フトボル男

可哀相じゃない!

おおたまラジオ#4-3『GIANT KILLING』49巻感想

政夫:『ジャイキリ』新刊を読んだんですよ。49巻。今、日本代表戦やっているんですよね。アジアカップ。で、49巻の内容はメインは中国戦で、監督のモデルがリッピなんです。

 

ろこ:懐かしい。

 

政夫:W杯優勝したイタリア人というプロフィールなんで、リッピなんですけど、リッピの手腕がどうのこうのとかいう話ではなくて、『ジャイキリ』49巻が描いているのは大きく言えば中国戦と、海外の代理人たちが日本戦を見に来ているという情報が作中で言及されるんですけど…僕はコンテクストの問題もあって凄い誤解を生みそうな発言になるかもしれないですけど、今の『ジャイキリ』は読んでて面白くないと思っていまして。基本的に『ジャイキリ』を一回売っているんですよ。十何巻まで持っていたものを。それを一回売ったんですよ。面白くないと思って。

 

ろこ:ほう。

 

政夫:偶々、その時に働いていたバイト先で『ジャイキリ』30巻を立ち読みをしていたら(笑)まさかの号泣するという。30巻は神なんですよね。

 

ろこ:よく話したな、それは。

 

政夫:よく話しているじゃないですか。30巻はマジで神だと。

僕はマンガのリテラシーが高い人間じゃないですし、アンテナとかも無い方だけど、『ジャイキリ』30巻は率直に言って神なんですよ。あらゆるスポーツ漫画の頂点の一角を占めているんじゃないかと思うくらい凄いことをやっていて、その30巻を読んでしまったがためにまた集め直したんですよ。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:そっからの積み重ねで49巻まで買っているわけなんですけど、30巻で蓄えた『ジャイキリ』へのエネルギーが底をついてしまったわけですよ。

勿論、代表戦入る前に東京ダービー編がありまして。持田のダービーを見て、僕は『ジャイキリ』の中では持田が一番好きなので。

 

ろこ:はいはい。

 

政夫:(東京ダービー編)見せ方としていい感じかなと、勿論持田という存在感があったからこそ、今の代表戦の一つのテーマになっているんですよ。花森持田世代というのがキーになっていて。それが根底にありながらも、如何に代表として世代交代していき、新戦力を活性化していくかという最適解を模索することをグループステージでやっているんですよね。そこは正直、窪田と椿がピースとしてハマっていくのが目に見えているから全くそこに興味はなくて。

『ジャイキリ』ってそもそも達海という監督と、椿という選手側の目線のW主人公なんですよね。

 

ろこ:はー。

 

政夫:勿論、達海が主人公なんですけど、彼がジャイアント・キリングを成し遂げていくためには、実際に試合をしている選手たちが勝たないといけないのだから、誰がサクセスストーリーに乗っかっていくか、シンデレラボーイになっていくのかが椿なんですよ。それが達海とETUの勢いに乗っかって、昨シーズンまでサテライトだった選手が、もうA代表入りしているんですよ。まあ、アリエナイじゃないですか(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:そこに、日本代表戦にライド出来ている人は、椿のシンデレラストーリーを追い掛けるのが楽しい人だと思うんですよ(後は日本代表という『大きな物語』の中でのオールスター感)。僕は元々サッカー漫画そんな好きじゃない人間なので。サッカー漫画をあまり面白いと思わないんですよ。

 

ろこ:初耳。

 

政夫;スポーツ漫画なら野球漫画の方が読むんで。

 

ろこ:マジ?

 

政夫:マジです。野球漫画の方が漫画としての見せ方がバラエティ豊かで、サッカー漫画はどうしても1試合を描くには、大体『ジャイキリ』みたいなスタイルですよ、ボールを一個挟んだ上での対面の選手たち同士のドラマがある(『小さな物語』の乱立)というのが、一つの試合=大きなものの中で小さなドラマが点々とあるというのがサッカー漫画的で、あれがダルイんですよ。勿論、野球漫画は野球漫画でダルイところもあるんですけど(なぜダルイかは後述)。

『ジャイキリ』にしても大体弱小から始まっているスポーツ漫画は、どんどん強くなっていけば、メタ的に次の相手にも勝つんだろうなと思ってしまうわけですよね。

 

ろこ:だいぶね。

 

政夫:『ジャイキリ』はもうそれに乗っちゃっているから。あとはどうやってリーグ優勝するかどうか(見せ方として)でしょ。

見えちゃっているから。スポーツ漫画の欠点は、結果が見えやすいこと。

 

ろこ:なるほどね。

 

政夫:だから僕がスポーツ漫画に求める傑作の条件は、どっちが勝つかマジで分からないやつ。どっちがマジで勝つか分からない試合を描いたら、それは神ですよ。

例えば、今年僕は『ハイキュー!!』がマジで凄くて。

 

ろこ:聞いたことはある。

 

政夫:ちょっと『ハイキュー!!』はビビりましたね。ぶっ飛びました。

 

ろこ:どの辺が?

 

政夫:アニメで観たんですけど、どっちが勝つかマジで分からないし、本当に一試合観たような充実感と疲労感があるんですよ観終わった後に。

 

ろこ:入り込んでいるな(笑)

 

政夫:ライドしちゃっているんですよ。ライドするにはどっちが勝つか分からないのを引っ張ってくれないとライドできない。どうせ主人公側が勝つんだろうなと思って観てしまうと、当然ライドできないんですよ。これが長寿スポーツ漫画の欠点なんですよね。それを言うと、『ジャイキリ』はタイトル的に既にジャイキリじゃないじゃんみたいな(笑)

ただ、椿というピッチの主人公に目を向ければ、彼の歩んだ道はジャイキリなんですよ。その椿君がいかにA代表で輝くかが焦点になっている今は、僕は興味が無くて、だからこそ代表戦は全く面白くない。描き方もコミカルなんですけど、達海の二番煎じ感もありますし。キャラの造形というか…台詞回しは豊かなんですけど、性格の悪さや腹黒さをブランが出しても「達海的」で終わっちゃう感じ。デジャブ的で。

その中でいえば、清水の監督が熱血系で新しかったんですよね。古いんだけど新しいんですよ。『ジャイキリ』の中では。『ジャイキリ』の世界観の監督像は、みんなドライなのに、清水の監督は熱血系で体育会系の造形だから古いけど新しい。一周回って新しい形になっているんですけど…。

その辺の、興味を持続させていくためのもの(牽引力)は大変なんだろうなって。

それを、49巻が結構面白かったんですよね(笑)なんでかというと、リッピがどうのこうのじゃないんですよ。試合にガッツリとコミットした描き方をしていないんですよね。試合を通じてのメタメッセージを描こうとしているんですよ。

それが、チャイナマネーが参入している中国サッカー事情なんですよ。

 

ろこ:おお!

 

政夫:それと、アジアのマーケットを開拓しようとしているヨーロッパのクラブの代理人たちの話。

 

ろこ:面白そう、それ。

 

政夫:若い選手はなるべく早く海外に行った方がいいというブランのメッセージがあったり。代表戦なんですけど、描いていることは代表戦よりもメタレベルで一つ上の次元で、移籍市場やチャイナマネーなどの大きな次元(『大きな物語』)の話をしているんですよ。49巻は。

その辺の感覚が、今までの『ジャイキリ』の規模と比較すると大きな描かれ方がされている。ただ試合大好き!という人からすれば微妙な評価になるかもしれないけど、試合自体に興味が持てない人間からすると、そういう次元のデカい話(『大きな物語』の乱立)してくれる方が面白いんですよ(笑)

 

ろこ:あー。

 

政夫:リッピを引っ張ってきた中国サッカーはどうしたいのか(金で文化は買えないが、金がサッカー(界)を面白くしている事実)とか。中国サッカーの育成事情とか。チャイナマネーで引っ張って来るのは攻撃の選手ばっかで、それを守る選手は中国人ばかりだから守備のリーダーの不在(守備のお手本になる選手の有無)の話とか、そういう話を書いているんですよ。

 

ろこ:いいねいいね。

 

政夫:全然そっちの方が面白いなって思ってて。49巻はそういう話なので是非とも読んで欲しいなって。

 

ろこ:持田は出ないの?

 

政夫:出ないですね。

 

ろこ:持田のライバルの花森は上手いの?

 

政夫:上手いですね。48巻と49巻でやっているのは、花森の孤独です。花森・持田世代だったのに、持田不在の間、花森がそれを埋めて一人で世代を引っ張っていたのに、今回も持田がいないから花森が孤独なんですよ。その絶対的エースの孤独を今描いていますね。

 

ろこ:あー。それ面白そう。

 

政夫:その花森の孤独を癒すのが窪田と椿になるのがミエミエなんですよ(笑)

 

ろこ:そっか(笑)

 

政夫:そこは興味持てないですけど、花森君が幸せになればいいじゃないですか。

 

ろこ:雑(笑)

 

 ※11月に配信した音声を一部文字起こししたものです。

球漫画はそもそも野球自体が「間」のスポーツであり、日本人が好む国民的スポーツは大抵「間」のあるものが多いと言われている。野球しかり相撲も。それに比べて、「間」ではなくサッカーは連続性のスポーツであり、野球漫画はサッカー漫画などに代表される連続性のあるスポーツよりも漫画上の演出的な「止め」や「スピード感を出すためのコマ割り」やドラマの挿入が不自然ではないようにスムーズに移行できる点がある。

漫画的な「間」とそのスポーツ特有の「間」の妙なシンクロニシティによって、キャラのエピソード挿入や感情のメリハリが相乗効果的に表現できるのが野球漫画の強みだと思っている。

一方で、連続性のあるスポーツはスピード感があればあるほどに作中の時間経過と読者の体感時間のズレが起きやすくなる。その時間のズレをコマ割りでどれだけコントロールし、ピッチやコートの時間や空間を演出的に誇張できるか(誤魔化せるか)が大事だと思う。

 

 

GIANT KILLING(49) (モーニング KC)

GIANT KILLING(49) (モーニング KC)

 

 

 

GIANT KILLING(48) (モーニング KC)

GIANT KILLING(48) (モーニング KC)

 

 

 

GIANT KILLING(30) (モーニング KC)

GIANT KILLING(30) (モーニング KC)

 

 

 

 

おおたまラジオ#4-2 銀杏BOYZに捧げる愛と涙の語り

政夫:銀杏のLIVE行ったという話聞かせて下さいよ。


ろこ:政夫君は銀杏どれくらい知っているの?


政夫:高校時代、K君という子が銀杏好きだったのは覚えています(笑)


ろこ:そんくらいか(笑)


政夫:そうです。K君は軽音部所属で。


ろこ:銀杏ってバンドって認識じゃないですか。初期のメンバーはもういなくて、解散していて、今も銀杏BOYZなんだけど、もうほぼほぼ見に来ているファンは峯田を観に行っているという。


政夫:峯田のバンドを観に行く感じですか。


ろこ:バンドも怪しいかも。


政夫:超初歩的な前提を確認しないといけないんですけど、解散する前の銀杏BOYZは、峯田を観に行く感覚ではなかったということですよね。峯田のバンドを観に行くっていう感覚でも無かったわけですね。バンドの中の峯田…


ろこ:いや、銀杏BOYZだね。色んな曲があるんだよね。一番有名なのは『BABY BABY』だと思うんだけど、あんまり好きじゃなかったのよ。


政夫:『BABY BABY』が一番有名だけど、それよりも他の曲の方がいいんじゃね?みたいな話ですよね。


ろこ:多分、聴いていた時、そういう年代だったのよ。あの曲が歌っているのは恋愛の歌なのよ。青春=恋愛と考えるなら確かにそうなんだけど、他の曲のメッセージとか、銀杏というバンドのスタイルとか…


政夫:分かった!あー分かった。銀杏らしさが抜け落ちているとは言えないまでも、銀杏じゃなくても歌えるんじゃねーのということですよね。


ろこ:うん。『BABY BABY』はね。だからそんな好きじゃなかったのよ。今の峯田が歌う『BABY BABY』は好きになってきたんだよね。この辺が言語化が難しいんだけど、本人のインタビューとかでもあるように、バンドが終わって、銀杏の過去を知らない人もいて、最近の俳優活動の露出から知ったという人もいて、でも峯田的にはそういう売れ方はしたくなかったと思う。俺はそう思っているんだよね。


政夫:石原さとみと恋をしたくなかったということですか。


ろこ:したくなかったと思っている。分からん。これ俺の幻想かもしれんけど、でも売れちゃったから受け容れるしかないじゃん。過去の銀杏BOYZじゃなくて、今の違う銀杏BOYZを背負って生きていくよみたいな話。

それに付いてきてくれるファンなら分かってくれるであろう、過去的でもある銀杏らしさが新曲にちょいちょい入れてきているんだよね。


政夫:継承されていると。文化的遺伝子が。銀杏らしさが仄かに香っていると。


ろこ:それがロックなのか?


政夫:一つ質問いですか。寿命論で、おおたまラジオも第4回なので熱心なリスナーの方も。


ろこ:おるか(笑)


政夫:さぞ多くね。信者の方も。


ろこ:おるか(笑)


政夫:お布施を払いたいという信者さんもたくさんいると思うんですけど、第1回でろこさんが寿命論を苦しく話していたじゃないですか。そこで銀杏の話も出ていたじゃないですか。銀杏らしさが残っていれば、バンドとしての形態は変わっていてもなお変わり続けないものもあるというのは、ノスタルジー的な良さなのか。その良さしかないのか。あるいはもっと変わっていくバンドとしての未来とか気にならないのか。

気になるんですよ。僕もバンド好きだから分かるんですけど、アルバムを順々に出す毎に作風がかなり変わっていく。それによって1stからいたファンが、3rdアルバム以降、振り落とされるみたいな。凄い捻くれたギターテクだったのに、3rd以降からキャッチーになったりとか。これ、俺が聴きたいバンドの音じゃないなといってファンが離れていくって結構あると思うんですけど、具体名は出しませんが。生々しくなっちゃうから。

僕個人の見解を述べるなら、同じような曲聴いていたいなら昔の曲ずっと聴いていればいいじゃんと思っちゃう派なので、僕はバンドとしての未来は変わり続けることかなって。変わらないものがあったとしても、変わり続けないとダメだろと。


ろこ:それは政夫君の中でのベターなのよ。でも、銀杏を過去聴いていた人たちはちょっと違う気がする。もっと中途半端というか未完成。


政夫:ノスタルジーじゃなくて卒業できていないんですね。


ろこ:そうそう。アイデンティティ。もうちょっとまだ青春していたい奴ら。まだ大人になりきれていない奴ら(笑)


政夫:なるほど(笑)


ろこ:さっきの政夫君が言ったのが、絶対的に考え方としては大人なのよ。それをしていけばもっと楽に生きていけるというか、成熟していくというか。


政夫:僕の見解の延長なんですが、評価軸として毎回新しい音出しているから「冒険した!野心的!」だと評価するのとまた別の話があるじゃないですか。スタンスは凄いと思うけど、それが成功しているかどうかはまた別の話だから。その辺が込み入ってきてしまうから、複雑になるから、人にとっては安定した基準が持てているある種のノスタルジーであり、確固としたアイデンティティのもとで音を掻き鳴らしてくれた方が、自分の評価というのも同一基準だから揺るがないわけですよ。

ただ、アルバムを出していくほどに音が複雑化していくし、音がバラエティに富んでしまうと「このバンドって結局なんなんだ」ってなるんですよね。引き出しが多くなりすぎると。


ろこ:あー。


政夫:そうなった時の評価軸は、バンドがアップデートしているんだったら、聴く側もアップデートしないといけないんですよ。それをサボってしまうと、嫌な言い方ですが、自分の好きな部分だけしか評価軸に乗せないのは、僕はフェアじゃないと思う。やることやってからやろうよと。それは目茶目茶大変なんですよ。

だって、その音を作ったバンド自身がめちゃめちゃ大変なことをしているんだから、それを受容するファン側も大変になるんですよ。元々そのバンドを聴き始めた時は、そのサウンドが無かったのだから、そのサウンドに慣れ親しんでいないんですよ。その新しい音に対して、新しい評価軸を作らないといけないんですよ新しく。


ろこ:それは、峯田はやっているんですよね。


政夫:おー。これ打ち合わせしていないですよ(笑)


ろこ:2014年にやっているのよ。


政夫:(笑)


ろこ:『光の中に立っていてね』というアルバムで、今までの曲のアレンジとしてノイズミュージックをやっているのよ。峯田の声が聴きたかった人たちからすれば、かなり抵抗のあるものだったと思うし、批判もあったし、銀杏終わった説もあったんだけど、俺はめっちゃ良かったのよ。


政夫:僕は銀杏ファンじゃないし、詳しくも分からないから果たしてどこまで言及していいか分からないですけど、なぜノイズをわざわざ掛けたのかまで考えないといけないんですよ。


ろこ:そうなんよ。


政夫:聴いている側も。その辺を考えずにあれこれ言うのは楽だからね。


ろこ:そこのアップデートしろというのはオカシイんだけど。


政夫:そうなんですよね。娯楽だから。


ろこ:そう。


政夫:ただ、個人的にはクリエイターが魂込めて作ったものに対して、こっちも本気出さないでどうするのって思いますよ、僕は。


ろこ:(笑)


政夫:マジですよ。だから真面目に『青ブタ』とか話しているじゃないですか(笑)


ろこ:(笑)


政夫:何事においてもどれだけ意味を汲み取れるかみたいなテストされている気がしますよ、常に。それに対して自分がキャッチできないんだったら、向上しないといけないでしょうし、他人が自分以上にキャッチしているんだったら、他人を見て学ばないといけないでしょうし。


ろこ:でもね、峯田が歌っていた曲は一生懸命的であり、ダサさも肯定してくれているのよ。だから、別に…


政夫:必死こいてダサいのはいいんですよ。必死こかないでダサいのはダサいでしょって。話を戻しましょう。今、峯田を見に来ていると。


ろこ:それは俺と一緒に観に行ったファンが言っていた。だいぶ客層変わったなって。
俺がLIVEで受け取ったメッセージはね、俺たち年を取ったけど、あなたたちも年を取ったよねというスタンスなんだよね。でも、名前を残しているじゃん、銀杏BOYZとして。

これこそノスタルジーを売り続けているというか、それは新曲の歌詞やメロディで分かっちゃうんだよね。そこの、これはロックなのかって俺の中ではあるんだよ。まだ整理できていない。


政夫:ある意味、銀杏BOYZをメタ的に観ればロックになるんじゃないですか。銀杏BOYZという一つの箱に対するある種反逆的な、内省的な、批評的になっているという風に取れるんだったら…話を聞いている感じだと探し続けている途中のような。


ろこ:そうなんだよね。でも、俺はこうなると思わなかったんだよね。ずっと。

ラブ&ピース的なバンドになると思っていなかった。だから『BABY BABY』もあんま好きじゃなかった。


政夫:他のバンド的なものだったのが、銀杏の主流になってしまったと。『BABY BABY』的なものがありふれてしまったということですかね。


ろこ:かな。


政夫:それは『BABY BABY』が売れたからじゃないですか。認知されちゃったからじゃないですか。


ろこ:だから新曲はアンサーソング的なんだよね。その結果、新規層が来ているのよ。


政夫:今日ろこさんの話を真っ新な状態で聴いて、おおたまラジオのリスナー、熱心な信者さんと同じ目線で。


ろこ:おるか(笑)


政夫:話を聞いているわけですけど…いるいる(笑)その(アンサーソングについて)企みが成功しているかどうかは、『BABY BABY』的な曲に対して一つのアンサーソングが書かれたということは、銀杏BOYZの一つの区切りなのではと思いましたが。違うんですか?その区切りに対して、ろこさんとかが抱いていたものがクリアになることの方が企みとして成功しているかどうかって話になるんじゃないんですか。


ろこ:区切りは間違いなくて。


政夫:そこでスッキリしているかどうかですよね。だから重要なのはアンサーソングの次ですよね。


ろこ:そうなんだけど、アンサーソングから新曲を2、3曲を出したのよね。大体同じ路線。


政夫:卒業はしていないんですね。


ろこ:…うん。でもね、峯田はもう限界だと思う(笑)


政夫:(笑)限界か…。


ろこ:限界というとアレだけど、時代に合わせるっちゃ合わせると、というか。


政夫:ラブ&ピースな曲が増えたという話ですが、いつの時代も普遍的なものですから。基本的に愛が足りていないですし。愛が足りないです。


ろこ:(笑)だって、それが一番共感しやすいし、そこに何を突き付けるのかといったら、リアリティじゃん。


政夫:それは役者としての峯田が、役を通じて得た何かを還元した可能性もありそうですね。


ろこ:絶対それや。もう書けないなってのは分かっていると思う。


政夫:話題が暗いな(笑)


ろこ:(笑)


政夫:寿命論といい、峯田限界論といい話題が暗いな(笑)


ろこ:でも、恋愛って『青ブタ』の話じゃないけど、進まないといけないこともあるじゃない。空気を打ち破って。で、失敗することもあるやん。そのセンチメンタルさを肯定してくれているわけよ。


政夫:結果が成功だろうが失敗だろうが、行動に移したことは評価されるべきですよ。恋愛のみならず。


ろこ:そこは大事にしているというか、捨てきっていないから。


政夫:その辺の目線を大事にしているというのは、要は弱者への寄り添い方ですよね。強い人はコンテンツを摂取する必要もないですけど、基本的にコンテンツというのは弱い人のためのもので。
LIVEはどうだったんですか。


ろこ:良かったです。泣いたよね、正直。


政夫:それは何の涙だったんですか。


ろこ:悔し涙かもしれんな。


政夫:えっ。


ろこ:嘘嘘嘘(笑)感動の涙よ。それは、でもこの曲やってくれたみたいな。


政夫:さっきのセンチメンタルな部分、弱さを肯定してくれている。あるいは甘えかもしれないものを掬い取ってくれる優しさみたいな話をしていたじゃないですか。峯田自身がまだ残っていると言ってて、その全部ひっくるめたセンチメンタルな部分を、ろこさん自身が銀杏BOYZに対して持っているということですよね。裏返せば。


ろこ:俺はそれが正解だと思って生きているかもしれん。


政夫:デカいこと言い始めた(笑)


ろこ:(笑)
いや、そうじゃない?


政夫:僕もマッチョな考え方は出来ないから…。


ろこ:俺が好きな歌で『夢で逢えたら』というのがあるんだよね。

君に彼氏がいたら悲しいけど 

「君が好き」だという それだけで僕は嬉しいのさ

 という歌詞。真っ直ぐじゃないですか。


政夫:恋愛感情の処理の仕方なんて結局自己満足なんですよね。それに対して他者が乗っかって来るかどうかの結果論に過ぎないんですよ。コミュニケーションの産物ですよ、恋愛は。

突き詰めて行けば、どう自分の感情を処理していくかになっていくから、今の歌詞は正しいですよ。相手に彼氏がいようが彼女がいようが、関係ないんですよ自分の感情には。


ろこ:正解やん。


政夫:それを相手に彼氏がいるから彼女がいるからって言って、諦めてどうこう言って大人になったフリをする人がみっともない。


ろこ:(笑)


政夫:大人なんだろうけど、みっともないね。


ろこ:(笑)


政夫:それだったら、天気雨の中、涙ながらに告白する古賀朋絵を見習った方がいいですよ。ほら、『青ブタ』に繋げてきましたよ(笑)


ろこ:熱いな。凄い熱いな(笑)


政夫:そんな言う僕は、相手に彼氏がいたら引き下がるんですけどね。


ろこ:なにそのオチ(笑)


政夫:(笑)相手によります。


ろこ:相手によるんか。そういうことですね(笑)

 

 ※11月に配信した音声を一部文字起こししたものです。

光のなかに立っていてね *通常仕様

光のなかに立っていてね *通常仕様

 

 

おおたまラジオ#4-1『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を語りました

政夫:『青ブタ』4話~6話まで観たんですか?古賀朋絵回ですよ。


ろこ:はい。観ました。


政夫:どうでした。


ろこ:んー。んー。観たのが日曜の夜で、今日は土曜日じゃないですか。あとで話そうと思ったんだけど、銀杏BOYZのLIVEに行ったんですよ。なので…


政夫:記憶に残ってらっしゃらない?


ろこ:んー。あらすじをちょっと。


政夫:古賀朋絵がラプラスの悪魔で、空気を読むタイプで、空気を読んで読んで読みすぎて空気になるタイプなんですよね。クラスの女子のグループからハブられないように空気を読んで、空気を合わせ、先輩から告白されるんだけど、その先輩を気になっているのは古賀朋絵のいるグループのボス女で、その子に嫌われたくないから告白を断りたいんだけど、断ると角が立つしで板挟みになってしまっている。そこで梓川と出会い…みたいな。公園でケツを蹴り合った仲ですよ。


ろこ:俺、イマイチ、物語の軸として繰り返すというのがあるじゃないですか。


政夫:古賀朋絵回はループモノでしたね。


ろこ:そこがちょっと急になるやんか(見せ方として)。


政夫:定番なんですよね。学校とループものって。学校という箱庭の中で、終わらない日常を繰り返すための仕掛けなんですよ。ループが。ただただ終わらない日常(モラトリアム的)を消費していくだけの比喩になっているんですよ、ループの構造自体が。そこから、ループの輪からどのように抜け出すのかが問われるんですよ。

ハルヒ』の「エンドレスエイト」などで(代表作は押井守うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』)、当時画期的だったのは8週間同じ内容を本編でやったんですよ。8話ループしたんですよ。僕らのリアルタイムで。セリフや服装を微妙に変えて8回分の放送でループしたんですよ。8週間同じ話を見せられたんですよ、オタクは。


ろこ:(笑)


政夫:『ハルヒ』ファンでさえも擁護できないような炎上騒動になったんですけど。ループものって作品の根幹に関わるから具体例が出しにくいんですけど、『ハルヒ』くらいなら超有名だから言いましたが。

とにかく終わりのない日々(=変わらない日々)をただ繰り返して生きていくというのを題材にループが使いやすいんですよ。その終わりのない、堕落していく惰性的な(モラトリアム的)日々の繰り返しの中に自分が没入している。そこに不自然さを感じるのが、ループからの脱出のキッカケになるんですよ。大体、愛の力で乗り越えるんですけど。


ろこ:いや、愛は大事やで。


政夫:『青ブタ』がやっているのってSF的要素、桜島先輩なら透明化現象でしたし、古賀朋絵はループでしたね。7話でやっている双葉のは分裂なんですよ。自己が引き裂かれた話なんですよ。双葉回は結論がまだなので何とも言えないですけど、現状の6話までで判断するなら、SF的要素=思春期症候群で、その発症したキッカケを何かの力で、他で埋め合わせして、それで乗り越えていくのが『青ブタ』のセラピーなんですよ。

解決方法のセラピーとしてのエッセンスは愛の力しかないんですよね。桜島先輩に告白したのが1話~3話で…


ろこ:今回の結論って愛なの?


政夫:愛ですよ。


ろこ:恋じゃなくて愛なの?


政夫:恋愛です。恋愛の力で乗り越えていくが一つ定番化しているのかなって思いました。


ろこ:古賀朋絵はずっと認めたくない感じだったじゃん。


政夫:年上のツンとした男性にちょっと良い所見せられたら落ちたチョロインですよね。


ろこ:それに付き合う梓川はお人好しというか御都合的。


政夫:古賀朋絵を助けようと思ったキッカケが妹を彷彿とさせたことからなんですよね。妹さんは空気を読もうとしていたんだけど、それを読まなかったがために外れてしまった、思春期症候群になってしまった過去があるから、古賀朋絵と同じなんですよ(空気に敏感という意)。空気を読まないといけないのに、それをサボったらハブられるのだから、恐怖心ですよ。義務感といってもいいかも。

サボってしまったのが妹ちゃんで、それをサボるとどうなるか分かっているからサボらないのが古賀朋絵なんですよ。あの辺のグループの顔を立てないといけないボスの顔を見ながらペコペコして、みんなに合わせて、ヘラヘラして同じものを摂取したり…その辺のダサさが古賀朋絵なんですよ。でも、そのダサさが「みんな」の共通文法なんですよ。特に学校では。それが自然とカースト制度に繋がっていくんですよ。


ろこ:うんうん。


政夫:つまりこの辺の話をすると、『桐島、部活やめるってよ』の話に直結するから止めますけど(笑)


ろこ:(笑)『桐島』はねー。


政夫:『桐島』でいえば、神木君は空気読まない系なのかもしれないけど、空気を読んでいます一応。


ろこ:そうか?


政夫:そうですよ。映画オタクな部分、教室で雑誌広げていますけど、誰の害にならないようになっているじゃないですか。無害なんですよ。「空気」になってしまっているわけですよね。無害認定されたオタクなんですよ。


ろこ:そうだね。映画同好会みたいなのに入っていて、もう一人いるじゃん。あいつと絡んだり、カースト上位の子が笑っているシーンとか覚えているわ。


政夫:『桐島』でお互いに空気を読む部分、共通の暗黙の了解を示し合わせている凄いシーンだなって思ったのは、橋本愛と東出くんのグループにいるチャラい奴が実は付き合っているという設定。誰にも言っていない仲で。


ろこ:あー。


政夫:教室でヒソヒソと示し合わせていたという。あの辺の実は二人付き合っているんですって、あの二人はカースト上位なんですよね。


ろこ:あの女ヤバいで。


政夫:あの二人がいるカーストは上位なんですけど、同じグループではなくて近いグループなんですよ。派閥じゃないけど、グループ間(男女間ともいえる)の微妙な距離感があって、同じグループ内の味方に配慮した際に、「私たち実はこっそり付き合っているんだけど誰にも言えないよね」感じを誰もいない教室で仲良くよろしくやっているところに、こいつらめちゃめちゃ空気を読んだ結果なんだろうなって、すぐ分かるんですよあのシーンだけで。


ろこ:はいはいはい。


政夫:基本的にカースト制度の話って、トップカーストに所属している人間の悩みって、最下層の人間からすると、「あいつらはいいよな。悩みとかないんだろうな」と思うんですよ。虐げられている側からすれば。大体、両者共に似たような悩みを抱えているというのが面白いところで、それが『桐島』だったりするんですよ。

一番『桐島』が面白いところは東出君が抱えている悩みを、既に神木君が乗り越えてしまっているという。


ろこ:野球部の子が象徴的で…。


政夫:(『青ブタ』に)話を戻しましょう。『桐島』になっている(笑)


ろこ:もうちょい話したい(笑)


政夫:『青ブタ』の5話と6話ってビビッと来ませんでしたか?


ろこ:いやー。だから、ビビッと来なかったな。梓川がご都合主義というか、何回もやり直せる前提ならどうすることもできるじゃんって。なのに、海行ったりしてたやん。一番、楽しんでいるじゃん。


政夫:でもずっと繰り返すんですよ、あの日常が。地獄じゃありませんか。抜け出せないんですよ。


ろこ:地獄か?


政夫:抜け出せないんですよ。抜け出しのは古賀朋絵が秘めていた嘘を暴いたからですよ。


ろこ:暴き方もなんか…


政夫:傲慢的でしたね。自分(梓川)には好きな先輩がいる、でも古賀は俺が好きなんだろちゃんと言ってみろって感じ(通過儀礼的)ですからね。
言葉にしないとダメなんですよ。言葉にして行動しないとダメなんですよ。『青ブタ』の恋愛の力で乗り越えていくみたいなのが定番化している話をしましたが、フィジカルはありますよね。実践的であるという意味で。思考レベルの話だったら…。
僕は第5話と第6話の演出がマジで凄いなと思っていて。


ろこ:ちょっと聞かせて。


政夫:5話の終わりに古賀朋絵が自宅で勉強しているんですよ。

で、グループのボス女からLINEが来て動画のレコメンド連絡なんですよね。動画のリンクを開いたら、動画を観ようと思ったらYoutubeなんですよね。だから広告動画があるじゃないですか。その広告動画が桜島先輩なんですよ。それを見て顔が曇る古賀朋絵、で5話が終わるんですよ。これ凄くないですか。演出的に。


ろこ:あー(笑)


政夫:素晴らしいと思ったんですけど。日常的なものを使って如何に桜島先輩に対して嫉妬している古賀朋絵を見せるかという演出としては最高じゃないですか。しかもレコメンドされた動画は観ないといけないルールのもとだから。動画を観るためには広告動画も観ないといけないんですよ。
あとは6話の告白シーンですね。天気雨だったというところが、僕は凄い好きで。晴れているのに雨が降っている、その微妙な曖昧な関係性が天気雨的で、ろこさんは告白の是非について相当イチャモンをつけたいようですけど。


ろこ:イチャモン(笑)


政夫:僕は美しいシーンの一つだなって。天気雨含めて。しかも天気雨があるからこそ、雨が降っているからこそ、古賀朋絵は泣きながら告白してフラれることで、その涙を洗い流すことができるんですよ。アフターサービス付きですよ(笑)


ろこ:(笑)

 ※11月に配信した音声を一部文字起こししたものです。

『青ブタ』の4話~6話は話としてはチープでありながら、王道的展開をどれだけ演出や演技といった見せ方で引っ張るのかという一点において上手くできていたと思う。

そのヒロインでもある古賀朋絵というキャラは、空気を読み、空気に合わせ、「みんな」の一部になることで「みんな」という全体になるように努めている。その行動原理は「みんな」と違うことによる不安と恐怖からくる使命感であり、義務感。

だからこそ「みんな」という不特定多数に気を遣い、「みんな」から外れまいとオンラインでもオフラインでも常時過剰に繋がっている昨今、スマホというデバイスの前でも学校、つまり教室という空間の拡張によって「みんな」と空気がどこまでも侵食してきている。SNS疲れやスマホ疲れを申告する若者が増加する一方で、その徒労感がありながらも古賀朋絵のように「みんな」に合わせることで処世術を駆使し、サバイブしている若い子は多いと思われる。その延長で、第5話のラストのように友達からオススメされた動画のページを一目散に開き、桜島先輩の広告動画が流れて嫉妬に眉を顰める古賀朋絵という演出はラジオ内でも言及したが、やはり至高なのである。

※本編ではループ構造について話し、またその点の都合の良さに対してろこさんが抱いた疑問を解消し切れていないが、プチデビル編は「ループ」ではなく「未来予測」だったことがガッツリ抜け落ちていました。大変失礼いたしました。

 

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おおたまラジオ#3-2 映画を観に行く友達が少ないんですが

政夫:俺の悩み聴いて貰ってもいいですか。


ろこ:急に(笑)


政夫:あのー、映画を見に行く友達少ないんですよ。切実な悩みで。


ろこ:これ共感してしまうんだけど。


政夫:マジっすか。俺、二人しかいないんですよね、映画観に行ける友達。


ろこ:ちょっと待って。定期的ということ?


政夫:全体で。二人しか映画観に行こうと思う友達いないんです(笑)


ろこ:(笑)あー。俺もそんないないよ。


政夫:例えば高校時代だったら友情割引というのがありまして、3人でいけば1000円だったんですよ。友情割引を餌に映画を観に行っていたんですよ。映画館も学校から近くて。で、高校卒業したら奴らと疎遠になりまして。結局、色んな友人がいますが、トータルで映画を観に行こうと思える友達が2人しかいないんですよ。一番付き合いの長い友人は小・中からの付き合いなんですけど、そいつとは映画観に行ったことないです。今まで。


ろこ:なんで。行こうぜってならないの。


政夫:ならないです。家でDVD鑑賞はありましたよ。飲みながら。本腰を入れて映画館に行こうぜというのはなくて。あくまでも僕の感覚としてなんですが、ガッツリ…いや、『ボヘミアン・ラプソディ』超観たいんですよ。


ろこ:(笑)


政夫:超観たくて。どうしようかなって思っていて…一人映画で良いじゃんと言えば終わると思わないでくださいよ(笑)


ろこ:(笑)


政夫:一人映画でよくないから言っているんですよ。


ろこ:一人で観に行けばええやんけ。


政夫:なんで、こんな話しているのかというと、「何を観る」も大事ですよ、勿論映画だから。同じくらいに「誰と観る」かも大事なんですよ俺にとっては。


ろこ:(笑)おもろいな。


政夫:それを選びすぎた結果、映画を観に行ける友達2人しかいないんですよね。僕が今まで20何年生きてきて、あの時楽しかったなと思い返すことは色々あるんですけど、その中で僕が最後に映画館に行ったのが朝井リョウ原作の『何者』の時なんですよね。『何者』を観て、当時の友達は就活中だったんですよね(笑)

僕は『何者』関連で二人の人間を怒らせたことがあるんですよ。当時就活中だった友達に原作小説を渡し、読ませたという。もう一人は映画ですよね。一緒に観に行って、「今の君には大事な作品だから(笑)」と言って。あれ、ガッツリ就活の話じゃないですか。就活の人間の厭らしいところが暴かれる作品じゃないですか。自意識が、自意識で守られている部分とそうではない部分全部が露呈してしまう、みっともなく足掻いて血反吐を吐きながらもなんとか自分と向き合って前を向いていく超熱い作品なんですよ『何者』は。
当時、『何者』を観てから近場のファミレスで2、3時間ずっと『何者』の話をしていたんですよ。あの時が間違いなく幸せだったんですよ(笑)


ろこ:(笑)


政夫:超楽しかったんですよ、あの時が。僕の基準になっちゃったのかなって。

あの幸せな時間を共有できる友達ってどれくらい居るんだろうと、嫌な話ですが、友達の選別をすると結果的に二人しかいないんですよね。それって『何者』を観たからどうこうじゃなくて。その前からそうだったんですよ、僕の環境は。


ろこ:うん。


政夫:そしたら、他にも誘える奴いるのに、なんであの二人としかえたら映画行かないのかなって考えたら、俺は「誰と観る」かも大事にしているんだなって。

そうなると、『ボヘミアン・ラプソディ』は誰と観るかも大事な映画じゃんってなるんですよ。


ろこ:あんまり分からないけど、Queenの話だっけ。


政夫:伝記映画ですね。


ろこ:その後に喋りたい共有したいんだよね。


政夫:めっちゃ喋りたいです。映画を観た日は、その日眠るまで没入していたいんです。


ろこ:それ前言っていたな。全然分からんわ。


政夫:今年だったら、春に『心が叫びたがってるんだ』というアニメ映画を観まして、あれがとても良い映画だとは思えないんですけど、それでも朝の5時まで眠れなくて(笑)


ろこ:(笑)いやー。


政夫:映画を観てハイオシマイじゃなくて。映画を観終わってからが大事だと思っている派で。だからこそ誰と観るかもめちゃめちゃ大事になってくるんですよ。


ろこ:視点が視聴者じゃないよね。


政夫:なんすか(笑)


ろこ:視聴者というよりも向こう側に行くみたいな。


政夫:向こう側(笑)


ろこ:コンテンツの向こう側(笑)


政夫:新世界(笑)


ろこ:という要素もあるわけだろ。でも、確かにそういう日もあるな。


政夫:僕はそういう日しかないから、映画を本数観れなくなった感じです。10代の時は古い映画をレンタルして観漁っていましたが、20代になってから一つの作品に対する時間の掛け方、特に作品がよければよいほど引っ張られる感じ。でも、引っ張られ過ぎると朝5時まで眠れないから、ある程度の区切りは必要なんですよ。

その作品と僕の自意識の格闘なんかは、マグロ漁船の映像みたいですよ。荒れ狂う荒波の中で暴れまわっているマグロ相手に闘っている漁師さんというビジュアルを想像して貰えれば。


ろこ:想像しづらいです(笑)


政夫:なんで(笑)想像つくでしょ。マグロ漁船のドキュメンタリー結構やっているんだから。


ろこ:解決策としては、他の友達を見付ける。コミュニティとか。そういうことが面白がれる人というかさ。居そうだけどな、政夫君の伝手を辿れば。


政夫:そうでもないですよ。結構みんなサッパリしていて、面倒臭い人間少ないんですよね。こんな話してんだから、超面倒臭いじゃないですか、僕。いや、それは自覚しているんで。

ただ、映画観て楽しかったで終わりたくないんですよ。それがシンプルで感想として集約されているのは重々承知の上なんですけど、その「面白かった・楽しかった」を乗り越えた上に何かあるでしょと。
「面白かった・楽しかった」という感想に比べて、批評的な意見を差し伸べると純粋な楽しみ方から外れていると意見する人がいるんですよ。


ろこ:あー。スタンス的な話。


政夫:ポジションの話ですね。お前の純粋さと俺の純粋さ全然違うからって。軟水と硬水くらい違うよって。


ろこ:それちょっと分からない(笑)


政夫:(笑)他人の純粋さに、己の純粋さという尺度で殴ってくるのダメですよね。入っちゃ。別の話なんですよね。


ろこ:分かる分かる。


政夫:批評的な話をしている人たちが「面白かった・楽しかった」という意見を全く否定しているわけじゃなくて、ある意味、その批評的な態度を取っていることこそが、その人にとっての「楽しい」であり、「面白い」なんですよ。その姿勢こそがその人にとって純粋なんですよ。ろこさんが言ったようにスタンスの違いだけで…僕は面倒くさい側の人間なので面倒臭いくらいめっちゃ喋りたいんですよね。だから『ボヘミアン・ラプソディ』を一人で観るの勿体無いのかなって。


ろこ:なるほどね。話したらいいのに。ラジオやっているんだから、ログとして残るんだし、そういう方法もあるじゃん。


政夫:それもありますが…今回でおおたまラジオ第3回目ですけど、終わって聴き返した時に「『青ブタ』のこの辺、もっとこういう風に喋れば良かったな」ってなるわけじゃないですか。


ろこ:もう、そうだね。


政夫:話し言葉の方がリアルタイムで修正できるんですけど、言葉の数を尽くせる姿勢はとても純粋に届くと思うんですよね。だけど、思っていることの1/3も伝えられないんですよ。


ろこ:だからブログ書いて、と言っているじゃん(笑)


政夫:書き言葉だと過不足なく出来るんですよ。


ろこ:そうそう。ブログって訂正できるんだよね。


政夫:訂正はできますが、読み手と書き手のラグがあるので。話し言葉の今、例えば僕が不適切な言葉を言っても、即座に謝罪と訂正ができるんですよ。

でも、ブログで僕が不適切な投稿をしたら、他人から指摘されるまで僕が気付かなかったとしたら、そこでラグが発生しているんですよ。どっちが真摯な態度なのかは、リアルタイム性を突き詰めれば話し言葉の方が強い。


ろこ:強いかな…


政夫:でも情報量としてはどうかなって。言葉の数を尽くしきれないから。反省点だらけじゃないですか。Youtuberとしてね(笑)


ろこ:(笑)俺、その自覚ないけど。


政夫:ろこさんは映画観に行く友達、どんくらいいるんですか。


ろこ:結構おる。違う趣味から派生した。フェスからね。コミュニティというよりもグループがあって、そこからグループLINEに入り、集合参加型な感じなんだよね。俺はノータッチなんだけど。自分のエネルギーの問題というかね。自分のめっちゃ観たいという映画があっても、エネルギー的な問題で面倒臭いこともある。だから、友達はいるけど体験はしていない。
さっき政夫くんが喋っていた、駄弁っていた時が一番楽しいみたいな感覚はなったことないから、その人らとて。だから難しいな…。


政夫:そうなんですね。


ろこ:地元のツレと行くのもあまり無いからなあ。


政夫:今まで一番、一緒に映画を観に行っている友達とは長いこと色んな作品を観て来たんですけど、お互いにお互いのリズムとかを把握しているから、映画終わって外に出て、彼は喫煙者なので喫煙所に行くんですけど、喫煙所に行って彼が煙草を吸い始めるまではお互いにピリピリした感じで無言なんですよ(笑)


ろこ:それ嫌だわ(笑)


政夫:どっちが先に撃つかみたいな。核のボタンの牽制(笑)
それくらい彼が話す映画の切り口が凄い好きで、それに対して自分も、ギフトに対してはギフトで返さないとみたいなのありませんか。


ろこ:あー。作品との距離感よね。


政夫:よっぽど、彼と映画を観に行く時はお互いに気力が充実していないと中々難しくて。最近は映画観に行こうってならないんですよ、めったに。だから『ボヘミアン・ラプソディ』は彼と近々観に行くんですけど、それでも結局、スケジュールの調整で破談になったのがこれまで色々ありまして。今年でいえば『ペンギン・ハイウェイ』や『カメラを止めるな』とかね。


ろこ:DVDじゃアカンの?俺、とある友人がいて、家に遊びに行って暇だからとりあえずツタヤに行くみたいなノリが大学時代にあったのよ。


政夫:今だったらアマゾンプライムやネトフリでしょうね。大学時代って20年くらい前でしたっけ。


ろこ:随分、俺を年上にするな(笑)随分やぞ(笑)


政夫:(笑)


ろこ:喧嘩になった覚えがあるんだよね。


政夫:映画のチョイスで。


ろこ:観た映画を忘れているという。


政夫:喧嘩になった末にろこさんが妥協して友人が選んだ映画を観て、あの野郎ふざけんな馬鹿野郎と言って忘却したという感じですかね。


ろこ:そうそう。DVDは他に作業が出来るじゃん。


政夫:分かります。その自由度がアレなんですよね。ライドできないんですよね。集中して観ないと思います。自由度があるから。映画館だったら…


ろこ:空間だもんね。


政夫:その場なので全力でコミットできるじゃないですか。


ろこ:面倒臭い(笑)


政夫(笑)


ろこ:今のこの時代に、映画館に行くのは大事だと思うよ。そっちの方が大事だな。


政夫:サービスも拡張されていますものね。4DXとか爆音上映や応援上映だったり。スペシャルな演出があるから映画館は非日常。


ろこ:解決していない(笑)


政夫:だから相談しているんですよ。映画観に行く友達少ないんですけど、どうしたらいいですか。


ろこ:一個はコミュニティよね。時間掛かるけど。


政夫:こういう話していると嫌な人間だなって受け取られるんでしょうけど、顔見知りの線引きをしているわけじゃないですか。コイツとは行ける。コイツとは無理という風に。その結果、2人しかいない。嫌なポジションの話をしているわけですけど。


ろこ:やろ?


政夫:それは事実で、否定しきれない事実で(笑)


ろこ:だって面白さの強制って出来ないじゃん。


政夫:折角シェアするんだったら、「誰と」も観るじゃないですか。その結果が2人ですよ(笑)


ろこ:2人いるのは贅沢かもと思うぞ。


政夫:マジすか。


ろこ:(笑)政夫くんが理想としている形にはならないと思うけどね。話聞いて思ったけど。


政夫:ネットで適当に誰か捕まえて観に行くってやってみましょうか。結局、相談の解決策としてろこさんが言っているのは贅沢言うなってことですよね(笑)


ろこ:いや。政夫君的にその2人が楽しかったという体験があったとして、全く知らん人と行くのはアリなの?


政夫:どうなんでしょうね。


ろこ:その2人だったら、「この後」が分かっているんだろ、映画観賞的に。


政夫:要するにアフターサービスがあるということ(笑)


ろこ:言い方(笑)


政夫:確かですね。それを知っていながらも、わざわざ他の人と行くのってことに…


ろこ:でも、映画コミュニティがあるか知らんけど、そういう人を募集している感じしない?オンラインとか。


政夫:そういう掲示板とかあるんですか。


ろこ:分からんけど、俺がよく聴いているポッドキャストは映画好き集めて、今やっている映画じゃなくて過去作品が上映しているから観に行きましょうって。具体的に日程や場所を指定されて、アフターサービスまでセットで。


政夫:(笑)


ろこ:イベント的にね。やる側はそこまでセットするのが普通やん。それって強制イベントじゃないから。会社の飲み会の後のカラオケみたいな感じじゃないじゃん。


政夫:リアルだな(笑)実体験だなこれ。ブルーハーツ歌ったら盛り上がるやつだな。


ろこ:そうそう。選曲のセンスが難しいんだよね…それは置いといて(笑)

前、政夫君がコミュニティに属していると幸せになれるみたいな話。


政夫:石川善樹さんと吉田尚記アナの共著のやつですね。


ろこ:是非、プレ配信回を聴いて欲しいんだけど。政夫君が属しているコミュニティって何個あるか問題から紐解いてみる?


政夫:ま、家族ですよね。


ろこ:はいはい。


政夫:だけですね。


ろこ:(笑)


政夫:(笑)


ろこ:それはそれで悲しなるわ(笑)


政夫:5つはないです。


ろこ:そこから政夫君次第。増やしたいのかどうか。


政夫:考えていないで誰かと観に行けという話なんでしょうけど、その結果で、僕の中でアタリハズレという線引きが出来ちゃうのが嫌ですよね。こういう話をしている時点で、そこは乗り越えているんじゃないのって思うでしょうけど、僕もそこまで鬼じゃないんでね。ま、ハズレと分かる時点でポジティブであったりするんですけど。


ろこ:根深いなー。


政夫:(笑)


ろこ:普段何かを観るにあたって、モヤモヤするのは映画だけなの?例えばアニメとか。俺は基本アニメは観ないんだよね。


政夫:基本アニメを観ない人が『青ブタ』観ますか?


ろこ:だから要は俺も話したいと思って…


政夫:なんか嫌ですね。俺も話したいと思って『青ブタ』観ていると言えば、こいつきっと反応するだろうなって思われているのが嫌ですね。


ろこ:いやいやいや(笑)

でも、俺は解説してくれよみたいなメールをしたら、政夫君に訊いたらね、その数倍返ってくるんですよ。


政夫:本当、ろこさんが『ハルヒ』や『物語シリーズ』とか観ていればもっと話せましたよ。


ろこ:そうなんだ…だから違う人と映画観に行ったらそんな感じになるんや。政夫君とかが思っているのとは違うアフターサービス的な(笑)


政夫:こんな感じになる…。


ろこ:俺への紹介通話みたいじゃん。それをラジオにしているのはどうかなって思うけど。『ボヘミアン・ラプソディ』って前情報は必要になるんじゃないの?伝記でしょ?


政夫:ウィキペディア見ればいいですよ(笑)


ろこ:ボーダーが軽くなった(笑)


政夫:Queenリアルタイム世代ではないのでね。伝記映画って前情報必要なんですかね。これから映画で語るのにって。


ろこ:確かに、ジョブズの映画は結構観れたな。


政夫:伝記映画ってそういうものでは。


ろこ:これ解決するのか。


政夫:しないでしょうね。


ろこ:(笑)一人は嫌なんでしょ?


政夫:そうですね。


ろこ:一人でモヤモヤして、観ていないやつに喋るスタンスではないんだよね。


政夫:ろこさんが凄いなと思うのは、僕が観ていなくてろこさんが観た映画を、メールとか通話とかで何々観たんだけどって紹介するじゃないですか。あの辺のスタンスって凄いなって。摂取して咀嚼して他人にプレゼンするって、違う回路のエネルギー使ってないと難しくないですか。分かるんですよ。良いものを観たら誰かに勧めたくなる感覚や感情は凄い分かるんですけど。それを毎回の頻度でやっているから…


ろこ:摂取に重きを置いて、忘れる人間だから。


政夫:自分が観ていて他人が観ていない映画のプレゼンは、違うエネルギーだからあまりビジョンが浮かばないんですよね。勧め慣れていないという話なんでしょうけど、それよりも前提として誰々と共有している約束の下、誰かと話すのが僕の中では楽かなって。前提を省略できるんで。


ろこ:はいはい。


政夫:あらすじとかね。第2回で『コンビニ人間』の話をしたじゃないですか。『コンビニ人間』の物語どうこうみたいな話はあまりしてなくて、する必要がないと思っていて。ろこさん読んでいるし。それが省略できる方が楽なんですよね。
感想ブログとかであらすじ長々と書いているのって愚かだなって思うんですよ。そんなのググれば誰でも分かる情報だし、それだったらお前がどう思ったのか書けよ最初からと。そこを省略できるかどうかが大事なんですよね。だからこそ改めてゼロから相手に伝えるのは、僕の中では違う回路のエネルギーかなって。それをろこさんが毎回プレゼンしてくるから凄いなって(笑)


ろこ:(笑)


政夫:疲れちゃいます。


ろこ:疲れる…ないな。へー。どうなんだろう。ベクトルなのか…。


政夫:ろこさんのスタンスの方が引き出しは多いように見えますよね。前提の有無がないから。


ろこ:広いというかね。どっちが…どうなんですかね。

 

※11月に配信した音声を一部文字起こししたものです。

 

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おおたまラジオ#3-1『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を語る

政夫:DM来てビックリしたんですけど、『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を観ているらしいですね。

 

ろこ:それは3話まで観たよ。面白くて。政夫くん観ているかなって。

 

政夫:マジでビックリしましたよ。なんで、ろこさんが『青ブタ』観てんのって。だって『青ブタ』ってオタクアニメですよ。

 

ろこ:でも、話されているよね。地上でも(笑)。人から勧められたもの。

 

政夫:情報を整理すると、ろこさんが知り合いから、まずろこさんが映画『一週間フレンズ』を観て、それからそれと同じぽいよということでオススメされたのが『青ブタ』だったということですよね。

 

ろこ:同じというか、似ているというか。

 

政夫:『一週間フレンズ』と『青ブタ』ってどこが似ていると…

 

ろこ:ジャンルの話じゃないの。学園モノとして。

 

政夫:広いですね!枠組みが広い。メールの内容が『一週間フレンズ』観て超つまらなかったけど…って。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:知り合いから似ているよと観始めたのが『青ブタ』という記憶なんですけど。

 

ろこ:知り合いによれば、秋アニメ一位が『青ブタ』だったらしいから。

 

政夫:顔も名前も存じ上げないからひたすらアレなんですけど、めっちゃオタクですね(笑)『青ブタ』好みって言っているのオタクですよ。

メールが来てから『一週間フレンズ』と『青ブタ』が似てるってことについてマジで2日間くらい考えて…え、どこが似ているんだろうって。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:どうしても考え付くのは、『一週間フレンズ』というのは一週間しか記憶がもたない藤宮さんというヒロインと男の子の友達以上恋人未満みたいな話。

『青ブタ』の1話~3話はバニーガールの桜島先輩が透明化していて。思春期症候群の透明化現象が起きていて、世界中の誰もが私の事を認知しなくなっても君は私の事を憶えてくれている?忘れないでね、という部分ですよね。承認機能として、似ているのって。

要するに、その部分だけ切り取れば、男側からすればあわよくばとか下心(宇野常寛のいうレイプ・ファンタジー的なもの)があるんですよ。

 

ろこ:俺が観たのは実写映画なんだけど。

 

政夫:アニメ版もそうですよ。下心が不純だとかは思わないですよ。真っ当な動機だと思うんで。自分の気になっている人間に対して、「忘れないでね」と言われたら「忘れないさ」と返したい気持ちは不純というよりも正直ですもんね。

で、『一週間フレンズ』はヒロインが忘れちゃうと。なんで忘れちゃうんだろうという葛藤の繰り返しで、恋を寄せている主人公はめげずにアピールしているみたいな。そんなガツガツはしないでね。

 

ろこ:終わり方としてはバッドエンド的で。終幕までの流れが淡々としているのよ。映画的に。

で、何の意味があったの?って。何も残らないというかね。最初、設定だけ出して…演出の問題なのかな。

 

政夫:あれは、時の忘却性というか暴力性ですよね。自分だけは覚えいてるのに他人は忘れてしまっているという寂しさ。自分にとっては特別な事なのに他人と特別として共有できていない時の気恥ずかしさや怒りや虚しさが通り過ぎていく。それでも乗り越えて、その人と一緒にいたいという理由や自分を内省的に見つめ直していく過程で、なぜ彼女のことが気になるのだろうとか。

結局、恋愛なんですけど、『青ブタ』はニヒルな性格をしていて。『一週間』は爽やか。その辺のキャラの違いはあるにしても、『青ブタ』なら透明化現象、『一週間』なら一週間限定の記憶にしても、男の方が不遇なんですよ。両作品の彼女たちには各々の葛藤があるんですが、基本的には作品は男目線ですよね。

『青ブタ』の作中で言及されていましたが、世界中で誰か一人でも自分のことを承認してくれる存在がいれば自分は救われる発言ですよね。自分が、この人だけには承認されていれば自分という存在は確立できるんだという。

結局、それなんですよ『一週間フレンズ』も。そのボタンの掛け違いが面白いところであり、時の忘却性が承認機能への障害として設定されていて、一方で『青ブタ』は透明化現象によって好きな人との距離が遠くなり、最終的に忘れたくない人忘れちゃ駄目な人を忘れてしまったわけですよね。

その時の桜島先輩の孤独ってのが描かれていない訳ですが、描かれていないからこそ逆に読み解けるものってあるじゃないですか。桜島先輩が消えちゃいますよね。見えなくなっちゃいますよね。梓川が眠っちゃったから。

 

ろこ:テスト勉強中にね。

 

政夫:桜島先輩を認知できなくなった。梓川桜島先輩のいない日常が平然と繰り広げられているんですけど、桜島先輩という存在に対するノイズは全く入らない。桜島先輩を知らない自分がそのまま日常的に描かれている中で、そのような視点の描き方をすれば、反対側に目を向ければ居ないけどかつて居た人の不在、居ないと言う風に描かれているけど、そこには居るんですよ。透明化しているだけで。

その桜島先輩の孤独たるやは本編では描かれていないですけど、物凄く濃密に語ってくれるじゃないですか。逆に。

 

ろこ:意味の話か。

 

政夫:桜島先輩の直接的なモノローグはないんですよ。透明化しているから。敢えて本編で言わないことで描かないことで、本編以上にこちらに語りかけてくるのは桜島先輩の孤独なんですよね。その孤独に結びついたのが、自分自身が芸能人でちょっと疲れちゃったと。日常に溶け込むんだけど、「あの桜島先輩だ」という風に異物的なんですよね。腫れ物的に扱われるから。

 

ろこ:そこ気になったんだよね。

 

政夫:そこを観ているんだけど、観ていないフリをしていて「空気」を醸成して、透明化に繋がった。その透明化に繋がったのは、桜島先輩自体の態度も直結しているわけじゃないですか。「私のことを誰も知らない世界に行きたい」みたいな。だから「普通」の女子高生をやっているわけじゃないですか。芸能界を休養して。

それによって芸能人桜島麻衣というアイデンティティが、芸能界からフェードアウトすることで一本の柱を失ったようなもので、周りからすれば元・芸能人だとか今も現在形で芸能人だろうが、桜島先輩は桜島先輩なんですよ。

だからこそ、ちょっと距離感を取ると。みんなが暗黙の了解で距離を取った結果、桜島先輩が意図したのとは行き過ぎた現象として、思春期症候群の透明化になってしまったというのが1~3話ですよね。

 

ろこ:3話の「空気」を打ち破る主人公のシーンがね。

 

政夫:校庭のシーンですね。『青ブタ』って僕のイメージだと、ちょっと古いんですよね。

 

ろこ:そうなの?

 

政夫:『青ブタ』がやっていることはゼロ年代ぽいんですよ。ゼロ年代ぽいんだけど、キャラの造形はテン年代ぽい。

 

ろこ:その辺が…ゼロ年代の再復習というかね。

 

政夫:この辺を話を始めると凄く長くなっちゃうからザックリですが、『青ブタ』って『涼宮ハルヒの憂鬱』と『物語シリーズ』とテン年代ですが『俺ガイル』の流れの合わせ技なのかなって。あの「空気」を読むというのはキーワードじゃないですか。

 

ろこ:俺は凄い良かったと思う。そこが、学校自体がそういう空間だから。

 

政夫:そこがゼロ年代ぽいんですよ。ゼロ年代は学校という空気が檻だったんですよ。

 

ろこ:箱庭か。

 

政夫:そうです。ゼロ年代は学校が空気であり、箱庭だったんですけど、テン年代になると『宇宙よりも遠い場所』のように学校の外に出ちゃうんですよ。南極行っちゃうんですよ。あれは「新世界」的なんですよね。

 

ろこ:おー。

 

政夫:ゼロ年代は新世界に行けないんですよ(『デスノート』の夜神月は新世界に行けなかった)。南極行けないんです絶対。…という理解でいいです。凄いザックリだけど、ゼロ年代は学校の外に出られないイメージです。

なぜかというと、学校の中のコミュニケーションで十分に成立していたんですよ。学校と駅と自宅と周辺のスタバやファミレスだけでコミュニケーションが成立していたんですよ。

 

ろこ:『一週間フレンズ』が刺さらなかったのはそこなんだよね。ひたすらその中で消費して、全く何をやっているのか見えてこなかったんだよね。

 

政夫:学園モノというのは本当に狭い話なんですよ。スケールが小さいんですよ。その従来の箱庭要素にSF要素を足したのが『ハルヒ』で、作者の谷川流はミステリが好きでミステリ要素もあったりするんですけど、『青ブタ』はその影響を受けているのかなって。

 

ろこ:アップデートという意味で?

 

政夫:違いますね。主人公のニヒルな距離感が『ハルヒ』のキョンや『俺ガイル』の八幡などに通じる韜晦な語りとして。

 

ろこ:ニヒルというのは、冷笑的なイメージ?

 

政夫:皮肉好きとか。その辺の主人公像は、インターネット以前のオタクの語り口はシニカルだった、というのが僕のイメージで、文献とか漁った感じだと。

80年代のオタクはシニカルなんですよ。無理矢理話を繋げるなら、村上春樹ですよ。初期4部作(60年代以降を描いた作品群)とか、おおたまラジオ第1.8回で話しましたが、資本主義に対する警鐘だったり、全共闘世代の彼らが敗れたわけじゃないですか。革命が成し遂げられなかった。手段としてバリケードやデモだったが、それがどんどん過激になっていき、最終的には連合赤軍あさま山荘になっていく。内ゲバで身内でのリンチがあったり。

本来、システム側にパワーをぶつけないといけなかったのが、ぶつけきれずにそのパワーを持て余し、自分たちの方に行使してしまったというのがあの辺の世代の敗北の歴史ですよね。その敗北を知ってしまっているが故に、そんな熱いことにコミットメントできないよ、と一歩距離を取ってニヒルな態度(クール的)をしているのが春樹たちの語り口ですよ。

 

ろこ:なるほどね。

 

政夫:インターネット以後の語り口は、その辺とあまり変わっていないんですが、実は滅茶苦茶ハートは熱いというところ。

 

ろこ:まさに『青ブタ』の梓川は。

 

政夫:そうなんですよ。だからテン年代ぽいんです。朝井リョウ西加奈子の話(おおたまラジオ第1.8回)を以前しましたが、彼らが描く主人公ってのはどいつもこいつもいけ好かないんですよ。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:春樹たちが描いてきたいけ好かなさにも通じるんですが、最終的に違うのは西加奈子朝井リョウが描いている主人公たちはしっぺ返しを食らうことでボロボロに擦り切れるんですよ。みっともなさや惨めさを振り撒き散らしながらも最終的に足掻いて足掻いて立ち直って一歩前に進んで終わるタイプ。

で、『青ブタ』の3話はそれに近い。テン年代的な解決だなって。

あの学園の「空気」というのはゼロ年代ぽいんですよ。なぜ「空気」がゼロ年代ぽいかというと、「KY」というクソみたいな言葉が流行ったのがゼロ年代だったから。僕たちが中高生の時ですよ。

 

ろこ:懐かしい。

 

政夫:「二娘一」とかもあったじゃないですか。あれも「KY」とは真逆のベクトルなのに結構グロテスクですよね。他人、みんなと共有する仲良しアピール。二者間同士で示し合せればいいだけなのに、わざわざ他者を経由する必要性。あれも一種の「空気」を読むのみたいなものじゃないですか。二者間同士でも空気を読み、仲良しぶってる、本当に仲良いのかどうかは分かりませんが(笑)

それを周りにアピールする「私たち二娘一だから。よろしく」みたいな、空気を察してとか。だから、KYも二娘一も流行った理由には似たようなものがあるんだろうなって。

で、『青ブタ』がエグイのはLINEがあるんですよ。僕らが中高生の時には無かったんですよ、LINEが。誰々がオススメしてくれた動画を観ないと話に入っていけないんですよ今は。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:学校にいなくてもデバイスの前で空気を読まないといけないんですよ。

 

ろこ:地獄やな。

 

政夫:いやー地獄ですね。常々思うのは僕の学生時代にSNSとかなくて良かったって。

『青ブタ』だと梓川の妹ちゃんがその被害を受けたという設定ですよね。既読スルーした結果、思春期症候群になったという。

 

ろこ:ん?

 

政夫:何話まで観たんですか。

 

ろこ:3話まで。

 

政夫:え、6話まで観ていないんですか。今日、6話までの話をする予定だったのに。ちなみにろこさんに言っておくと、僕の感覚だと4~6話の方が面白いと思っていて。桜島先輩のパートはそんなにライドできなかったです。後輩の古賀朋絵パートの方がめっちゃ好きですね。

 

ろこ:ラプラスの悪魔のかな。

 

政夫:観て下さいよ(笑)5話と6話の演出が神でした。いや、5話と6話の話できないのはキツイわ…。だって1話~3話ってそんなに話すことないですもん。

 

ろこ:俺が引っ掛かったのは「空気」と…

 

政夫:「空気」が醸成されていく過程はある程度クリアじゃないですか。その大半はネットだったり、実際の教室の雰囲気だとか。

『青ブタ』の特徴としてモブキャラめっちゃ多いですよね。江ノ電に乗っている時に梓川と同じ高校の生徒がめっちゃ乗っている描写。あれはモブキャラだから「空気」の一部であり、その一部が「空気」を作っているわけですよ。

 

ろこ:そうだね。

 

政夫:だからモブキャラを描かないといけないんですよ。あの作品では絶対に。一部であり、全体でもあることを示す必要性があるから。

LINEとかのコミュニケーションは4話以降なんですけど…。そういう意味ではろこさんが「空気」の文脈で刺さったなら、4話以降を絶対観ないといけない!

 

ろこ:(笑)

 

政夫:桜島先輩の「空気」との闘いはまた別のベクトルなんですよね。「空気のようにならないといけない」が透明化現象の要因なんですよね。

4話~6話がやっているのは空気を読まないと皆からはじき出される恐怖心、つまり一般的なKYと同じですよ。

桜島先輩は芸能人だからスペシャルなんですよ。今は芸能界から距離を取っているからスペシャルじゃないのかもしれないけど。

 

ろこ:そう。日常に日常的なものをどう接続して面白がれるかみたいな話はラジオ論でやりたいよね。また今度。

 

政夫:『青ブタ』は西尾維新の『物語シーズ』ぽいんですよね。作品の構造的に。作品の「ゲーム設定」を述べた後に、意中の相手を落とし、良い感じになっていく――正妻ポジションになる。ギャルゲーってあるじゃないですか。

 

ろこ:あるのは分かる(笑)

 

政夫:アドベンチャーゲームの一種で、主人公が何人ものの女性とハーレム形成しながら最終的に誰かを選択していく構造なんですよ。『物語シリーズ』や『青ブタ』がやっているのって一見ハーレムぽいんだけど、正確にはハーレムに突入する前に正妻を見付けちゃうところ(詳細は東浩紀の著作や『SAO』を参照)。

梓川は男の友達少ないですし(阿良々木暦に至っては同性の友達いない)、ヒロイン候補がどんどん出てくるんですよギャルゲー的に。でも、既にパートナー=桜島先輩がいるので揺らがないんですよ。各ヒロインの配置やアンチギャルゲー的構造として。

あとは、適度に説教臭いですよね。ニヒルで冷めちゃっている子が実はめちゃくちゃ熱いというのは、西尾維新のみならず、さっき出てきましたが朝井リョウやインターネット以後のオタクとか、シニカルなんだけど自分の好きなものを喋る時はめちゃくちゃ熱いみたいな語り…ずっとやっているのはシニカルな態度が、知的な態度であることは嘘なんですよね。批判していれば頭よく見えるの嘘じゃないですか。それだったらずっと批判する側に回れば超楽じゃないですか。もうそれは思考停止でバカですよ(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:批判するにしてもどうやって知的な態度を取れるかは、各々の能力次第なんですが。ただ批判している態度やシニカルな態度=知的というのは嘘なので、そのシニカルな態度のメッキが剥がれた時に、どういう姿が現れるのかというと、朝井リョウ西加奈子、『青ブタ』でいえば3話の梓川の告白シーンの曝け出し方ですよね。

忘れちゃ駄目な人を忘れてしまった自分への後悔だったり、そういうのを払拭するために今叫ばなければならないのが、あの3話だと思うんですが。

 

 

政夫:僕はあらすじに重点を置いていないですね。物語上なぞった結果の方が大事。

『青ブタ』でいえば透明化現象vs「空気」。空気になりたい人間の心理は孤独的であったと思うし、桜島先輩は寂しかったと思うんです。梓川に認知されなかった時間というのは描かれていないんですけど、浮かび上がってくる桜島先輩の孤独。そこから見える、異常というか異物なんですよね、芸能人が学校に紛れ込んでいる時点で。

その異物が、異物じゃなくなる、日常化していく過程にどういう取捨選択があって感情の整理や処理があって、その結果「空気」が醸成される時に自分の中でどう受け容れていくのかどうか。自分との向き合い方とかね。

そんな状況下、約束してくれた年下の男の子の存在だけで、かなり救われているわけですよ。それは梓川も同様で。自分が好きな相手に承認されたら、他人にどう思われようがどうでもいいという境地に至るまで、『青ブタ』の1話~3話はそれを愛の力で乗り越えた話なんですけど、簡単にいえば。

愛以前の承認機能や人間の尊厳や自立するための、存在的なものを確立していくためにはどういう心の作用が必要なのかを表現していたわけで、そこからどう感じ取るかは自由ですけど。
結局、バニーガールとかどうでもいいんですよ(笑)


ろこ:(笑)見た目のインパクトは大事。


政夫:タイトルがね。


ろこ:タイトル回収はしたよね。政夫君の捉えたい部分を抽出して、自分の持っている何かと接続して、作品よりも一歩先を――


政夫:どうか分からないですが、どれくらい上手く行っているかは置いといて、桜島先輩の透明化現象をなんで今描いたのか。芸能人にもオン/オフがあるんですよ。そのオン/オフが見えなくなっているんですよ。SNSとかで。距離感が掴めないです。インターネットで、常時繋がりっぱなしだから。


ろこ:可視化できるということか。


政夫:そんな今だからこそ距離を取りたいなって人の心理(透明になりたい)として桜島先輩が描かれている理由かなって。それが学校の外でも当たり前のように24時間続いてしまっている。教室という空間が拡張されて、家の中にでも入ってくる気持ち悪さという感覚が当たり前になっていて、今の若い子たちの感覚が分かる気がする。


ろこ:だいぶ面白い話だな。

 

※11月に配信した音声を一部文字起こししたものです。

 

 

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おおたまラジオ#2‐3『サッカー経験者は何故スタジアムでJリーグを見ないのか』と「観るスポーツ」としての展開

ろこ:お互いにそんなにフットサルを観ていないんだよね。


政夫:そうなんですよ。このラジオも二か月くらい間が空いちゃってロベルト・カルロスについて話すとかあったんでしょうけど、話題が腐っちゃった(笑)


ろこ:ロべカルの記事をサラッと漁ったのよ。結局この話題性をどう繋げていくかみたいな感想で終わっていたよ。


政夫:あー。


ろこ:彼らもあまり提示していなくて。


政夫:よく移籍報道である「どうなるか見てみよう」というやつですね。


ろこ:結局エンタメ化していく上で、プロスポーツがファンをどれだけ射程に入れるかどうかが大事だと思うんだよね。どういう人が観戦に来るのか。どういう人が興味を持っているのかとかね。サッカーの話になるんだけど、僕らも一応サッカー経験者じゃないですか。


政夫:はい。


ろこ:でも、引退してからサッカーをやるという感じでもないよね。


政夫:そうですね。サッカーはやっていないですね。


ろこ:俺はたまにエンジョイフットサルをやるくらいなんだけど…『サッカー経験者はなぜスタジアムでJリーグを観ないのか』という記事を読んで。面白い仮説だなって。

www.j-football-e.net


政夫:どう思ったんですか?


ろこ:共感したし、このブログは提示しているんだよね最後に。サッカーというスポーツを「観るスポーツ」として、ちゃんと終わっているんだけど。


政夫:母数的に考えれば全然「観るスポーツ」ですけどね。


ろこ:嫌な言い方だけど、観るのとプレーするのは全然違うじゃないですか。プレーする人は知っているわけですよ。技術的に凄いこととか、勝ち負けによって形成されていくヒエラルキーとか。

挫折というキーワードが記事では出てくるんだけど。


政夫:挫折…面白いですね。で、サッカーが嫌いになっちゃったという話になっていくんですか?


ろこ:プレーしていた人たちがサッカーから離れるじゃないですか。やり続ける人たちはプロとかに入って続けていくんですよ。挫折した側は「別にJリーグよくない?」みたいな執着する必要性がないという構図が、ちょっとあると思う。


政夫:ちょっとは、あると思いますが…僕だったら自分が到達できなかった頂きの景色はどんなもんなのかと気になると思いますが、普通。普通って駄目ですよね(笑)


ろこ:あかんあかん(笑)


政夫:『コンビニ人間』ですからね。挫折というよりも消耗の方が適当かなって気がしますが。


ろこ:消耗。寿命論的な感じかな。


政夫:僕がプレーしてきたチームメイトは、そもそもサッカーを観る人間がいなかったですね。


ろこ:一緒だ。


政夫:ウイイレ派よりもパワプロ派の方が多かった気がします。あと、野球部の方がサッカー詳しいとかありましたからね。


ろこ:あったあった。


政夫:各地で起こっている現象だと思います。野球部の方がアルシャビンの名前を知っているとかありましたからね。ユーロ2008の時に。
日常的に触れているスポーツを改めて観るというよりかは、オン/オフが欲しいみたいな感覚じゃないでしょうか。要するに擦り切れてしまうんですよ。日常的にサッカーに触れているから消耗しているんですよ。それをわざわざオフの時にサッカーで消耗しなくてもよくない?とか。


ろこ:分からないでもないね。


政夫:挫折という言葉は一つステージが高い感覚ですね。もっとボトムレベルのものだと思っていました。


ろこ:記事を書いた人は、サッカー人口多いのに毎週Jリーグ満員になろうよ!でも満員になっていないよね?って仮説から入っているんだけど、多分政夫くんが言ったように消耗だと思うのよ。別に見なくていいや…って。


政夫:そもそもプレーしているけど、そんな好きじゃないんじゃないですか。

僕は、スポーツ漫画とかアニメとかで重用しているのがありまして。

「なんでそのスポーツをやっているのか?」という内省的な話にポイントを置く観方をしているんですよね。だってわざわざサッカーをやる必要がないんですよ。動機を求められた時に、キャラがどのように自分と向き合うのかという、なぜそのスポーツをやるのか?なぜ今もやっているのか?という根源的な問いにどう答えを出すのか、が僕はスポーツ漫画とかのリアルだなって思うんですよ。どんな突飛な必殺技があっても、そこがちゃんと描かれていれば僕は好きになる。


ろこ:『ジャイキリ』ですか?


政夫:『ジャイキリ』はそれ描いていないですよ。プロだから。問題はアマチュアなんですよ。『ジャイキリ』は30巻でプロとしての自覚を正すじゃないですか。あれが全てなんですよ。『ジャイキリ』というかプロスポーツは。

ただ、アマチュアや部活はそうじゃない。なんで部活やっているの?って。消耗していくのに何故サッカーをやっているの?と。その時にどういう答えが用意できるのか…スポーツ作品を読むコツなんですけど。


ろこ:あ!筆者が同じようなこと言っていた(笑)


政夫:本当ですか(笑)


ろこ:挫折感というキーワードが、日本のスポーツ文化の発展を阻害していると。スポーツをする=プロを目指す競技者を目指す構図が、子どもから大人まで老若男女スポーツができる環境が整っていないから、価値は上がらないし、現場に行き難いとか。スポーツとの関わり方として。


政夫:僕の感覚だと、現役時代=高校時代なんですよね。


ろこ:そこの挫折だよね。致命傷になっている。


政夫:現役ってずっと続くのに。なんで高校時代を区切りにしちゃうのってところじゃないですか。


ろこ:だから致命傷でしょ(笑)


政夫:スポーツは生涯付き合っていくものなのに、現役どうこうで区切りをつけるオカシクナイという。


ろこ:部活文化だね。


政夫:部活で引退して、後が無いのはオカシクナイって。


ろこ:なんかいい話になってきたな。


政夫:今日は教育ですよ。裏テーマは(笑)
なぜ観に行かないのか?…やるのと観るのは別だというのはろこさんが言った通りで。プレーするのが好きで観るのは好きじゃないからという話になりそうですけど、じゃあなぜ観るのが好きじゃないのか?となりますが。それはあまり観てこなかったから。プレーする方が好きだったから。


ろこ:鑑賞文化ですよ。


政夫:僕がサッカー観戦にのめり込めたのは高校・大学とかだったんですけど、それって一旦区切りが付いたのもあるから。選手として。だからハマれたのかもしれない。自分が観れなかった景色というのを、想像できるのが楽しかったとか。自分でプレーしていた時は見えなかったものが、景色が、接続できた感覚。

勿論、ピッチに立って同じ景色が見えるかどうかは別なんですけど。ただ、机上の空論と言われようが、なんか繋がっているんだろうなという感覚。テレビは鳥瞰レベルですが、ピッチに立っていた時は一人称レベルだから、その時点で前提としての景色が違うんですよ。大きくいえば、鳥瞰レベルが机上の空論的な観方をしているんですよ。テレビ的な意味として。


ろこ:景色という言葉が結構通じないんだよね…。え、山の風景?みたいな。悩んでいてね。


政夫:見え方ならどうですか?


ろこ:そうなんだけど(笑)


政夫:景色なんてピッチに立てば一発で分かりますよ。


ろこ:立ったことない人にはなかなかね。フットサルを1、2年くらい観ていて実際フットサルをプレーしてね。景色を見ているんですよ。フットサルって凄い濃密な時間を過ごすじゃないですか。変な言い方だけど。展開が速いからね。

でも、それを言語化しているという感覚は全くないのよ。だから景色を説明できるまで全然辿り着いていないんだよね。


政夫:そりゃあ、そうですよ。視覚情報と言語的処理ってまた別物じゃないですか。ピッチを文字で追っているわけじゃないんですよ、ピッチに立っている人間は。僕たちが目に触れている読んでいるメディアというのは文字や図形で処理するものだけど、景色として処理していく、ピッチのスピードの中で処理していくというのは違う話なので。

それは言語化なのかどうか。


ろこ:そこにヒントがあると思う。そういう違和感を持っている人らが、Fリーグを「観るスポーツ」として発展させていくのか、プレー経験ある人が分かり易く伝えて「するスポーツ」にしていくのかは結構大事だと思っている。それはサッカー界が「観るスポーツ」ではないという切り口から、今回始まっているじゃん。解説者の切り口が代弁的で、協会はアレだったけど、今はようやく観る側が追い付いてきたから…。


政夫:うーん。見える景色というのを言語化して抽出するのは選手本人がやった方がいいし、現場の人がやった方がいいと思います。トップダウンにしてもボトムアップにしても、現場の人が情報として落とす方が価値があると思います。選手だけじゃなくてコーチとかね。要するに見えていた景色をどのように言語化していく、転化していくのは別なんで。

感覚的に、空間把握能力って身体的なものじゃないですか。サッカーだと距離感という言葉で、もうマジックワードですよね距離感。どれくらいのことを指しているのか全く分からないですけど、なんか分かるみたいな。距離感って言葉には色々含まれているけど、空間把握能力ってそんな簡単なものじゃない。それを言語的に落とし込むのかは別の作業で。自分がプレーしている時に処理している情報を言語化するというのは別じゃないですか。

だから現場の人がやっていく(書く)べきだと思いますし、Fリーグだったら皆本選手とかがやっているじゃないですか。どんどん発信していくべきだし、映像関係の問題で規制があるなら…。


ろこ:ファンを獲得しに行くなら、そこまで考えて欲しいよね。


政夫:観るための指標ですよね。勿論、唯一無二の正解じゃなくても。本人が言っているだけで他の選択肢もあるわけで。難しいのはチーム事情が暴露的になっちゃいそう。セットプレーのサインとか。タイミングや目線や足の出し方とか。僕らみたいにピッチを俯瞰で観ているからこそ、疎かになりがちな肉体的な、コーディーネーションの部分だったり、重心の掛け方も含めて、プレーをした本人が解説すれば間違いなく観方に繋がっていきますよね。

 ※この記事は10月に配信したものを一部文字起こししたものです。

 

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GIANT KILLING(30) (モーニング KC)

GIANT KILLING(30) (モーニング KC)

 

 

 

おおたまラジオ#2-2 村田沙耶香『コンビニ人間』 普通とは何か?を超えて

ろこ:読書の秋です。


政夫:ちょっといいですか。オードリー若林の『ナナメの夕暮れ』は読み終わったんですか。


ろこ:正確には読み終えていないです。まだ読んでいます。面白く読ませて貰っています。


政夫:直近のANNの若林のトークゾーンで『ナナメの夕暮れ』に言及していたので是非ともラジコで聴いて下さい。ザックリいうと自分の本を紹介するのって恥ずかしいよねみたいな話です。自意識の話です。


ろこ:あーもー。


政夫:『ナナメの夕暮れ』なんてまさにそうだと思うんですけど、若林が好きな作家さんに西加奈子朝井リョウがいるんですよ。どちらも自意識の作家なので。自意識チルドレンなんですよ、あの人たちは。


ろこ:政夫くんに訊きたいのだけど、読書って孤独じゃないですか。


政夫:超孤独ですよ。


ろこ:そこをどう思う。要は誰々と出来ないみたいな。自分で見つけてやって自分で楽しんで。そういう能力が必要だと思うんだよね。それを近い人にシェアしたとて中々伝わらないというか。


政夫:それについて話してしまうと、これから村田沙耶香の『コンビニ人間』について喋りますというのが頭打ちになりますよね。最初から限界みたいな。袋小路に入っちゃいますよね(笑)


ろこ:(笑)


政夫:でも分かりますよ。読書って孤独ですよ。孤独なんですけど、孤独であるがゆえに自己完結できるんですよ。その気軽さ。他者性を必要としない気軽さって必要だと思います。特に今みたいに過剰に繋がれる世の中だと。一人で何か完結できる気持ち良さ。今の時代を鑑みると相対的にそのような価値が高まっているという話なんですけど、ただ、僕なんかも結構本を読んでいる部類だと思いますが、ろこさんと読んでいる本が被ることはまず無いですし、他の読書家とも繋がっていた時も読んでいる本が丸々被ることはなかったです。同じジャンルが好きという前提でも被らなかったんですよ。それだけに読書においてシェアすることのハードルは超高い。

だからこそ読書会とかの小さなコミュニティがありますが、自己完結できるからこその利便性と不便さ、孤独ってのは、ろこさんが言うように自己充足感があっても他者性が欠落しているために何か物足りないなという感覚はありますね。
特に読み終えた後に感想とか漁っても、ゴミみたいなのしか出ないから困るんですけど、それでもなんとか探り当てた時に、「この記事はいいなあ」で救われるというか。
ちなみに気を付けて欲しいのは、本の感想ブログで感想を謳っておきながら長々と前半で本の中身を紹介するやつ。いや、それ読んでいるから、知っているから。早く、お前がどう思ったのかを書けよと思っちゃうんですよ(笑)


ろこ:それ、やろうとしたわ。


政夫:後半にそいつが思ったことを書いているんですけど、なんとまあ味の薄いことよ。


ろこ:恐い恐い。


政夫:僕が漁った経験からの傾向なんですけど、変にレイアウトに凝っているのはしょうもないのが多いです。ブログの話として。
僕がアタリだと思ったのは、殆どレイアウトはスルーしていて無機質なんですけど、ちゃんとノッテ書いているやつ。端から見ると読み辛いのかもしれないけど、読み易くレイアウトされているものより、はるかに読み心地がいい。


ろこ:あー。それも読書みたいなもんか。


政夫:もう文章から滲み出る豊かさが段違いなんですよね。変に重要なところに赤文字しても、いや知っているから!って。読んだし知っているよって。そうじゃないじゃん、感想って。どう思ったかでしょ。君のやっていることは事実の確認だよね。


ろこ:厳しい厳しい恐い恐い(笑)警察官恐い。


政夫:(笑)『コンビニ人間』の話に入りましょうか。

第158回芥川賞受賞作です。帯に又吉直樹による推薦文があります。
あらすじは

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。
日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、
「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。

「いらっしゃいませー!!」
お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。

ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。


この帯にあるアオリ、これでもう編集部は仕事したなって思いました。

普通とは何か?実存を軽やかに問う衝撃作。

 

ろこ:「普通とは何か?」だよね。


政夫:ただ、僕は言いたいことがあります。この「普通とは何か?」はヌルイなと思いました。読んでて。


ろこ:おお!


政夫:もっと踏み込めたんじゃないのって。


ろこ:警察官恐い(笑)


政夫:まず好きか嫌いかは置いといて、単純にいうとグロテスクです。とても。

社会の歯車として回転している箱というコンビニの「中」と「外」、コンビニという箱の中で帰属している承認されている主人公の古倉さん。彼氏なしバイト経験18年目の大卒。就職しないでずっとコンビニバイトをしていると。僕は読んでいてコンビニという箱が色んな描かれ方がされていまして、水槽箱や歯車という言葉も出てきまして、要するに機械仕掛けですよね。作中にないですが、つまりオルゴール的ですよね。ネジを回せば同じ音や動きが求められているのがオルゴールじゃないですか。毎回、同じ音が鳴る様に。つまりオルゴール的というのはコンビニ的でもあるんですよ。コンビニも均質で均等で記号化されていてマニュアル化されていて合理化されている。それが基準になっているじゃないですか。


ろこ:そうだね。基準だね。


政夫:超コンビニというのが、これこそ資本主義だ!みたいなんですよ。これが伊藤計劃の『虐殺器官』だったら宅配ピザとコーラですよ。資本主義の象徴としてね。ただ『コンビニ人間』は資本主義を揶揄する小説ではないですよね。


ろこ:そうだね。ネタバレをすると、彼女は最後同じ道を歩むわ。その葛藤は忘れたけど。


政夫:無機質な葛藤はありましたよ。なんでコンビニバイトを辞めてまたコンビニバイトに戻るのか、みたいな。それまで機械仕掛けのオルゴール的な箱にいた人間が一度辞めて、切断して、外に出て「私ってなにも無いんだな」という空っぽさに気付き、外から機械仕掛けの箱を観た時に、ちょっと見え方が変わる自意識の変奏を描いているんですよね。


ろこ:そうだね。ちょっと変わるね。


政夫:ちょっと変わってまたコンビニバイトを始めるという終わり方で、これが果たしてハッピーエンドなのかバッドエンドなのかは問われるんでしょうけど…この古倉さんがマニュアル的で合理化されていますよね。自分の意思がなくて機械的なんですよ。それを見て新入りのバイト君が「宗教みたいですね」と。コンビニの音や生活音に機械的に反応しちゃう古倉さんの生態。


ろこ:それに違和感がないんだよね。


政夫:マニュアル化に染まっていない彼は宗教化されていないし、洗練化もされていないんですよ。古倉さんたちは宗教的に洗練されている側なんですよね。それが合理化であり、マニュアル化。それに違和感を持たない…


ろこ:読んでいると「俺もそうかも」と思っちゃうよね。違和を持つ感覚というか。


政夫:このマニュアルってのは、「これで合っているのかな」や「俺間違っていないかな」と不安を正すためにあるんですよね。こうした方が合理的だよ速いよと。みんなこうしているよと。これがマニュアルじゃないですか。

コンビニ人間』は「安心」というのもあって、「安心」は「普通」と繋がっているんですが、女性としての社会の繋がり方が就職か結婚の二択として描かれているんですよ。

「まだその年で就職していないの?結婚していないの?」「結婚した方がいいよ」とか。妹や友人に。その二択から外れた人たちはどうなるのって。外られたらマイノリティなのか。

コンビニ人間』はマイノリティの生き辛さも描いているんですけど、それに対して無感覚なのがこの主人公なんですよ。「私、これで大丈夫なんですけど」みたいな。


ろこ:そうだね。


政夫:安心したいってのは変わらない日常=終わらない日常あるいは無感動な日常のループ。古倉さんは過ぎ去った時間をカウントしている癖があるんですよ。無感動な日常の消費をわざわざカウントしているんですよ。

で、変わらないことに安心して、変わらないことに落胆する。それに危機感はあるんですけど、差し迫ったものではないから、日常を徐々に蝕む程度のものだから、年齢や貞操観念や社会的な「普通」の男女間の役割とかに繋がって刻々と。

ジェンダー的な話ではないから、LGBTというテーマは排除されていますが、「普通」としての男と女しか出てこない。「普通はこうだよね」といったように、普通という強制力に対して自覚的であるかどうか。古倉さんは自覚的な一面もありながら無自覚で無感動で無理解な面もある。そこがちょっとズレているよねって。


ろこ:そのズレが着眼点として面白いよね。だから「普通」か。


政夫:この主人公ってみなさんの幸せのためにアクセル踏みすぎて結果的に空気読めないみたいになっちゃったエピソードがあるんですよね。それは公約数的な幸せの獲得のために「空気を読んで」行動したのに結果的に「空気読めない」になっちゃった。

ろこさんが言っていた『コンビニ人間』はサイコパス的という表現、他人に対して無感動というか暴走の果て、結局ボッチ化していく。ディスコミュニケーションですね。ボッチの問題児がトラブルを起こさないための処世術がディスコミュニケーションで、主体性を喪失し、他人のミクスチャー化をするんですよね。色んな人間の真似をするんですよ。バイト先の人間の喋り方や服装を真似するんですよ。

平野啓一郎が提唱している分人化を出すなら、「分人化の属人化」と言い換えられると思うんですけど、みんな色んな顔を持っているじゃないですか。分人化しているんですよ。それが古倉さんにとっては、ある人を模倣する為にある。ミクスチャーなんですよ彼女は。ミクスチャーロックですよ。リンキンパークです(笑)


ろこ:あー。


政夫:あーじゃない(笑)


ろこ(笑)


政夫:主体性がないんですよ。色んな人のコピーをしているから。それがミクスチャー化して、モザイク的になり、本当の古倉さんって何なの?って。ないんですよね。
この人は空気が読めていないというか空気を読みすぎて読めていない人であり、不器用というよりも器用すぎる自己防衛によって不器用になっちゃっている。一周しちゃっているんですよ。


ろこ:なるほどね。


政夫:それがサイコパスという言葉で片付けられるのは色々抜け落ちていないかなって。環境的に形成されていったということを丁寧に描かれているんですけど、ミクスチャー化に至るまでの温度の無さ、熱の低さは確かに読んでいて恐いんですよ。他人に対する処世術が結局ディスコミュニケーションになり、自分というものを無くす。


ろこ:その一周の仕方か。俺は単純に「普通」って何かな?って抱えながら生きてきたから、共感する部分もあるんだよね。


政夫:それは帯にある「普通とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作」。


ろこ:入りがシックリ来たんだよね。だからパッと読めた。


政夫:なるほど。冒頭に言ったように「普通とは何か」よりも一歩踏み込めるんじゃないかと思うんですけど…その前にミクスチャーの話に戻りますが、彼女の置かれた環境とそこに居ないといけない理由って、彼女がコンビニ人間だからなんですよ。コンビニの商品って毎日廃棄とかもあって中身入れ替わっているじゃないですか。でも商品構成は目立って変わっていない。商品も店員も店長も変わっていない。機能性は同じだし、実態は同じなんだけど、昨日と今日では商品の「中身」自体は変わっているんですよね。日付が古い商品は捨てられ、同じ商品が同じ棚に入るんですよ。同じなんだけど、中身は変わっている。

これ、古倉さんそのものを表していると思うんですよ。常連のおばあちゃんがいて、「ここはいつも変わらないね」と言うんですが、古倉さんは心の中で「変わっていますよ」と思うんです。商品はそのまま入れ替わっているんですよと。この入れ替わりが彼女の心的なものをそのまま表している。彼女自身のミクスチャーを表現している。
で、「普通とは何か?」に入りますが。
ろこさんが刺さった部分です。結局、同じではないし普通ではないし異物だったら排除されるしかないよねと。正常というか普通というパッケージ化されて。

作中では「修復」という言葉が出てくるんですよ。つまり欠陥品なんですよ普通じゃないのは。バイトの新入り君が「僕たちは強姦されるんだ」と言うんですよ。


ろこ:あー。


政夫:普通ではないということ、マイノリティへの普通という強制力は強姦的なんですよ。古倉さんにとっては「修復」されるというイメージなんですよ。欠陥品が。


ろこ:凄い表現だね。


政夫:言葉の暴力性が凄いですね。古倉さんの「修復」という言葉が分かるんですよね。だってコンビニってオルゴール的じゃないですか。機械仕掛けなんですよ。その中の歯車なんですよ彼女は。それは「修復」ですよね。それを強姦されるとは言いませんよね。でも彼は「強姦される」と言ったわけですよ。なぜなら彼はコンビニ人間じゃないから。


ろこ:ちょっと今まで立ったことのない鳥肌が立っている…。


政夫:まだ彼の言い分は身体的なんですよね。古倉さんの言い分は機械的なんですよ。もう肉体的じゃないんですよ。だからコンビニ人間なんですよ。


ろこ:村田沙耶香、凄いな!


政夫:普通じゃないのは駄目なのか?って。この作品では普通ではないと排除されているんですよ。だからこそマイノリティ特有の生き辛さはあるけど、その苦悩は描かれていない。なぜなら彼女が無感動な人間だから。「これでいいじゃないですか」って。BBQのシーンとかまさに。普通に対する強迫観念ですよね。

スペックや評価経済的で、オークション的で裁判所的なんですよ。これアリナシみたいな。これいくらくらいとか。そのために僕たちはスペックを競い合いながら、他者と競争して、安心したいがために自分をラベリングしてパッケージ化。

違う奴らには「普通ではない」として石を投げると。石投げの意識が無かったとしても、古倉さんを取り巻く環境による親切心が結果的に石を投げていることになっている。


ろこ:そうなんだよね。BBQのシーンとか、優しさではないよね。


政夫:優しさではないですね。普通じゃないよ!普通じゃないから安心できないじゃん!みたいな。
それで、彼女は普通ではないのか?ですよ。どう思いますか?


ろこ:それは読んだ人がどう思うかどうか(笑)


政夫:僕は読んでて「これヤバいだろ」と思いますよ(笑)ただ、感覚的に100%ライドできる人間がいるのかどうかといったら、僕はいないと思うんですよね。いや、100人中1人はいるかもしれないです。希望的観測で。それくらい露悪的に描かれているんですよね。古倉さんという生き様が。露骨にこんな人間、普通じゃないだろって描かれ方されていませんか。


ろこ:そうだね。


政夫:普通だ!って言える人はそんないないと思うんですよ。それに対して、ダイバーシティという言葉があるじゃないですか。


ろこ:多様性。


政夫:多様性多様性言う人々よ!あんたらの言っている多様性ってコンビニ人間を受け容れられるのって。これ僕は村田沙耶香の挑戦状だと思いました。


ろこ:(笑)


政夫:これ普通じゃないでしょどう見ても。普通じゃないからといって多様性なのに受け入れないのかよという挑発だと思いましたよ。


ろこ:そんなスタンスあるか(笑)


政夫:だって露悪的じゃないですか。

あんたらの言っている均質や均等や合理化やマニュアルというのは、それって普通になるためのロールとして画一的と一緒でしょ。画一的と同じなら多様性とは何なのか?ですよ。

普通と普通じゃないに分けて安心したいという自意識と帰属意識、そこからはみ出した者への攻撃、排除ってどうなの?って。多様性を考えるなら、あなたはコンビニ人間を許容できますよね?って。


ろこ:(笑)


政夫:という本だと思ったんですけど…。いや多様性多様性言っているけど、本当に多様性の考え方を持っている人ってそんなに居ないんですよね。多様性にかこつけて多様性じゃない奴いるじゃないですか。寛容でありたいと言いながらも不寛容に対して寛容的じゃないように。本当に寛容ならば不寛容にも対しても。


ろこ:そうだね。


政夫:理想論なのかもしれないですが、コンビニ人間にも寛容にならないといけないんですよ。


ろこ:だから売れたじゃん(笑)


政夫:そうなんですけど、『コンビニ人間』が描いている普通側の人間ってみんな一緒なんですよね。意識的に記号化されているんですよ、普通を。普通ではない古倉さんを機械的に描くことで、人間的な温度を感じられないような作品になっているんですよね。普通側の人間、彼女の友人や妹も記号でしかない。


ろこ:なんで結婚しないの?って聞かれた時に答えられなかった感じか。


政夫:普通の会話なんですけど、テンプレですよね。


ろこ:冷たいもんね。温度がない。形式だけ。


政夫:誰でも出来る会話というか。普通として描かれている彼ら彼女らも、普通なんでしょうけど、とても突き放された書き方をされていると思っていて。なんでかというと、彼女らがいう「普通」は画一的で記号的だから。

女の幸せって結婚するか就職するかの二択だけ。は?多様性とはなにか?みたいな(笑)

だから、僕は「普通とは何か?」というよりも「あなたは『コンビニ人間』を多様性をもって受け容れることができますか否か」が僕が読んだ結論なんですけど、凄い挑発的だと思いました(笑)


ろこ:展開面白い。読み直してみます(笑)

 

※この記事は10月に配信したものを一部文字起こししたものです。

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コンビニ人間 (文春文庫)

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私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

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