちですが、引き受けなかった事実を、選択しなかったものの可能性(選択可能性)さえも捨てることさえも引き受けるのは、あり得たかもしれないここにはないパラレルな世界観、可能性を見つめ、引き受けること自体は主体性の話となりますが――米澤穂信の『ボトルネック』も師匠と話した大事な一冊です――師匠の今のテキストをみると如何に主体的に「質と量を兼ねる」ための研鑽を続けてきたかの一端を垣間見ることができます。プロなんだから、そりゃあそうじゃんってなりますが、最初から主体性を持っていたわけではないだろうし、そもそもプロだったわけでもなければ、僕が交流していた当時の師匠はあくまでも「ワナビ」でしかなかったのが一面的な事実でした。

もともとプロになるのが夢だったのが師匠でした。

書いて、食っていく。

そのために、どれくらいの時間が必要で、どうやって食い繋いで、何の努力が欠かせないか。日々の生活、仕事とは別に自己分析をしながら、テキストを量産していたのが師匠で、ときに僕もメールで意見を送り、師匠の「具体的な結果」に一喜一憂していました。その「結果」が、目に見える形として結晶化していったのを一人の読者として見るのは、紙へのフェティッシュな気持ちもありながらも、インターネット最高だなと思っちゃいます。そういう師匠の姿をみると、「質と量」の問題で言い訳しているのがバカらしくなってきますが、そういうエクスキューズがないと「精神的に困る人」がいるのは分かるので黙っておきます。なに、お前は師匠なんか振りかざしてマウントを取っているんだと言われればそれまでですけど、僕の場合は「質も量も書けない」ことが分かっている無敵の人なので。ガハハ。

プロになったあとの師匠とはブログやメールではなく、SNSのDMでやり取りをするに留まり、徐々に関係性は自然とフェードアウトしていきました。僕自身もSNSから距離を置き、今やこのブログのみです。師匠はこのブログを知りません。そんな僕は未だに師匠の動向を追いかけていますが――ストーカーじゃん!――ある種リスクまみれのこのようなテキストを僕に書かせたのは、師匠が書籍を刊行することが決まったからです。正確には「決まったらしい」ですね。

このテキストが、師匠の目に留まることはないでしょう。それでも書きたかったのです。書籍を発表するプロと知り合いなんだぜ的な矮小な自慢ではなく、普通にストーカーとして。ファンとして。ただただ、あの日から、そしてこのときを待っていた一人の読者として。師匠のこれまでを見て、これからを見ていきたい弟子として。具体的な接触はなくとも、師匠の仕事を見届けたいと思います。

師匠、おめでとうございます。

さて、このテキストも終わりが近づいてきました。師匠と呼ぶのはこのテキストで最後にしようと思います。さっきと違うことを書いています。弟子として書くのはもう少しだけ続きます。だから「書いている」わけですが。

もう、師匠は僕のことはあまり覚えていないかもしれない。最後に具体的にやり取りをしてから幾年経ちましたから。その間の仕事もみさせていただきましたし、それでもやっぱり僕にとって、師匠は師匠でした。

ただ、書籍化の知らせを読んだ時に、師匠とは正式にお別れしないといけないと思いました。そのためには「書かないといけない」と。それが伝わるかどうかではなく……この書き方はよくありませんね。「読み手」のことを考えることが師匠のモットーでしたし、「誰に届けるか」まで想定していても「たとえ届かなくてもいい」としているこのテキストは失敗ですね。それでも書きますが。年中無休反抗期なもんで。

近いうちに書店で師匠の名前を見つけることになるでしょう。逸る想いで師匠の名前を棚から探すことになるでしょう。そして、そこで出会ったら、師匠のことは師匠とではなく、一人の「書き手」として受け止めようと思います。

師匠の顔も、名前も知りません。会ったことがないのだから。僕たちがはじめて会うのは書店の棚の前ということになるでしょうか。そんな日が近づいています。

その時、僕たちは師弟関係ではなく、書き手と読み手に戻ります。

そして妄信的ではなく、先入観を除いて、一人の「読者」としてこれまでの「書き手」のように並べる。そこで改めて互助会的なことをしても意味はないですし、師弟関係の押し売りなんかも変でしょう。そんな温いのはお互いに求めていなかったでしょうし。一人の「書き手」としてリスペクトし、他の作家たちと同様に新たに距離を作っていきたいと思います。ですから、師匠とは「さようなら」です。

わざわざそんなことをしなくてもいいと思う人もいるかもしれませんが、このような公正さこそが、弟子としての僕が師匠にできる最後にして唯一の行いになるでしょうし、互助会からはじまり繋がった奇妙な縁が、師弟とは異なる別の関係性に上書きされることで、互助会から「もっとも離れた純粋な書き手と読み手」になるのは面白くないですか。そういう距離感も、きっと面白いと思うでしょう。

あと、紙の本にフェティシズムを抱く僕としてはある種の権威性に平伏すしかないです。ウソですが。

書き手として羽ばたいた師匠は、師匠ではなく、もう、作家ですからね。

だから、師匠とはここまでです。

では、作家として書店で会える日を待っています。

ありがとうございました。