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幸福の定義に関する中間報告

幸せとは何だろうか。

幸せの定義とは人それぞれだ。

カネで買えると言う人もいれば、カネでは買えないという人もいる。

時代によって価値観や倫理観は違うが、一般論として語るならば、好きな人と一緒になり、子どもと共に成長していけるような人肌の温もりを感じられる家庭を築き、愛や承認が公私ともに充実して満たされている状態。

これも幸せの一つの形であるはずだ。

しかし唯一の正解ではない。あくまでも蓄積されてきた一つの事実であろう。

彼らは、自分の家の四つの壁に取り囲まれ、衣裳箱とベッド、テーブルと椅子、犬や猫や花瓶に囲まれて幸福になれるのである。

ハンナ・アーレント『人間の条件』

家族のプライバシーが求める幸せの形だと追求した結果、外側から隔離された空間を生み出した。外側つまりパブリックな空間に対する参加する自由を削いでいると逆説的にハンナ・アーレントは批判したことがある。

自由とは状態そのものを指すものではなく、行為の態様を示すものであるという前提で、小さな空間に閉じこもっているか、壁を打ち破るかの選択肢自体は自由を指すものであるが。

jp.reuters.com


幸せとは主観的な価値観である。

客観的に、端からみて貧困で充足感が無さそうな人でも、当人からすれば余計なお世話ということもあるだろう。同情するなら金を寄こせ馬鹿野郎。

カネがあるから心が豊かであり、ないから貧しいというわけでもない。

しかし、カネはあればあるほどに困るものでもない。悩みの種は税金くらいだ。

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 とある記事に書かれていたのを引用しよう。

重要なのは、幸福の感じ方や生き方に対する価値観は個人差が大きく、多様性があるという認識だ。

 この手の幸福度指数ランキングが公表されると、日本は大概低い数値を叩き出す。

そして、「先進国のわりには」と紋切り型の文句を並べ、傷に塩を塗り込むくらい。

当人が幸福であればそれでいいものだ。

しかし、どうしても比較と競争は避けられない。それがストレスに繋がっていると分析されているが、それはそれで。

 

 

ここからは無粋な話。

幸せの定義、尺度というのを敢えて大別的に分けるなら、「時間」、「空間」、「資産」になるだろうか。

これらの総称を「環境」と呼称しても差し支えないだろう。

「環境」が整っていれば、幸福は満たされるものだと実感している。

例えば、私は本が好きだ。

本を買うのも読むのもどっちも好きだ。書店で本を大量に購入したとする。購入するためにはお金が勿論必要だ。大量に買ったその本を家に持ち帰っても、収納するための置き場が無いと不便である。本棚だったり、一か所に置いとける場所が欠かせない。本というのは不思議なもので、いくら積んでも困らないもので。それは精神的にはであるが。しかし、確実に空間を蝕むものである。そして、本を読むためには時間が必要だ。本というのは読むものである。積本の山を崩す快感を得るには、本を読まないといけない。積読を断捨離という言葉で切り崩すのは言語道断である。

 

 さて、「環境」を整えるということは、「時間」、「空間」、「資産」なくして成り立たない。

しかし、これから私が提示する幸せの価値、定義は上記とは一味違う。

記事中に持ち出しておきながら幸福度指数のように幸せなるものを敢えて数値化すること自体が野暮ったいものであるが、データとして出されたら人間は気になるものだ。

それを肴に憂うのも悪くないし、ルサンチマンを気取りながら「あれ、ニーチェって誰だっけ?」と酒を飲むのも良いだろう。

ここで、幸福を意図的にバロメータ化するための尺度を示したい。

私は、さきほど大別的にした「時間」、「空間」、「資産」ではなくより厳密な幸せの定義を発見した。

  • 「飲む」、「打つ」、「買う」。

「飲む」

には、飲むための酒が必要だ。酒を買うには金が掛かる。酒を飲む場所も必要だ。まさかテキトーな公園や電柱の陰で飲むのは危険だ。親父狩りを誘っているのも同然だから。俺をボコボコにしてくれと言わんばかりだから。また、酒を一杯引っ掛けるだけなんてそれは寂しいもので、飲まれに飲まれていくのが酒の魅力であり、程よく酔うためには時間もある程度確保することが求められる。ちなみに滅法飲めなくなったので酒が嫌いだ。

「打つ」

には、打つための金が必要だ。また、合法的に打つための場所が必要だ。マカオとかラスベガスとかいずれお台場も。カジノ法案通ったぞ。トランプ大統領ハンパねえ!マカオに行くための金も必要になるだろう。マカオに行くための時間とマカオで観光する時間とマカオで土産屋を素見す時間も大事だ。勿論、ディーラーとの心理的駆け引きや金銭的リスクなどを考慮するための時間もなくてはならないし、大敗けしてずらかる時間、黒スーツの連中から愛撫して貰う時間も空間も必要である。ちなみに賭け事は苦手だが、ドラクエのカジノだと強気だ。

「買う」

には金が必要だ。買うための場所も同様に。そもそも売ってないと買えないから。もろもろ合法的な場所。適切な配当率で。そこに行くまでの時間も必要だ。理解も大事だ。共感は別として。そもそも何を買うかって?女?んなわけないだろ。女性に優しくしろよ馬鹿。俺にも優しくしろよ馬鹿。買うのは現実だ。現実の地続きとしてある確かな夢を獲得するための現実である。それを得る=「買う」には金だ。金。金。金。

宝くじを買う人っているじゃない。あんなの、普通に買ってて当たるわけがないのにさ。それなのになんで買うのかと言えば、「夢を買ってる」って言うんだけど…、その言葉を聞くたびに私なんかは思っちゃうわけだよ――『現実を買え』 阿良々木月火

偽物語(上) (講談社BOX)

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以上のように、「飲む・打つ・買う」は「時間・空間・資産」といった包括的な尺度になる。

まだ仮説の段階であるが、私は今後も研究を重ねていく。

そのためにはフィールドワークが欠かせない。

クロフツ型みたく靴底を擦り減らしてこその現場主義。机から離れたこともない地理学者とは違う。*1

まずは現実的な話として、宝くじを買うところから始めるとする。

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