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しまいには世の中が真っ赤になった。

ニナ・サドウスキー『落ちた花嫁』 読書感想

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落ちた花嫁 (小学館文庫)

落ちた花嫁 (小学館文庫)

 

 アバウトなおおたまラジオ文字起こし

紹介したい小説はニナ・サドウスキーの『落ちた花嫁』です。先月(6月)に出たばかりの新刊です。
あらすじは本に書いてあるやつをそのまま読み上げますね。

ニューヨークの瀟洒なアパートに暮らし、順調にキャリアを重ねてきたエリーの夢は結婚だった。ロマンスを求めて六年、ようやくめぐり会えた相手は投資会社のアナリストで、エリーはまもなくプロポーズされた。彼女の幸福な未来も、そのとき確かに約束されたはずだった。だが結婚式当日、パートナーのロブからある事実を打ち明けられ、エリーの人生は一瞬で暗転する。そして式を終えた彼女は、カリブ海の高級リゾートホテルの一室で、凄惨な光景を目にすることに―。エンターテイメントの本場ハリウッドの映画プロデューサー、衝撃のデビュー小説!

 

どうでしょうか。このあらすじ。ネタバレしないで後々紹介したいと思いますが、まずは概略というか。
 
で、この作者ニナ・サドウスキーはハリウッドのプロデューサーで本作で小説家デビューと。
映画はジェニファー・ロペスの『ウェディング・プランナー』などらしいですが、流石映像畑の人間ということもあって小説内の描写が、カリブ海のリゾート感や小道具の見せ方、また再三記述されているベッドシーンとか含めて映像化しやすそうだなって分かるんですよ。映画とかでもシリアスなのになぜかベッドシーンが入るみたいな。緊張状態やら吊り橋効果の延長でよろしくやってんな!!みたいな。
ただ、構成的にはカットバックが多用されているのでシリアスな現在視点から彼と彼女がどのように出会ったのか。如何にして蜜月な関係を築いてきたのかの回想シーンなどでテンポをある程度を壊さずに守っているイメージがあります。
 
翻訳も硬くないですし、海外文芸にアレルギーがある人でも気軽に読めるライトさがあって。というか近年の翻訳者の文章って相当読者の目をケアしているなと思いますね。だからといって昔の翻訳が駄目というわけではなくて、常に訳がアップデートされていくことで同じ作品でも印象が変化していく楽しみというのが翻訳ものの素晴らしさなので。
色んな訳があるのは当然で、例えばサン=テグジュペリだったら堀口大學の訳が一番だと思っている人間なので。読み易さや気軽さとなると堀口大學以上の訳はあったりするわけですが、文章としての硬質性と醸し出される叙情って千差万別なので。
 
この小説は現在パートと過去パートが交互に差し込まれる構成です。これ自体はあまり珍しくないのですが、過去パートの時系列がシャッフルされていてなんだか輪郭が掴み切れない。手が届きそうな距離をずっとはぐらかすような巧みさがありまして。
ま、夫婦つまり男女というものは友愛で結びついているけども、本作では愛情たっぷりです。愛に溢れて幸せの絶頂から幕が上がります。
でも、そんな男女間でも互いに秘密はあるよね。
それって知った方がいいのか知らない方がいいのか問題なんですが。
知らない方が幸せかもねみたいなストーリーであることには違いなくて、でも、100%相手を知りたい分かりたいという気持ちって誰しもあると思うんですよ。それが傲慢と言われようが、男には女の、女には男のことなんて結局は分からないみたいな境地であろうが。
それでも互いに距離を詰めて、歩み寄るのがコミュニケーションじゃないですか。
その結晶体ですよね恋愛って。
相手のことを知りたい知って欲しいみたいな無垢な気持ちが本作が描いている暴力的なジェットコースター的物語へとなだれ込むわけですが。
みんな後ろ暗い過去や秘密を抱えていると思います。
それを晒すことでスッキリする自分と、聴かされた側のモヤモヤみたいな。
なに、てめえ一人で気持ち良くなってんだよ!って。カミングアウトした側からすれば、それで純粋さが引き換えに手に入ったとするでしょうが、信頼されて話された側にとっては重いとか耐えられないとかぶっちゃけありがた迷惑なこともあると思うんですよ。
それでも、秘密やトラウマを共有して一緒に乗り越えてこそパートナーじゃないの?までは描かれていませんが、その代償としての大変さが展開されています。
 
で、本作の主人公はヒロインの花嫁です。戦うヒロインです。
夫が監禁されて、救うべく戦うフツーの花嫁です。
スーパーマリオでいうところのピーチ姫が、マリオを助けるために走る感じでしょうか。
この戦うヒロインというか戦う女性的な物語って、日本だと魔法少女系なんですよね。女の子たちに戦って貰う。女の子たちを過酷な運命と戦わせるみたいな。
なんで、女性に戦わせているのかというと、男が戦えなくなった歴史があるからなんですが。
ザックリですが昔で言えば、ドラクエみたいな英雄譚が流行していました。
あの時のテーマって主人公になるにはどうすればいいのか?それは魔王を倒すことだったと思います。
でも、結果的に正義を獲得すると言う事においても人を傷付けていることが明らかになりました。例えば桃太郎でも、鬼からすればある種の「理不尽な暴力の行使」だと取れます。
そうなると、視点の転換が行われ、アンチヒーローが流行りました。
評論家の宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』で記した決断主義の文脈で語られているところです。『デスノート』の夜神月や『コードギアス』のルルーシュなどです。
人を傷付けるなら最初から敵になって自身の正義を論理を振りかざせばいいという流れで、この辺りから敵をどうやって作るのかも難しくなってきました。
9.11後の想像力でいえば『ダークナイト』のジョーカーは外せませんし、敵の暴力性の無頓着な自由さ、無差別さという目的なき暴力が描かれたように、戦場の設定も大変になりました。
戦場といえば、日常と切り離された仮想空間や特殊空間、宇宙とかでしたが、今は戦場の日常化が行われいます。テロによって当たり前の風景に暴力があります。
それらのセットの解決策としてアンチヒーローが組み込まれたわけですが、みんなが夜神月とかにはなれないんですよ。大義のために出来ないんですよ。
自分が一番可愛いから。そりゃあそうですよね。
大義のためにとか耐えられないけど、個人の目的の為ならば戦うしかないんだ!ってのが本作のヒロインの行動力です。
幸せのピークでとんだドラマに巻き込まれ、回復しなきゃという使命感というか幸せへのハングリーさやストレスなんですよね。
大事なのは主体性よりも巻き込まれた結果であるにしても、戦うためには逃げていないで身体性も引っ張らないといけないよねという戦うヒロインです。
彼の為に、幸せや愛のためにを掲げて。
 
ここまで色々喋ってきましたが、このヒロインは特別強くは有りません。普通に怒りますし、ストレスを受けていますし、捌け口を求めている感じです。
それでも戦わないといけない。
なぜなら男が戦えなくなったから。先ほど言った魔法少女系にしてもそうです。
男のマッチョさが失われた流れがあります。
戦えないよって引きこもった碇シンジという少年もいます。
代わりに誰が戦うのってなった時に、ポケモンデジモンに戦って貰うみたいな流れもありましたが、その延長線で女の子たちに頑張って貰う、大変だけど頑張ってみたいな。その絶望と孤独を描いたのが『魔法少女まどかマギカ』以降の作品群というイメージです。
この辺って単純に男の草食化と結びつけていいのか難しいのですが、ザックリいえば自信や身体性の喪失なのでしょうかね。アメリカでもこんな感じなんだと思いました。
でも、一つは明らかに女性の社会進出がポイントだと思いますが、本作は幸せの回復のためにサヴァイブする花嫁ということで。
なんだかアンチヒーローと重ねてこの作品を語りましたが、そんなオーバーなものではないと思います実際。
家のことは奥さんがやって、旦那は仕事に行く。みたいな価値観が既に揺らいでいるじゃないですか。
奥さんも家の外、社会と接続するのが当たり前の時代だからこそ、外に出るということは自分で戦わないといけないんだよっていう認識と、相対的に男が戦えないから君も頼むよみたいな感じでしょうね。
しかし、本作の男つまり彼がショボイというか弱くは描かれていません。ヒモでもないですし、設定はエリートなので彼自身も戦わざるを得なかった過去があることが明らかになっていきます。それが秘密となり、清算していく中で巻き込まれていくといった感じですね。
ヒロインがか弱い彼を母性として守るみたいな書き方はされていませんし、あくまでも男女間としての男性性と女性性でのバランスといいますか。
彼も彼女も特別弱いわけでもなく、それなりに人生経験を積んでいて影の部分を引き摺りながらも戦っている。
要するに、戦って傷付いた二人なんですよね。
その彼のピンチに花嫁は頑張ります。決して愛らしいわけでも、個人的には応援したいキャラとしては読んでいなかったのですが、二人の行く末にハラハラしたサスペンスでした。
アマゾンでは星3のレビューがありますが、内容はともかく星の数は実は同じなんですよね正直。
でも、こういう楽しみ方もあると思うので。
以上が僕の『落ちた花嫁』紹介でした。