文学フリマ東京36に行きますよ
昨年末のコミックマーケットC101でめでたく完売した俺ガイル研究会『レプリカvol.1』でありますが、5月21日の文学フリマでも出店予定となっております。
現在は『レプリカvol.1』自体はメロンブックスさんの通販でも購入することはできるのですが、内容的には文フリ向けの同人誌(評論)になっているので、ついに俺ガイル研究会が文フリデビューすることになります。
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1819284
【文フリ東京36 お品書き】
— 俺ガイル研究会@文フリ:か-69 (@kangairureplica) 2023年5月2日
改めまして、文学フリマ東京36に参加させていただきます!
こちら、文フリでの頒布本になります!
(内容は、C101と同じです。)
何卒、よろしくおねがいします!#文フリ #文学フリ東京 #文学フリマ東京36 pic.twitter.com/7aJmS2qyE3
日時は5月21日12時~
場所は東京流通センター第二展示場 Fホールの【か-69】となっております。
詳しくは文フリの公式サイトをご確認ください。
孔田多紀さんの殊能将之評論の同人誌を買ったことで、僕は同人誌を自分でも作りたいなと思っていました。
立ち読み会会報誌 第一号(初版) - 立ち読み会 - BOOTH
それから幾年が経ちましたが(時の流れとは、ああ残酷!)、俺ガイル研究会の皆様にお声をかけていただいて『レプリカvol.1』に文章を寄稿させていただきました。
本当は『レプリカvol.1』に収録されているそれぞれの文章について、具体的に踏み込んだ僕なりの感想・解説ブログを書きたいなという気持ちはあったのですが、昨年の時点で、冬コミの次は文フリの話がありましたので、そのあとでも遅くないだろうと。
僕が書いた文章は「橋と交通と他者と」といった批評文です。
④友人からは柄谷行人論といわれ、同人からは「極北」と評された本稿。「小説として読む『俺ガイル』」を土台にして、「橋」から「交通」を引き出して「他者」と出会う三題噺から、その先にある「言葉」の魔力に触れようとすることは「『俺ガイル』を読む」に通じる。その「橋」渡しになることを信じて pic.twitter.com/ojTnK0CPH1
— 俺ガイル研究会@文フリ:か-69 (@kangairureplica) 2022年12月22日
試し読みは上記から。
前半はひたすらに柄谷行人の話が続き、後半で柄谷行人批判から出た要素を踏まえて『俺ガイル』の交通空間(時間、空間、言葉)を炙り出す文章になっております。
僕は以前にこんな文章を書いたことがある。
僕にとって「批評」とは僕には書けないもの、という認識で。
僕の批評観は日本文学における文芸批評そのもの。それは批評の枠組みでいえば古典的で狭義的かもしれないけども、そのようなよくも悪くも「文学的」な文章に触れてきた。
そのうえで僕には書けないと思っていたが、「橋と交通と他者と」ははじめて「批評」を意識して書いた文章になっている。
その意味では『俺ガイル』の「考察」を望んでいる方からすると、柄谷行人や江藤淳といった固有名のみならず、ノイズに響く要素が多分に含まれているでしょう。
僕は、批評とは「藝」になっているかどうかだと思う。勝手に柄谷行人や江藤淳を引き付けて『俺ガイル』について書いた文章というよりも、柄谷行人や江藤淳や『俺ガイル』について考えることは僕のなかでは等価であり、その思考の粘り気みたいなのが「藝」になっているかどうか。
ただ、幾分かは批評として成功したのではないかと思っている。
シャフトの同人誌を刊行されており、今度の文フリにも出店予定のあにもにさん(『もにも~ど』のブースはか-69!俺ガイル研究会のすぐ近く!)が以前に拙論を取り上げてくださった。
批評の魅力は例えば俺ガイル研究会『レプリカvol.1』に収録されている大玉代助「橋と交通と他者と」論で、劇中に登場する様々な橋を交通空間性(柄谷)=コミュニケーションと境界の狭間として論じて、そこから「空中廊下」「夕暮れ」といった場面もまた橋と境界であると指摘していてスリルを感じる!
— あにもに@文フリ東京か67 シャフト批評合同誌 (@animmony) 2023年2月25日
批評として書くこと。その意味が読者に伝わること。
書き手冥利に尽きる。
もちろん、いろいろな読者がいて。その多様な「読み」がたとえば『レプリカvol.1』のように現前化しているともいえて。
僕が書いた文章は同人からすれば「マイナー」なわけで。つまり『俺ガイル』のファンのニーズからすれば「少ないパイ」でしかないわけですが、それでも、あにもにさんをはじめとするいろいろな方までに「マイナー」な文章がきちんと届いたことが同人誌の可能性ではないだろうか。
5月21日は休みがとれたので、僕は文フリに行こうと思っています。
昨年末の冬コミは仕事の関係で行けませんでしたが、今回こそは。
その際にはどうぞよろしくお願いします。
ちなみに、いずれ出る俺ガイル研究会『レプリカvol.2』に寄稿する予定の文章の初稿はすでに出来上がっていて。
本当は「橋と交通と他者と」で持ち上がったテーマの「沈黙」について、その連続性について『俺ガイル結』を絡めて論じる予定でしたが、それはいったんパスすることになりました。いつか書くかもしれないし、もう書かないかもしれない。
順調にいけば『レプリカvol.2』には「『俺ガイル』は文学」という言葉について考えた『俺ガイル』論、小説論を寄稿する予定です。
なぜ、『俺ガイル』ファンは「『俺ガイル』は文学」というのだろうか。
実際にアンケートをとって計量的に調査するものではなく、そもそも「文学」ってなに?やら「『俺ガイル』は文学」の「文学」ってなにを意味しているのか?やら、「『俺ガイル』は「文学」」といえるならばどのような意味としていえるのだろうか、などなど。
もちろん、「『俺ガイル』は文学」という人にとっては「『俺ガイル』は文学」であることは自明なのかもしれないけど、そうではない人にどのように届けるのか。
その理論立てを、批評として書いた文章になる予定です。
いくらか早い次回予告となりましたが(まだ同人にも見せていない…)、まずは文フリと『レプリカvol.1』をよろしくお願いします。
文フリ当日、無事であればお会いしましょう。