おおたまラジオ

しまいには世の中が真っ赤になった。

摂取したもの2018年2月

2月も引き続き落語ブーム。矢野誠一の文章が気持ち良くて色々漁った。好きな文章のリズムと丁度良い硬さに出逢うと堪らない。

談春の『赤めだか』に対抗した志らくの『雨ン中の、らくだ』は実質〝青めだか〟であるには違いないけども、こちらの方が若々しく赤裸々で志らくと談志の関係性をミクロ的に捉えている。流石兄弟子を抑えて自分が一番家元に可愛がられていたと言い放つ志らくらしさであるが、残念ながら『赤めだか』よりも知名度は低い。『赤めだか』はドラマ化もあったし。北野武二宮和也で。

ただ、2016年くらいからマスメディアに本格進出した志らくは、ワイドショーとネットニュースも含めてテレビを賑わせているのは間違いなく、この良著もまたスポットを浴びるかもしれない。『赤めだか』がこれからの未来の名人としての談春のその先を見据えていていく、つまり師匠からの巣立ちに対して、『雨ン中の、らくだ』は最後まで師匠談志との関係性を描いているからこそカラー分けは大事だ。

殆ど落語関連の書籍なのでサンプルとして少ない限りであるが、『火星の人』は素晴らしかった。これは凄い映画化案件だ!って思ったらマット・デイモン主演『オデッセイ』がこれだった。未見だが、信頼している筋から原作の素晴らしさを実現できていないと聞いてしまったので手が伸びない状況。小説と違って映画化に伴うオタク主人公の視点の置き方と情報量の圧縮のジレンマなんだろうけど。

また、エドワード・ケアリー『肺都』は外せない。ようやく読めた!そして終わってしまった…。

超傑作シリーズの最終巻であり、このような本を読むために私たちは空想世界を手に取るわけだ。

物語とは〝物が語る〟ことを突き詰めたら〝物に語らせよう〟ということで。本作はそれを一心に貫き、読者に投げかけた極上のスパイスたちはドラマのうねりを生み出しては惹きつけてやまなかった。素晴らしい物語、ありがとうエドワード・ケアリー。

 

アンディ・ウィアー『火星の人』

土屋隆夫『沈黙の罠』

矢野誠一志ん生のいる風景』

広瀬和生『噺家のはなし』

飯城勇三本格ミステリ戯作三昧

立川志の輔志の輔旅まくら』

矢野誠一『人生読本 落語版』

志ん朝一門『よってたかって古今亭志ん朝

古今亭志ん生『びんぼう自慢』

立川談四楼『シャレのち曇り』

橘蓮二 立川談四楼『いつも心に立川談志

美濃部美津子『三人噺』

結城昌治志ん生一代 下』

結城昌治志ん生一代 上』

立川志らく『雨ン中の、らくだ』

小林信彦『名人 志ん生、そして志ん朝

ジョナサン・ウィルソン『戦術の教科書』

マーガレット・ミラー『悪意の糸』

立川談志『現代落語論』

エドワード・ケアリー『肺都』

立川談春『赤めだか』

立川志らく『全身落語家読本』

摂取したもの2018年1月

知り合いの読書記録が吹き飛んだと聞いた。恐ろしいことこの上ない。

デジタルだけではなくネット上にログとして保存することにした。これでバックアップは完璧。

とりあえず今年分だけこちらに順々と残していくことに。

雑誌と漫画を除きつつ再読含めた読書記録だが、この冬は『昭和元禄落語心中』のアニメと漫画を消化し終えたばかり。長らく『昭和元禄』の作品鑑賞を放棄していたので反動で集中した際に、作品が持つ業に身体性と精神性を持っていかれた記憶があるから、必然的に何回目かの落語ブームが来た。WOWOWで放送された分も合わせると、一番談志に触れた時間だったかもしれない。あと春風亭一之輔も。

だから落語関係の本が多い。広瀬和生の『噺は生きている』は聴き比べのお供として良著。こういう本って中々無いから。

あとは、オーストラリアに興味が出たのは完全にエディー・ジョーンズが出演した『奇跡のレッスン』の影響。そこからラグビー論ではなく、オーストラリアの教育事情に食指が伸びた。オーストラリアの学校は面白い。ラグビーは未だにルールすら知らない。というか何人でやるのかも…。

個人的な好みでいうと、矢野誠一の文章や多島斗志之『黒百合』の瑞々しさも印象的だった。

 

トム・フランクリン『ねじれた文字、ねじれた路』
立川談志『談志最後の根多帳』
広瀬和生『談志の十八番』
立川談志『最後の大独演会』
橘左近『知れば知るほど面白い古典落語 落語入門』
戸塚美沙『ビジネス法務実践マニュアル』
結城昌治『ゴメスの名はゴメス』
広瀬和生『噺家のはなし』
立川吉笑『現在落語論』
田中敦『落語と歩く』
快楽亭ブラック立川談志の正体』
広瀬和生『「落語家」という生き方』
矢野誠一『ぜんぶ落語の話』
広瀬和生『噺は生きている 名作落語進化論』
桂文珍『新・落語的学問のすすめ
G・R・パビア『スポーツとは何か オーストラリア人の生き方との関係から』
生島淳エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」』

オーストラリアの教育的価値観とスポーツの精神性からみるアイデンティティ - フトボル男

ヘレン・マクロイ『ひとりで歩く女』
佐藤真知子『号令のない学校』
佐藤博志 伊藤義人『オーストラリア教育改革に学ぶ』
学校教育研究所『諸外国の学校教育』
仁木悦子『粘土の犬』
カール・ハイアセン『これ誘拐だよね?』
今野晴貴『ブラックバイト 学生が危ない』

今野晴貴『ブラックバイト 学生が危ない』読書感想 - フトボル男

多島斗志之『黒百合』
ロス・マクドナルド『一瞬の敵』
西垣通『ネットとリアルのあいだ』
吉田夏彦『なぜと問うのはなぜだろう』

せんでん!

podcast-is.seesaa.net

える・ろこさんと行っているおおたまラジオ、ひそかにポッドキャスト化しています。

ポッドキャスト化やリンク先のブログ管理は、える・ろこさんがやっていて、並々ならぬ静かな情熱を感じさせます。

ありがてー。

それを大々的に宣伝しないまま、ひっそりと作業を行うところに悲しい哉、あの人も私と同じ地下生活の匂いが凄まじい。

 

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どうにかラジオを通じて地上に出る喜びを見出したいですね。

こちらもよろしくお願いします。

彼のポッドキャスト愛から、このような形として表れたわけですが、一度どこかで「私とラジオ」みたいなテーマをあのアングララジオでぶつけてみたいです。

 

ブログって - フトボル男

先日のブログ更新記事で、インプットとアウトプットは楽しい話をしました。

実際にブログなどでアウトプットをした分だけ、アウトプットしていない作品よりも深く入ってくるような感覚があります。

やっぱり書いた作品は(そんなに好きじゃないのも含めて)印象的。

記録としても、記憶としても確実に刻まれているので、インプットしたら出来るだけアウトプットしたいと思う一方で、現実的に全部が全部は無理ではないかという話で。

一応メモ程度はいつも書いているけれども、全部書き起こすかどうかは別問題で。

基本的には何でも楽しめたもん勝ち主義(誰に勝つんだよ)で、自分が楽しめなかったものを他の誰かが楽しめていると嫉妬の炎で燃え狂います。

勿論、好き嫌いはありますが。

それとは別に万人にウケるものはないし、万人にウケないものはないと思います。

世に流通しているということは、少なくとも作り手=当事者(更に一部かも)にはウケているわけだから。

それを自分が楽しめなかったって事実は結構試されている気がします。

そう、私は真面目なんです。

で、全部の作品には出会えません。

残念ながら全部の映画を観るだけの時間は人間にはありませんし、書店に並んでいる本を全部読むことも出来ません。

じゃあ、出会えた作品は数限りがあるからこそ出来るだけ愛した方が楽しいでしょって。

どうしても直感直情型の人間なので好き嫌いは激しいですし、相当に振り幅はあるにしても受け止められるだけの懐くらいは見せ付けてやりたいわけです。

そうなると一旦冷却してから全部全部アウトプットをしたいのですが、これが大変。

インプットをするのも体力は必要で、アウトプットも左に同じく。

この辺が加齢に伴ってコンテンツへの付き合い方とその体力的な問題に繋がっていくわけですが。

文章を書く能力や体力は筋トレに例えられることも多いですが、インプットからのアウトプットも同じように筋トレの領域でしょう。

多分、える・ろこさんがフットサル以外に喋りたい内容ってこの辺なのかなと推理。もはや邪推だが。

おおたまラジオ第1回で語って貰った寿命論と重なると思うんですが、差し詰め体力論です。

だって寿命論とか辛気臭いじゃないですか。終わりへ向かっているイメージじゃないですか。

正直、別に飽きてもいいし、終わってもいいと思います。

それに触れなくなったからといって生きていけます。

ただ、体力論って言葉に置き換えていけば続いていくための生存戦略みたいじゃないですか。先がある感じの方が素敵です。

止めるのも続けるのも自由。一旦止めるのも自由。また続けるのも自由。

そんなもん。

そんで私自身は、インプットからのアウトプットをするための体力が厳しい現実とまたしても直面しているわけで、どうにか幸福を獲得するために戦っていくための体力論云々。

筋トレとはいっても、そもそもの距離感問題がありますから一筋縄でいかないでしょう。

あ、ここまで読んだ人へ。結論は出ないですよ。

この辺を第2回で話すビジョンは見えて来たなと整理しつつ、長めの宣伝でした。

クレームは受け付けません。

この記事は徹頭徹尾宣伝ですもの。タイトルは嘘を吐きません。