おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

サブカルチャー化した文学から呼びかけられている――『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(17)

これまで続いてきたこの『俺ガイル』試論もまとめに入るときがきました。

『俺ガイル』とはどんな作品だったのでしょうか。その問いをみつめていきましょう。

前島賢朝日新聞で連載していた書評では、『「残念」なキャラクターたちの部活もの』という紹介がされていました。ここでは「残念」な作品群・キャラクターたちの系譜には立ち入りませんが、「残念」をキーワードに文化論的に2010年代を「予見」していく試みをイマ・ココ的にしたのがさやわか『一〇年代文化論』でありました。

さやわかの『一〇年代文化論』が画期的だったと思うのは、ゼロ年代批評のイデオロギー的な「反省」を試みようとしたことでしょう。もちろん、既に2010年代の息吹や予感があるとするならば、2010年代になってから突如に噴出するものではなく、その直前に至る文脈を経由するようにしてゼロ年代半ばから未来への風は吹いていることを示そうとした「見切りの速さ」を提示したことが一つにありますが、本の読まれ方としてはその「予言」の正否がどうだったかに尽きてしまうのはある意味では不幸だったと思います。それこそイデオロギー的な「反省」ではないところで、ジャーナリスティックにイデオロギー的に読まれてしまう本の性格・立ち位置としては皮肉ともいえるでしょうか。

しかしながら、そのようにイデオロギー的に「予言」を楽しむように読めてしまいますし、さやわかによって一面的には誘導されるのも仕方ないとしても、『一〇年代文化論』の意味としては、宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』(「決断主義」など)をはじめとするゼロ年代批評の「鍵用語」がジャーナリスティックに、イデオロギー的に消費されたことに対する「反省」としての応答といった位置づけがあるでしょう。

なぜなら、さやわかという書き手が出発した2010年代の批評(言葉と運動)の可能性の応答としては、ゼロ年代の「反省」からしか始まらないとする意思が読めるからです。

『一〇年代文化論』では、鍵用語として「残念」を置いています。その鍵用語を分析して「仮構」してみせることで、用語の「交換」から「変換」と「消費」によってあたかもイデオロギー的に「時代」を表現しては切り取れてしまうように、錯覚/演出させることができる仮構性を恰も社会反映論的に敷衍してみせることで、ある意味では社会反映論そのものや印象批評の仮構性(「変換」と「消費」)を鍵用語が抱えてしまうイデオロギー的な観点から捉え返しては問うたといえるでしょうから。もちろんアイロニカルな態度というよりも、まさしく「残念」というイデオロギー的な意味合いを含んだ構造となっている。ある種のイデオロギー的「消費」に対する痛烈なカウンター(「変換」)として提示された本だったと理解できるでしょうか。

もちろん、このような議論や提示に対して、そもそもディケイド単位の区分にさほどの意味を感じられないという意見もあるでしょう。ゼロ年代云々、2010年代だからどうこうとかよりも、それらの時代の変容は連綿とした「文脈」があり、突如発生した「現象」ではないとする見方は『一〇年代文化論』の「書き方」にあるように見事に包摂されます。そのような批判意識さえも、ある意味では「予言」されているかのように書かれています。正確には「予言」ではなく「反省」なのですが、そのように受け取られなかったこと自体が皮肉ともいえるでしょうが。

「鍵用語」と相関関係にあるような「イデオロギー的消費」の短絡的な直結に対する仮構性の暴露と、反省的な身振りを「残念」をとおしてみる本であるからこそ戯画的ともいえますが、本の中で触れられているように「残念系」なライトノベルが増えたのが2008年以降の特徴のようです。いうまでもなく、「残念」なヒロインと「残念」な主人公を据えるラブコメの相乗効果には『俺ガイル』も含まれるとみるべきでしょう。

そして、メタレベル的にいえば「残念」=「まちがっている」への自己言及性と目的性――逸脱さえも――が『俺ガイル』ともいえるでしょうか。

さやわかが読み解いた「残念」には、「残念」が否定的な要素を含めてポジティブに肯定する清濁併せ吞むような「転換」を記述したものでした。

この両論的な意味合いを含む微妙なニュアンスは、たとえば『俺ガイル』のキャラクターたち(他者)への遠近感や「言葉」や「文学」への距離とも重なっていくとみることができるでしょうか。

この『俺ガイル』試論では、他者と分かり合いたいのに「分かり合えない」といったままならなさによって生じてしまう「距離」から、他者とのコミュニケーション=「交通」にある非対称性に宿ってしまう暴力性とズレを明らかすることをみてきました。そのような不一致性を自覚しながらも、いかに他者との「距離」を模索していくべきか。まさしく倫理的に問われるようにして、言葉をとおして他者という異質なものと主体的に接触していく。

他者との「分かり合えなさ」といった非対称性(私と他者/言葉と現実)を直視するアイロニーを含みながら、表象されうる「現実」への倫理を読み解くように『俺ガイル』について記述してきました。それは偏に「文学」が現実に対する倫理を読み解く態度表明であるならば、「倫理的にいかに生きるか」という問いにつながるものであり、「他者」と「倫理」を巡る物語を反復的にみてきたのはそのためといえます。

しかし、このような読解は一見すると『俺ガイル』を「教科書」的にも読まれうる可能性がありますが――そのように受容されうることは否定しきれません――、ある種の倫理的な意味での「正しさ」を引き受けながら試論を書いてきたつもりです。

もちろん、倫理そのものをある種の「自明」として位置していることに対する批判は免れないでしょうが、そのような読みや立ち位置が成功しているかどうかはさておき、この論考では「夜の文学」と「昼の文学」の比喩・仮構を多用してきました。確認するためにもう一度引用しましょう。

 

三島さんは太宰治という作家が嫌いだと言ってますが、それは太宰が夜の人である文学者の象徴のように思われたからです。文学は、夜の暗闇でもって、人が寝静まった頃、何か頭を妄想で一杯にしてつくりあげるので、文学は夜の思考からできていると三島さんは考えていました。晩年の三島さんは、自分の文学者としての資質は、夜の思考型とはぜんぜん違う白昼の太陽を志向するものだと言っています。 

吉本隆明『未収録講演集(9) 物語とメタファー』

 

「夜の文学」を従来の文学観とするならば――生活と観念を結びつけることこそが文学的態度であるとする――、それを相対化するようにして距離を作ろうとした「昼の文学」があるとみることができるでしょう。ご存じのように三島由紀夫の「アレルギー反応」がそうでしょう。「文学の健全化」もその一例に違いありません。生活と観念が結びついたうえで繰り出されるであろう文学的身振りから距離を置くような、健康的な意味合いをおおいに含みます。

しかし、そのような仮構性だけでは零れ落ちてしまうものがあることを『俺ガイル』の10巻の「手記」では示しています。「私」が「文学」から当事者的ではなく、卑小的な意味で相手にされなかったことへの痛々しい悲鳴を上げています。たとえ「名作」と呼ばれるものですら卑近的な問題として、「問題にすらしていなかった」問題認識への「私」の疎外感と「文学」への埋められない距離と孤独が「疑い」をとおして透けてみえるような「手記」だったことは確認しました。

『俺ガイル』とは、端的にいえばその卑近さを「拡大化」してみせることで「手記」に応答しようとしたのではないでしょうか。

そこで、僕が仮構したのが「夕の文学」となります。

「夕の文学」とは、「夜の文学」と「昼の文学」の交点であり、遠近感として表れるものになります。これまで比企谷八幡「夜」として、葉山隼人たちを「昼」として仮構してきましたが――それはもちろん仮構でしかない――、交点として位置しては二項対立的な仮構性を解体してきたのが『俺ガイル』であることはみてきたように、そこからズレて生じる「余白」を過剰に読むことから、『俺ガイル』の矮小化された局所的な「私」と重ねるようにして紐づけることができるでしょう。

たとえば14巻で比企谷八幡は「本物」を「疑う」という運動性を示しましたが、これは未決定そのものでしょう。宙吊り的ともいえます。

しかし、未決定への存在論的な「不安」よりも、「疑う」運動性を確保したといえるでしょうか。物語上で展開されてきた「成熟」は諦めて「違和感」を飲み下すものでした。ただ、比企谷八幡が示した未決定性は「モラトリアム」と重なるようにして「成熟」と「未成熟」で揺れる磁場を作りました。決定できない途上に立つ葛藤としての「青春」を彩ったといえるでしょう。

さらに10巻の「手記」にみることができる「私」が叫んだ「文学」への懐疑的な距離もまた『俺ガイル』という作品による問いかけの一つであり、どこかでズレて疎外されてしまう「私」と「文学」の距離を相対化するような試みではないでしょうか。

もちろん、『俺ガイル』で「私」を拾われた人も、そうではない「私」もいることでしょう。そのフレームを確保するために「卑近的」な問題を「拡大的」に取り扱う「相対化」としての「文学」が必要であり、「夜」と「昼」で揺れる交点としての宙吊り的な部分をおおいに含んだ「夕」という未決定性の実存と距離――「どちらともいえない」相対化の産物は、それこそ全体性に対して局所的な意味でのサブカルチャー的といえるでしょう。

ここで「サブカルチャー」という言葉から、江藤淳の有名なサブカルチャー批判を引用します。

 

サブカルチャー〟というのは、地域・年齢・あるいは個々の移民集団、特定の社会的グループなどの性格を顕著にあらわしている部分的な文化現象のことで、ある社会のトータル・カルチャー(全体文化)に対して、そう呼ばれている。

つまり、あの作品は年齢的には若者、地域的には在日米軍基地周辺、人種的には黄黒白混合の、一つのサブカルチャーの反映だと、私は考えている。

ところで文学作品は、ある文化の単なる反映ではなくて、少なくともその表現になっていなければならない。サブカルチャーを素材にした小説があっても、いっこうにかまわないが、そこに描かれている部分的なカルチャーは、作者の意識の中で全体の文化とのかかわりあいの上に位置づけられていなければならない。そうでなければ、その作品は表現にはならない。つまり、サブカルチャーを素材にした文学作品が表現になるためには、作者の意識は一点で、そのサブカルチャーを超えていなければならない。その中に埋没していたのでは、ただの反映にしかならないのだ。

 

江藤淳の、この文章の元は村上龍の『限りなく透明に近いブルー』への批判として寄せられたものですが、ここでは詳しくその批評の「是非」について取り扱いません。

江藤淳にとって「文学」とは「言葉」と「沈黙」であり、それが「小説」という場で「表現」になっているかどうかが重要でした。「現実」とは異なるという意味で、ズレざるを得ないからこその領域で秩序を形成するのが「文学」という足場(トポス)であり、その仮構性に鋭敏だったともいえるでしょうか。

さらに江藤淳の批評には「他者」の導入があります。その「他者」とは端的にいえば「アメリカ」と「戦後」であり、ひいては「近代」をも睨むものでした。「近代」の人工性に敏感であったのはたとえば夏目漱石もそうでしょうか。「伝統」を脅かす、侵入してくるものとしての「他者」。そのような含みを抱える「他者」と「アメリカ」による「日本」の「戦後空間」という人工性は、江藤淳のなかのロジックとしてサブカルチャーへの忌避へともつながっていますが、もちろん、単にアメリカといっても「アメリカの二重性」ともいえる複雑性があります。「政治的問題」としてのアメリカと「絶対的な他者」としてのアメリカがあるように、アメリカに留学した経験から江藤淳は「日本」を再発見するようになります。アメリカでの遭遇といった「躓き」が、江藤淳の問題意識として「他者」へのねじれと距離に批評的に表象されていますが、ここで重要なのはそのような「人工性」、「人工空間」に敏感であったからこそ、「文学」という場で仮構した上で――そこには仮構性へのねじれがみえる――江藤淳サブカルチャーを批判したといえることでしょう。

江藤淳が(アメリカへの依存の)否定性と肯定性という基軸をそこに見出し、この作品(『なんとなく、クリスタル』)に示された「否定性の否定」(アメリカへの依存の前提としての受けとめ)を『限りなく透明に近いブルー』の単純な否定性(ヤンキー・ゴー・ホーム)と対比し、いち早く評価した。

加藤典洋村上春樹は、むずかしい』

 

加藤典洋が指摘したように、江藤淳サブカルチャー批判には「戦後空間」を意味している文脈があります。もちろん、江藤淳サブカルチャーが含む意味合いは「戦後空間」だけではありませんが、その「空間」を人工的に彩るような「アメリカ」という他者が深く結びついているのは既にみたとおりです。

江藤淳にとって、サブカルチャーとは「戦後」という「虚構」の相似形になるでしょうか。

江藤淳サブカルチャー批判を読むと、サブカルチャーでもって「現実」を捉えるような小説があってもいいわけですが、あるいは「二重写し」ともとれるような立ち位置・仮構性にどれだけ批判的(批評的)であるかが問われていたにもかかわらず、江藤淳の眼には村上龍の『限りなく透明に近いブルー』は「表現」ではなく「反映」の堕落に映ったことが窺えます。

ところで、江藤淳サブカルチャー批判に対置してみせている「トータルカルチャー」とはなんでしょうか。

大塚英志は『文学国語入門』で、「全体」を「現実」と捉えると整理しやすいと述べます。あるいは『サブカルチャー文学論』では「大文字の歴史」を「文学化」したものと言っていますが、一先ずは分かり易く「現実」と捉えることにしましょう。

江藤淳にとって「全体」=トータルカルチャーを描くということは「現実」を描くことと理解できます。つまり、「文学」とは「全体」を意識することとなります。

他方でサブカルチャーは「全体」に対して「部分」でしかない。そこを出発点として小説の「世界」そのものやサブカルチャーのような虚構性を「疑う」ことで「文学」になるのであって、その仮構性について「自覚」=批判的=批評的であるべき態度の有無は、江藤淳の論理としてサブカルチャー批判にもつながっているといえるでしょう。

つまり「全体」=「現実」を持たず、「物語」のために閉じた「世界」を江藤淳は「サブカルチャー」と言っていると理解できます。

 

「世界」がサブカルチャーである以上、「文学」はそれを描いてもかまわない。しかし、小説さえもがもはや「サブカルチャー」でしかないことに批評的であれ、と恐らく江藤は考えていたはずです。

大塚英志『文学国語入門』

江藤淳サブカルチャー批判の根源には、江藤淳も自ずと「戦後空間」=「世界」がサブカルチャー化していることを自覚していたといえます。当然「文学」さえも「サブカルチャー化」することは避けられないでしょう。なぜなら「全体」=「現実」さえもサブカルチャー化しているわけですから、ナマの素材自体がある種の「虚構的」であるところから出発せざるを得ない「断念」、「大文字の歴史」の切断面を含むためです。

だからこそ、「断念」を引き受けるようにしてなおサブカルチャー化に対して「批評的」であることを促したといえます。

 

大塚英志 (…)江藤さんの考えというのは、時代がサブカルチャー化していく、戦後の空間が仮構化していく、人工化していく、そういう変容の中で人はどうなっていくのか、「私」はどうなっていくのかというあたりに繊細な苛立ちを感じていて、その苛立ちのフィールドに小説をおいてみる、そんな基準があったと思います。

大塚英志 吉本隆明だいたいで、いいじゃない。

 

そのような仮構性における江藤淳の批評的倫理は、サブカルチャーという仮構性への「文学」との緊張的なものと映ることでしょう。

まさしく「文学」が持つはずであるリアリティの「全体」=「現実」への「身の窮屈さ」を引き受けるようにして、江藤淳の批評と身体は切り刻むようにしてサブカルチャーとの撤退戦を繰り広げていたともいえます。

そのようなサブカルチャーとの緊張関係を取り結んでいた江藤淳の批評をとおして、「戦後文学」=「サブカルチャー文学」も江藤淳をある意味では「フィルター」として意識していたのではないかというアイロニーをみることができるのではないか。逆説的にいえば、江藤淳が「サブカルチャー文学」を作ったとみているのが大塚英志でありますが、江藤淳の緊張的な撤退戦における「仮構性」がサブカルチャー文学としての仮構性を倫理的に促そうとした理解とみています。それはある意味では、「批評」と「文学」の緊張関係があった「時代」ならではの好意的な読み方=倫理ともいえるでしょうが。

 

(…)江藤はサブカルチャー化する文学のどこまでが肯定されるべきでどこから先は決して認めてはならないのかに余りに過剰に彼の批評を費やし過ぎているようにさえぼくには思える。それはただ<文学>をサブカルチャーの浸食から死守する、という純文学サイドの評論家の使命感とは異なる。

(…)

江藤にとって小説が「サブ・カルチュア化」していくことは不可避の事態であり、それを受け入れ、その上でかろうじて肯定されるべき小説を文芸誌の新人賞で捜し出そうとしていたふしがある。

大塚英志江藤淳と少女フェミニズム的戦後』

 

しかし、江藤淳サブカルチャーへの態度と倫理は「徹底戦」でしかありません。かろうじて言葉と論理でつなぎとめて「他者」を導入した「批評」こそが――「戦後空間」というねじれ――江藤淳の「文学」への態度であり、サブカルチャー化していく「世界」における身の置き方であったと理解できるでしょうか。

批評的な「選別」を経ることでサブカルチャーの倫理と表現を模索することは、江藤淳が夢想する「トータルカルチャー」=「現実」はもはやない時代の不幸にみる裏返しとしてのある種の「文学」との結託・連帯感ともいえます。

そういう意味では、江藤淳とは対照的に位置していたのが吉本隆明でしょう。この2人は政治思想も対照的ではありましたが、「文学」への態度もぐるっと異なっていました。

吉本隆明江藤淳的な「サブカルチャーと文学」の価値基準ではなく、サブカルチャー化は進行してしまったという「現状」を正確に理解しているところから始まります。その理解を起点に江藤淳のように「撤退戦的抵抗」をみせるわけでもなく、吉本隆明は「時代」に適合しようとしていました。

つまり、文学はサブカルチャー化していると。その敷居や線引きを下げるほかない、そういう「時代」の流れがあるのだと。 

そのような文脈を踏まえた上で、吉本隆明江藤淳の態度を「一種の文学聖職説」と述べます。「文学というのは聖なるもの(職業)であり、昔ながらの知識人文学がよく、少しでもサブカルチャーの匂いが加味されたようなものは売らんかなだけなんだ」。つまり、江藤淳の「全体文化」と「サブカルチャー」の緊張関係には、古典主義的な教養がみられる「文学」の豊かな土壌と貧しさのジレンマともいえるでしょうか。

 

吉本隆明 それから、サブカルチャーをいわゆる文芸批評的な評価で強調すれば、結局、物語性っていうことがとても大きくなってくる。そして、その物語性以外のイメージが自由になってくるというようなことになってきます。現実がフィクションと重なっていると感じられるようになっていけば、サブカルチャーが大きくなっていくというのは当然なんです。

大塚英志 吉本隆明だいたいで、いいじゃない。

何度も確認しているように、江藤淳のいうサブカルチャーとは批評精神への自覚の有無でありました。

サブカルチャーを批判しながら、トータルカルチャーとしての「文学」を睨むこの立ち位置はトータルカルチャーとしての「文学」を欲望していることが窺えるでしょう。

他方でサブカルチャーは「虚構」であり、生活世界から離れた虚構性の産物としてみる仮構についても江藤淳は自覚的であったといえます。それでも――江藤淳のいう「文学」とは「現実」に傷を引っかけることが重要とみなすように、トータルカルチャー的に「現実」を描くことを意味していました。

しかし、吉本隆明が喝破したように「文学」はサブカルチャー化してしまったし、サブカルチャーによって「文学」は変容してしまったという理解をみせます。「サブカルチャーが大きくなっていく」サブカルチャー化の進行によって、現代社会の変化をみるのは吉本隆明であり、世界のサブカルチャー化という仮構的な「現実」に対して、吉本隆明は一面的には受容して開き直りましたが、江藤淳はあくまでも「聖職者」的な素養を崩さなかったといえるでしょうか。吉本隆明のように「文学」への基準を下げるわけでもなく、江藤淳は最後まで「文学」とサブカルチャー化の微妙な撤退戦を「仮構」していたといえますし、そのことがサブカルチャー文学を準備しては「現実」を欲望していたとも捉えることができます。もちろん、その手つきは倫理的ともいえるわけですが、前述のように「サブカルチャー文学」をも仮構していたのは江藤淳ではないか、とみるのは大塚英志であったように、欲望と緊張の相関関係のようなねじれがあったように見受けられるでしょう。

「世界」がサブカルチャー化したからこそ、江藤淳の「聖職者」的――トータルカルチャー的な文学観に沿わなくなる不具合が生じるのは当然となります。その防衛ラインを江藤淳のなかの基準で判別してきたきらいがあるのは一面的な事実でありますが、サブカルチャー化していく「文学」の虚構的で閉鎖性を自覚しているサブカルチャーを選別することで、「世界」で進行している「文学のサブカルチャー化」を問題設定にするのではなく――それは避けられない「現状」であるから――「サブカルチャーとしての文学」をいかに肯定していくかに江藤淳の主題があった、とするのは大塚英志の観方でした。

つまり、江藤淳は「仮構」そのものを否定したわけではなく、サブカルチャーとして「現実」の軋轢を経て肯定できる「文学」=「現実」への傷を付けることを評価しようとしていた、と大塚英志は整理します。この流れにサブカルチャー文学があるとして。

 

江藤にとって「文学」は常に衰退し、「サブカルチュア」化し新しい環境に適応した何者かにとって替わられる一つの連続としてある。そして衰退史観の中で初めて失われた「伝統」が作られるように、「文学」もまたこのような手続きで仮構されるのである。

大塚英志サブカルチャー文学論

 

ですから、江藤淳にとって「文学」とは「衰退史観」といえるでしょう。「伝統」は「他者」によって攪乱されていくように、一方ではサブカルチャー化していく「世界」で、「文学」はいかに軋みを挙げることができるのか。「サブカルチャーとしての文学」を仮構するために、「文学のサブカルチャー化」というまさしく虚構的な入れ子構造の自閉性がみられるように、その「局所性」を痛烈に指摘したのが江藤淳といえます。

しかしながら江藤淳的な意味ではなく、サブカルチャー化の意味合いはそうはならなかったといえるでしょう。文字通りの意味での局所性は増加しては、サブカルチャーはマンガ的やアニメ的な、そのニュアンスを含んだ意味へと前景化していき、相対化していったとみるべきでしょう。

佐々木敦『ニッポンの文学』は、「文学」は「制度」であり、「仮構的」ともいえることを一つに暴くようにして記述された本といえます。もちろん、「文学」について価値中立的に書くことで「制度」における権威性が逆説的に温存されているところは見逃せませんが、「制度」であることを暴くことでフラット化させようとする試みがあったのは間違いないでしょう。

「純文学=文学」と「大衆小説=文学以外」の二項対立を「制度」的な産物であるという前提に立ちながらも、それを「文学史」的に「内」から破るようにして「ジャンル小説」の一種として「文学」を価値並列的に記述してみせることで、「制度」の虚構性を指摘する試み=相対化が図られていたのが『ニッポンの文学』の意図でありました。

さらにいえば、既にみてきたように江藤淳サブカルチャーはトータルカルチャーに重心を置いたものであり、トータルカルチャーの自明性から出発している議論といえます。

しかし、大塚英志はむしろサブカルチャーであることに目を向けるようにして、トータルカルチャーを前提にしてきた「歴史」は終わり、トータルカルチャーがないことの自明性について、そのアイロニカルな断念を引き受けるサブカルチャーでしか記述できない倫理的な可能性をみてきたのが大塚英志サブカルチャー文学論』だったといえるでしょう。

 

いわゆる「文学」とコミックやアニメといったサブカルチャーとしてくくられる領域の接近や作家の創作スタイルの類似、もしくは作者自身のジャンル間の移動として受けとめられがちであり、ぼくもまた一方ではそのような側面に必要があれば言及してきた。けれどもこのような事態を、ぼくは必ずしも「文学」に於ける今日的な(例えばその「今日」を80年代からこちら側の村上春樹吉本ばななの登場を持って受けとめるのか、あるいは03年の時点での若いミステリー作家たちの文芸誌への移動をもって受けとめるのかともかくとして)現象だと考えない。というよりも、そもそもサブカルチャーや風俗流行と無縁の「純粋な文学」があった時代など恐らく近代文学史のどこにも存在しないのだ。文学と不純な領域の混交を嘆く言説の背後には、かつて「純粋の文学」がある時点まで存在し、それが大衆文学と混交し不純なものとなっていく、という「史観」があるからだ。

大塚英志サブカルチャー文学論

 

大塚英志の「戦略」は江藤淳の「サブカルチャーと文学」への批評を手掛かりにして、その精神性をある程度引き受けた上で、江藤淳の「トータルカルチャー」への欲望をサブカルチャー的観点から断念して、「純粋な文学」が存在するといった「史観」や価値基準そのものを「江藤淳」にまで遡ることで借りつつ、「文学」を相対化させる試みだったといえます。いわば『サブカルチャー文学論』の戦略は「文学」畑の人間からは書かれない、サブカルチャーの「自明性」によって書かれた強みにありますが、「文学史」的にはサブカルチャーとの「拡散」と「流入」が生じていきます。 

そのことについて佐々木敦は『ニッポンの文学』で以下のように記しています。

 

そこでは大塚英志は「「歴史」ないしは「文学」への倫理性の発露としての「サブカルチャー」」というよりも、文字通りの「文学のサブカルチャー化」が推進されているようにも思えます。

「文学のサブカルチャー化」を「文学の相対化」と呼んでも同じことです。七〇年代末に江藤淳が憂えた「サブカルチュアの反映」への「堕落」を皮切りに、八〇年代そして九〇年代を通して「文学」はありとあらゆる「外部」によって相対化されていった。

佐々木敦『ニッポンの文学』

 

佐々木敦がみた「文学のサブカルチャー化」とは、江藤淳の「衰退史観」にみる肯定できる「サブカルチャーとしての文学」ではなく、「文学のサブカルチャー化」であり、「相対化」としてのサブカルチャー化の進行が「文学」という「内部」を侵食するように流入していくマンガやゲームなどの「外部」=サブカルチャーの存在を価値並列的(フラット化)に認識することでありました。あえていうならば吉本隆明的な認識の「追認」といえるでしょうか。

つまり、サブカルチャーが持つその意味合いは江藤淳的なものというよりも、むしろ江藤淳が憂いたサブカルチャー的な意味合いをおおいに含んだともいえる「文字通り」のサブカルチャー化=「相対化」を「文学史」的に記述したことでしょう。

佐々木敦の価値中立的な書き方によって、江藤淳サブカルチャー批判の「表層」が剥がされるようにして「文字通り」の「文学の相対化」が図られてしまった――「文学史」的な記述としてはそう読むことができます。

「文学」が「ジャンル小説」の一種としてなっていくように、価値基準が並列化していくことは、江藤淳のような「伝統」――価値基準では考えられない「時代」の流れとサブカルチャーによる「拡散」といえるでしょうから。

佐々木敦による価値中立的な「文学史」の記述は、マンガやゲームなどの「外部」によって「内部」を攪乱した、「文字通り」のサブカルチャー化した「文学」の現在を見渡すことにありました。

しかし、確認しておきたいのは文学領域とサブカルチャー(マンガやラノベ)の接近と接合は「表層的な現れ」にすぎないとするサブカルチャー側の大塚英志の存在でしょう。大塚英志は「文学のサブカルチャー化」はアニメやコミックの影響下に文学が入ることを必ずしも意味しないものであり、あくまでも江藤淳的な意味での「サブカルチャーとしての文学」のぎりぎりの軋みと肯定をその批評精神としてみるものであったからです。

 

(…)文学のサブカルチャー化という江藤の問いかけとは、80年代に顕在化したとされたコミックや広告やコピー等のサブカルチャー領域と文芸誌的文学の接近ないしは混交という表層的な現象ではなく、もう少し広く戦後文学史に共有された問題であった(…)

大塚英志サブカルチャー文学論

 

ここで江藤淳大塚英志サブカルチャーのラインではない、佐々木敦の記した「文字通りのサブカルチャー化」の差異をみることができるでしょう。佐々木敦の「文字通り」には素朴さが見受けられます。その素朴さはある意味では価値中立的な記述によって準備されたものといえるでしょうから。

大塚英志はマンガやアニメなどとの「文学」の混交は「表層的な現象」にすぎないとしてみています。

それでは佐々木敦は決定的な「誤読」をしたということでしょうか。

もちろん、違います。江藤淳的、大塚英志的なサブカルチャーの意味合いではなく、大塚英志がむしろ遠ざけた「表層的な現象」を時代の「混交」と「拡散」を経て「文字通り」に捉えるようにして、文学のサブカルチャー化=相対化になっていると「文学史」的にみたのが佐々木敦の『ニッポンの文学』といえます。「文学」は「外部」から流入したものを取り込んで相対化していき、「文字通りのサブカルチャー化」が進行した「歴史」を記述しています。

佐々木敦は、「文字通り」ゼロ年代の「拡散」を経て、大塚英志が述べた「表層的な現象」を「文学史」的に捉えたといえます。その記述の過程には江藤淳的な意味合いは「文字通り」に剥がされているような、「サブカルチャーとしての文学」ではなく「文学のサブカルチャー化」をフラットな「文学史的運動」としてみることができるでしょう。

大塚英志が「表層的」であるとみなした、虚構的なマンガやゲームなどの「外部」によって「文学」は相対化されていき、ジャンル間の越境と混交と拡散の進行が「文字通り」のサブカルチャー化として「文学史」的に受け止めた佐々木敦の議論は、現在までの時代の流れを正しく汲むものといえるでしょう。もちろん、その予見性を江藤淳も恐らくは抱いておりましたが――だからこそ「サブカルチャー化する文学」への懸念を批評していたともいえるでしょうから――、吉本隆明はより一層明確に「文学」への線引きを下げたことで「文字通り」のサブカルチャー化=「時代」に対応していたといえるでしょう。その意味では江藤淳の「批判」は「時代」に逆らうことで生じる緊張感をもった倫理ともいえます。

さて、江藤淳によるサブカルチャー批判はトータルカルチャー=「大文字の歴史」が自明であるという時代を前提に立つ「聖職者」的なものでしたが、いまや佐々木敦が記した前提に立てばサブカルチャーがトータルカルチャーとして代行されているような「錯覚」を抱くくらいには「市民権」を得ているのは自明でしょうか。相対化した分だけ外部性は溶け合い、むしろ個々人で「前景化」していった皮肉ともいえます。そのようなタコツボ的な意味で個々人で共同幻想が立ち上がるくらいには「相対化」してしまったともいえる「歴史」と「現実」のグロテスクな断面を覗くことはできるでしょうが、江藤淳のトータルカルチャーとは「大文字の歴史」を意識したうえで形成されているものであり、サブカルチャーは「歴史性」が断念されているものです。むしろ、大塚英志によればサブカルチャーは「歴史」の断念を引き受けているところから始まる倫理性の発露をみていますが、つまり「歴史」がないからこそ、ポストモダン的ないわば「大きな物語」が機能していたころにくらべて「大きな物語」を信じることすらできなくなった状況とつながっていく「拡散」と「歴史の切断面」というサブカルチャー化はパラレルな関係にあるとみるべきでしょう。

佐々木敦的な意味での「文字通り」のサブカルチャー化の促進は現代にもつうじるとみられます。その点でいえば、江藤淳は「大文字の歴史」をもはやみることができないような地点に立つサブカルチャー化=相対化を見届けて、改めて断念された上で「歴史」や「文学」を考えるべきだったのではないでしょうか。それこそが「サブカルチャー文学」であったのはいうまでもないでしょうが、「文字通り」の意味で「表層的」に攪乱されてしまった「文学」においてどのように緊張的な仮構性を築けるかどうかは江藤淳のトータルカルチャーへの欲望を裏切ることで、新たに表面化されるものであるから。そういう意味では、その精神性を引き受けながら「戦略的」に「文学」を相対化させようとしたのが大塚英志だといえるでしょう。その一環として、大塚英志が「サブカルチャー文学」を考える上で、マンガなどと「文学」の接近と混交を「表層的な現象」だとしてきたことは、それを遠ざけることで「そうではない論理」で「文学」を相対化させるためでもありましたが、佐々木敦のフラットな記述からすればある意味では「表層的」であることを引き受けたことで、「表層的」であると済ませるわけにはいかない「歴史」と現状のサブカルチャー化への認識を作ったといえるでしょう。

もちろん、その過程で江藤淳サブカルチャー批判と、大塚英志がみてきた「サブカルチャー文学」への緊張的な「進路」ではなく、佐々木敦的な価値中立的な「文字通り」の意味合いへと「拡散」していくようにして相対化されていき、変容していったといえます。それこそ「表層的」ともいえるようにして、サブカルチャーは立ち上がっていったと考えられる。

その結果――「文学」はサブカルチャーでしかないとみることになるでしょうか。

江藤淳的な批判を考慮しても、「文学」はサブカルチャーだとする大江健三郎を受けて、大塚英志はそれでは「文学」がどこにもなくなるという批評をとおした緊張と抵抗感がありました。つまり「文学」がサブカルチャーとみるのはペシミズムではないかと。それは江藤淳の「批評」の連続性としてある精神性でありますが、佐々木敦的な意味へのサブカルチャー化が変容した今や「文学」はサブカルチャーなのか、と考えてみましょう。

確かに「文学」を論じれば「批評家」であった時代は終わったともいえます。そのような特権性は「文学」にはもはやないという意味ではサブカルチャー的に価値が「拡散」した時代でしょう。

ここに、さやわか『文学の読み方』という本があります。

「文学」とは現実を描く=リアリズムそのものが「錯覚」であると主張する本になるといえるでしょうか。「錯覚」とはこの試論でいえば「仮構」と並べてもいいものでしょう。

これまでの「文学」と捉えられてきたイメージや評論を「文学史」的に検証しては、「文学」の曖昧さを暴き立てながら、鍵用語として「錯覚」を置いた本になります。「文学」とは、いわば言語ゲーム的な共同幻想の言語運動の立ち上がりを「錯覚」として位置づけることで、乱立した「解釈」を包摂しようとしています。

これまでの『俺ガイル』試論でも幾度となく書いたように「言葉と現実」はズレるものであります。

さやわかのいう「錯覚」とは、言語表現は「現実」とズレて、どこかもっともらしさを意味するねじれたものを意味しています。

だからこそ、「文学」はキャラクターの「内面」を描くことも「錯覚」的であり、どこかで「内面」を記述しようにもズレてしまう描写(リアリズム)の限界をみることができる。

そして、江藤淳サブカルチャー批判はトータルカルチャーの自明性が起点にあることは既にみてきましたが、しかし「言葉と現実」はどこかでズレるものだから「文学」で「現実」を描けない以上、その「全体性」そのものが「錯覚」的ではないのか、とさやわかは投げかけます。ある意味では、江藤淳の「文学」への自明性・前提そのものを「錯覚」でしかない、とひっくり返すような出発点といえるでしょう。しかし、江藤淳は「仮構性」に鋭敏であるのはみてきたとおりで、「文学」というトポスを要求したのもその「ねじれ」をみていたといえるでしょう。

文学のサブカルチャー化とは「文学」が社会を描けるという錯覚を、ついに錯覚として認め、その理想を断念せざるを得なかったことを意味するのです。

さやわか『文学の読み方』

 

さやわかのいう「文学のサブカルチャー化」は、「錯覚」をとおして江藤淳的な「トータルカルチャー」への断念を引き受けるものであり――サブカルチャー的に――つまり「歴史」の断念を引き受けざるを得ないという意味では江藤淳の「サブカルチャー文学」とも近いニュアンスを内包していることが分かります。江藤淳大塚英志でみてきた認識といえるでしょう。「戦後文学」としてのサブカルチャー文学は「歴史」の断念を引き受けるところからはじまる。

 

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あと、村上龍が「「ありのままの現実を描く」という理念」の不可能性を初めて暴露した、とあるけど(p.192)、それも間違いで、少なくとも太宰治はそのことばかり作品化していたはずです。だから、江藤淳の村上に対する「サブ・カルチュア」批判は、やはり敗戦やアメリカといった政治的関係のなかで考えるべきだろうと思う。

 

一方で、矢野利裕が指摘するようにさやわかの批評からは、江藤淳サブカルチャーにある「他者」=「アメリカの影」は文字通り漂白されているといえるでしょうか。

確かに「政治と文学」の関係性からみると、江藤淳にとって「アメリカ」は「他者」に含まれうるものであり、そのような「他者」は「伝統」=「大文字の歴史」に侵入してくる存在性をとおした「歴史」を眺めることの断念を引き受けざるを得ないもので、さやわかの「サブカルチャー化した文学」の理解は、「他者」をある意味ではみながらも――「歴史」の切断された側面を覗くようにして――、具体的な政治性は脱臭されているといえます。つまり「他者」の「歴史」を切断する存在的感覚はみているが、その内実にある政治的性格は消えているという意味では「半分」のニュアンスを捉えているとみるべきでしょう。比喩的にいえば、「歴史」の時間性から切断面はみていますが、政治的状況の空間性は捨象されているといえます。

しかしながら、「大文字の歴史」=トータルカルチャーへの断念を引き受けざるを得ないサブカルチャーにおける「虚構性」「仮構性」のみが指摘されているところは見逃せないでしょうが、むしろ「他者」によって「伝統」が攪乱され、サブカルチャー化は進行したとみるべきであり、仮に問題意識としての政治――「アメリカ」が滑り落ちたという指摘の是非にかかわらず、サブカルチャー化にみる虚構性と相対化へと滑ることが佐々木敦以降の価値中立的な「文学史」的流れともいえるでしょうか。

もちろん、仮構性を自覚することは「錯覚」的であることを認めるものであり、江藤淳サブカルチャー批判も虚構性に批判的であるか、という批評精神が重要視されていましたが、さやわかは前提に立っているトータルカルチャーを対置してみせている江藤淳サブカルチャー批判の自明性の「錯覚」を指摘しては、「文学のサブカルチャー化」は「錯覚」を引き受けて「歴史を断念して描けないことの不可能性としてのサブカルチャー」の仮構性に入り込むねじれを指し示していることでしょう。

 

江藤淳は、小説に描かれる個別の文化は、その背景にある文化全体を意識しながら描かれねばならない、としていました。さもなくば、文学は単に個々の文化を反映したもの――すなわち現実のごく一部を見て、それを文字に直しただけのものになってしまう。

しかし、言い換えればもともと文学というのは、常に現実の一部を文字に直すことくらいしかできないはずなのです。文学は現実そのものを描けないのだから、ましてその全体なんて描けるわけがない。

村上龍の小説は、その事実を暴いてしまうものだった。それはつまり、もはや文学に携わる者は作者であろうと読者であろうと、みんなの共通理解としての「文化全体」や「社会全体」を想定できなくなってしまった、という意味です。

誰もが現実の一側面しか見ることができず、全体を把握することはできない。日本文学が「流れの断絶」を迎えたというのは文学史の大きな潮流がなくなったという意味ですが、言い換えればそれぞれの作品がそれぞれの個別の現実を描いてしまい、複数の流れに拡散してしまったということです。

さやわか『文学の読み方』

さきほどみたように、さやわかの「文学のサブカルチャー化」は江藤淳的な意味合いをも慎重に含んでいました。江藤淳の「文学のサブカルチャー化」はトータルカルチャーという前提に立つ「全体性」への欲望を志向するものでありましたが、「歴史」=「全体性」が描けないことをそもそも「文学」は「錯覚」として、サブカルチャー化した観点からみた「文学史」から紐づけた言語ゲーム的な記述ともいえるでしょうか。ここでは「全体性」への断念を受けた「個別的な拡散」を「文学史」的に踏まえることで、江藤淳的な意味でのトータルカルチャーを対置することないサブカルチャー化の現状として、まさしく佐々木敦的な意味での文学のサブカルチャー化=相対化へと横滑りしてくようにして重なっていくことが読み取れるでしょう。

さやわかの記した「文学のサブカルチャー化」は江藤淳サブカルチャー批判の意味合いをある程度引き受けながらも、その自明性を「錯覚」であると指摘したのちに、サブカルチャー化していく「文学」の「個別的な拡散」=相対化を佐々木敦的な意味へと符号していくような「文学史」的な流れを汲んでいるといえます。

さやわかによると、「文学」は「現実」を描けなければ、「歴史性」も切断されてしまっている。断念を起点にせざるを得ないサブカルチャーとしての諦観と「錯覚」を引き受けるようにして、江藤淳サブカルチャー批判からの現状の流れを「文学史」と、「言葉と現実」のズレという素朴な観点から「文学」における言語ゲーム的な「錯覚」を暴露するように『文学の読み方』は記したといえるでしょう。

このようなさやわかの態度から、「文学」はサブカルチャー的であると考えられるでしょうか。

大塚英志がペシミズムであるとした「文学」はサブカルチャーでしかない、とする態度に近いと考えることができます。しかし、それでは「文学」がなくなってしまうから。

ここで重要なのは、さやわかはそもそも「文学」というのが「錯覚」でしかないことを記述してみせたことでしょう。仮構的な産物であると。

なぜなら、江藤淳サブカルチャー批判の自明性に立っていたトータルカルチャー=「現実」を描くこと自体が「描けない」ことの不可能性をさやわかはみている差異があります。江藤淳にとっては「現実」に傷を付ける表現を「文学」に欲望していたことになりますが、さやわかにとって「文学」とは実体がない「錯覚」そのものとなります。「現実」を描くことも「錯覚」であれば、いわば「現実」に傷をひっかけることもリアリティのある「錯覚」とみるべきでしょう。ねじれの産物であることは、さやわかも江藤淳も了解していますから、つまりさやわか的な「文学」への意味合いをみるならば、「錯覚」というねじれを引き受けるようにして、「言葉と現実」のズレにある否定神学的な領域で、かろうじて「文学」は「錯覚」であることをつなぎとめて成立するのではないでしょうか。それこそサブカルチャー的に「断念」を引き受けることと重なるようにして。ここでのさやわかと江藤淳の差異は「トータルカルチャー」への欲望の有無だけであり、「文学」へのねじれは「錯覚」をとおして重なっているとみるべきでしょう。

リアリズムも「現実」を描くものではなく、「文学」は「現実」を描くものだという「錯覚」的な言語運動であり、さやわかはその不可能性から「錯覚」として引き受けることで、虚構であるのにリアルだと「錯覚」するねじれをみることに重心を置いています。

言語ゲーム的なリアリズムで「現実」を描けると考えるのが「錯覚」にすぎず、自分たちが描けるのはどこまでいっても虚構なのだと認め、表現を深化させていくことを推進するさやわかの書き方をみてみますと――江藤淳的な「サブカルチャー文学」観を想起させるでしょうか――、「言葉と現実」のズレから『俺ガイル』が卑近な他者とのコミュニケーションに過剰に意味やズレを見出した可能性と不可能性をとおして、それでも言葉でもって倒錯性を抱えながら描かれた「素朴な小説観」を確認してきたように、『俺ガイル』も「錯覚」というねじれを引き受けた「文学」といえるでしょうか。

そもそも現実を描くことが「文学」という「錯覚」であり、「現実」のままを描写することは不可能であるために虚構性の高い作品そのものにある種のリアルを感じる転倒が生じる。そのねじれを「錯覚」ともいえるでしょう。

『俺ガイル』は、ライトノベルのような虚構性をくぐり抜けて「現実」めいた手触りをキャラクターの実在感と卑近な他者とのコミュニケーションに宿る「言葉と現実」のズレを遠近法的に導入することで、「現実」自体を描写できない「文学の不可能性」への断念を記号的に、そして虚構的に経由しながらも「文学」への素朴な距離感を表現しようしたのではないでしょうか。そのような「素朴さ」を発見することができるように、「残念」が抱え込む清濁併せ吞むようなニュアンスを含むことで、キャラクターの遠近感と交点をとおして表現しようとしたのではないでしょうか。

改めて確認しますと、江藤淳サブカルチャー化はトータルカルチャーを意識して描く必要性を説いていました。

しかし、さやわかが主張するように「現実」を描けない以上、「トータルカルチャー」をも捉えることはできないのではないでしょう。そうするとトータルカルチャーと呼ばれうるものも「錯覚」的であり、「全体性のように受け取れる」というのは「錯覚」がもたらしたねじれ=転倒であり、「過剰」な読みになるでしょう。もちろん「文学」が抱えてしまう「現実」への「過剰」な希求性の反映・欲望ともいえるでしょうか。

しかし、その「過剰」さが「現実」への倫理性の発露ともいえるでしょうから、「断念」を引き受けることで、佐々木敦的な価値中立的な「表層性」と折り合いをつけながら「文学はサブカルチャー化」しているという結論に落ち着くでしょう。

ありのままの「現実」を描写することはできません。「言葉」で「現実」を捉えきるのは不可能であるからこそ、描写の限界というリアリズムの言語運動における出発と断念があるといえます。

ですから、言語ゲーム的にサブカルチャー化は避けられないでしょう。さらに「個別の拡散」を経るようにして、佐々木敦が価値中立的に指摘した「文字通り」の意味合いも含んだジャンルの並列化=文学の相対化も同様に要請されてきました。

ここまで、江藤淳から大塚英志佐々木敦、さやわかを経由して「サブカルチャー化した文学」への批評をみてきました。

それでは、さやわかがいうように「文学」が「錯覚」であるならば、「文学」を読むとはどういうことになるでしょうか。

ひとつには曖昧さや余白を許容するための「言葉」との向き合う時間軸・トポスを仮構することが「文学」の役割だといえるでしょう。そのような「過剰さ」を受け止める「器」と「空間」ともいえます。

言葉にして名前を付けて思考停止をする楽観的姿勢ではなく、「疑い続ける」ための時間軸やトポスを持つことが重要になるように、倫理的な意味として「素朴」な意味で体現しようしたのが『俺ガイル』だったのではないでしょうか。

同時に、夏目漱石サン=テグジュペリ太宰治の「名作」と呼ばれるものを作中で引用している事実は、「近代文学」における文脈依存への接合点をライトノベルの観点から探る試みではあったのではないでしょうか。

あるいは「手記」のような「叫び」もまた「文学」への距離を相対化するようにして見つめているために生じたものと考えられるでしょう。

ここに「文学」への素朴な距離感をみることができます。

決して『俺ガイル』がライトノベルの場所から「文学」的にアプローチした初めての作品だと言いたいわけではありません。正確に言うと「サブカルチャーの文法」に則った「文学」への素朴な共鳴が『俺ガイル』にはあるとみています。

しかし、ここに「文学」の更新はないでしょう。ある意味では「追認」といってもいいかもしれません。既存の「文学」への距離感に対して、文脈依存の語りそのものが「既知となる文学への態度」でしかないと取れるように――ですから、これまで発見してきた「素朴さ」への批判も可能でしょう。

しかしながら、ここで重要なのは批判されうる可能性を含む「素朴さ」という距離感と立ち位置をみることです。

ここまでみてきたように、『俺ガイル』にはサブカルチャー化という「相対化」のうえで「文学」への保守化しているような距離感は見て取れます。あまりにも素朴で、よくも悪くも「文学」という「自律性」に依拠するようにして、保守的な意味で「文学」への入り口が開かれているともいえるでしょうか。

もちろん、そのこと自体が「錯覚」的であり、「仮構的」でもあるからこそ、「文学」は曖昧なままにある運動性から逆説的に自律しているようにも見えてしまい、再帰的に捉え返すことでみえてしまう。たとえば「手記」で問われたように既存の「文学」への「疑い」もありますが、そのこと自体が「文学」への自明性や距離感をはたらかせてしまうともいえるでしょう。相対化とは自明性に立つことではじめて成立するものですから。

『ニッポンの文学』でみたようにサブカルチャー化した結果、「文学」は「制度」でしかありません。ある種形骸化されているともいえるでしょうし、権威性は温存されているともいえるでしょう。

とはいえ「定義論」というよりも、佐々木敦がいうように「レーベル」によるものといえます。「純文学」は文芸誌に掲載されたもので、ライトノベルの定義もレーベルによって整理できるでしょう。

そのような「制度」からみると、佐々木敦が述べた「文学」は「文学」であるという定義論におけるトートロジーに代表されるように、一見すると定義の位置づけに困るものの、「文学の相対化」――価値中立的な意味でのジャンル化によって「制度」であること自体が攪乱されていくことで更新されていき、「文学」を再帰的に確認していくことにつながっていく運動の一つに『俺ガイル』があるとみられるでしょうか。そもそもこの試論がそうであるように。

『俺ガイル』にサブカルチャーの二重性(ライトノベルとしてのサブカルチャー江藤淳的なサブカルチャー)を引き受けることで出発した試論ですが、「文学のサブカルチャー化」は江藤淳的なサブカルチャーの意味合いというよりも、佐々木敦がいうような「文字通り」の「文学の相対化」として進行していきました。さやわかの議論も、「錯覚」を用いて江藤淳的な意味合いをある程度は引き受けながらも「断念」しているところはみてきました。

「文学」にしろ「サブカルチャー」にせよ「仮構性」が持つねじれへの指摘という意味で重なっているともいえるでしょうか。

『俺ガイル』の「素朴な小説観」はこれまでみてきたとおりです。

「文学」の相対化の一端に『俺ガイル』が位置しているとみるべきでしょう。ライトノベル的な意味と江藤淳的な意味のサブカルチャーの二重性を受けて、相対化した結果、「文学」として語られてこなかったライトノベルの地点に素朴に「文学」として応答しようとしているのが『俺ガイル』といえます。

その過程では江藤淳的な意味合いは表面上では剥がされていき、相対化していったことで『俺ガイル』が「文学」という「仮構」の一端として位置していることでしょう。

もはや「大文字の歴史」と直結することはできません。ねじれという転倒した閉鎖性と虚構性によるリアルな手触りだけがあります。その感触さえも「錯覚」的であったとしても、だからこそサブカルチャー的に虚構性に耽溺しているともいえます。

しかし、だからこそ「部分的」な実存があるといえるでしょうか。「部分」でしか、「相対化」された位置でしか描けない倫理もあるでしょう。『俺ガイル』10巻の「手記」のように――。

もちろん、江藤淳からすればサブカルチャー側からの居直りかもしれません。

仮構されたキャラクターをとおした矮小化された「私」のざわめき。卑近な「私」を書くことで、そのような卑小さを他者とのコミュニケーションの多義的なズレ=「まちがい」をとおして拡大化してみせて自己言及的に物語化したのが『俺ガイル』になります。

局所的なサブカルチャーであるからこそ、素朴に「文学」との距離を再帰的にみつめて記したのではないか。

『俺ガイル』は「私」の相対化と疎外感を描いてきました。非対称性(私と他者/言葉と現実)を意識しながら、「私」と他者をもつなぎとめる「言葉」を「まちがい」を経て「疑って」きたともいえます。そのことを「私」と他者との(ディス)コミュニケーションの文法に物語的に落とし込んだのが『俺ガイル』になるでしょう。「私」という自意識と、目の前にいる具体的な他者によって攪乱される「言葉と内面」を記述することで、「私」の実存と倫理を巡るようにして物語として展開するように。

これまでみてきたように「言葉と現実」のズレと小説の言葉にならないことを言葉にする矛盾を引き受けるようにした倒錯性は、「文学」への「素朴さ」の発見といえるでしょう。素朴さの反映は「文学の相対化」=「流入」と「拡散」の結果といえます。「文学」の距離感を探るようにして、『俺ガイル』はライトノベルというサブカルチャーの領域から「文学」への流入を図るように、ライトノベルと「文学」を引き裂くわけでもなく接合するように、むしろ2つの距離感の相対化をサブカルチャーの文法から試みたといえるでしょうから。

「文学」は「錯覚」的であるからこそ、「制度」でもあるでしょう。「文学」という曖昧で実体はなく、「言葉と現実」のズレにみる感触だけが手がかりともいえます。であるから「錯覚」であり、倫理性を過剰に要求されるようにして「仮構」されうるものが「文学」だともいえます。

しかし「錯覚」であったとしても、「仮構」であったとしても、その地点にあるねじれを引き受けることで小説は読まれうるものです。「文学」が「錯覚」であろうとも、言語ゲーム的な共同幻想再帰的に捉え返すことで立体的にみることの必要はあるでしょうし、それゆえに見つめては信じるに値するねじれのリアリティがあるでしょうから。

そして「文学」が「制度」であるからこそ、『俺ガイル』はサブカルチャーとして距離をみつめて相対化の一端から「拡散」と「流入」をみせようと小説的に対応したのではないか。

これまでみてきたように二項対立は仮構的なものとするのが『俺ガイル』でした。その過程では矮小的な「私」、そして卑近な他者とのコミュニケーションにおけるズレの「拡大化」というねじれの現前化をしてみせたともいえます。

「文学」も仮構的なもので、サブカルチャー的であり、そのズレ=運動を再帰的に問い直すように「過剰」に読んでいくものでしょう。

「文学」がズレを引き込むようにして言葉と他者と向き合うものとするならば、卑近的な意味で物語的に落とし込んだ『俺ガイル』は――サブカルチャー的に相対化してみせるようにして――意識と「声」の束を記述してみせて、その「素朴さ」でもって小説的に現前化しては応答したといえます。

今や、その肉声を聞くことができるでしょう。

サブカルチャー化した文学から呼びかけられるように。

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