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可哀相じゃない!

おおたまラジオ第10回 突発的超雑談/谷川ニコ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』喪157感想

政夫:一応第10回と銘打ちましたけど、今回は本来ならば古市さんの『希望難民ご一行様』をもとに読み解いていこうかなという流れだったんですけど、今日はちょっと違うということですよね。

 

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

 

 

ろこ:それ、説明しちゃうの(笑)そうですね。

 

政夫:まだ読み終わっていないんですよね。

 

ろこ:なかなかページが進まないよね。

 

政夫:僕は読み込んで、レジュメ10枚超えましたね(笑)

 

ろこ:マジで欠席…

 

政夫:誤解しないで欲しいのは『希望難民』だけでレジュメ10枚はいっていないです。他の本も読んでいます。

 

ろこ:聞いていない。

 

政夫:言っていないし(笑)

『希望難民』を読んでて、連想していくんですよ。出口治明さんかなんか言っていたんですけど、「読書は筋トレ」みたいな話があって。読書というのは一冊の本では成立していないんですよ。しているようで、していないんですよ。何かしらの思想や主義が体系付けられているんですよね。特に『希望難民』は社会学の本なので、色んな人の名前や著作名がパッチワーク的に出てくるじゃないですか。引用されているというか。参照元が多いんですよね。巻末に参考文献の一覧があるんですけど。

本ってのは、学術的なもの以外でも、小説でも、何かしらの影響を受け、文化史的な流れがあり、文脈があり、一冊の本で完結しているのだけど、とある本を読み解くには量が必要だと。その量が繋がれば、自分の中で体系的に、データベース的にヒモ付けされた場合、繋がるんですよ。ネットワークとして。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

ろこ:それは、政夫君にある程度の土台があるからではないんですか。

 

政夫:それは読んでいないとダメです。『希望難民』を読んでいると、僕は「この本もいけるな」って風にどんどん連想が続くという感じで。今は削る段階ですけど。

 

ろこ:なんか、進んでいるよね。俺が知らないうちに(笑)課題というか義務…。  

                

政夫:僕もろこさんも筋トレの最中ですよ。僕が多めにプロテインを飲んでいるという話で(笑)

そのアウトプットを、来月に時間を取って、これもまた高カロリーというか、ある種のピースボート、希望難民から自分探しが止まらない若者像への救済措置としての話なんですよね。詳しくは話しませんよ。来月やるんで。しかも、ろこさん読んでいないし(笑)

 

ろこ:古市さんの話はするの?

 

政夫:経歴的な話は…ちょっと触れるかな。あの本がデビューなんで。あとがきに書いてあるように修士論文を書籍化したものなんですよ。もちろん、かなり手を加えられているわけなんですけど。文体がユニークじゃないですか。

ただ、ちょっとした薀蓄として「古市憲寿とは」をチラっとしますけど、ただ最近の『平成くん、さようなら』は芥川賞候補になっていましたけど、あの辺の本は読んでいないし。

古市・落合の対談がめっちゃ炎上しましたよね。確か、尊厳死安楽死も)の話だったと思うんですよね。テーマとして倫理的な態度が求められる話題で、アナーキーに映ってしまったというか。ちゃんと対談も読んでいなければ、炎上もどれだけ正確的なものだったのか分からないし、況してや落合陽一が取った態度として、自分でnoteに書いて公開するという。記事で足りなかった部分を、ファクトを重ねていくというかね。雑誌というか本は、一回書き上げて世に出たらオシマイなんですよ。本来。

ただ、日々情報というのは更新していくものですよね。

 

note.mu

ろこ:うん。

 

政夫:小説にしても、朝井リョウがインタビューで言っていたのは書き上げるのに半年くらい掛かる場合、書く段階で抱いていた構想というのは半年前のものなんですよ。半年前のセンスなんですよ。それが、半年後にも、世の中に響くかどうかは相当不安であると言っていて、ある種の時代性を汲み取りながらも、古びない感性というのを書に認めないといけない。

 

ろこ:本ってそこよね。

 

政夫:パッケージ化されている。世に出た時点で、もう終わってしまう。本という媒体が孤独的であるのは、インターネットのようにインタラクションがあるわけではないでじゃないですか。

futbolman.hatenablog.com

ろこ:関係性としてね。

 

政夫:その時点で解決しまっているから。そうなると、紙の媒体という話になりますが、書物というのは自己完結しているから、読者というのは向き合いやすい。ピリオドが打たれているから。商品として、情報として。

だからこそ、孤独に地道に、作者やキャラクターや思想や主張なりに向き合うことが出来る。それが、常に無限に、膨大的に更新が続くとなると話は別じゃないですか。お互いに対話が成り立つ場合は、際限がないというか。常に情報としてアップデートが出来るというメリットの反面、どこでピリオドを打てばいいのか、ラインを引くタイミングの問題を抱えているわけですよね。

 

ろこ:キングコングの西野さんが無料で絵本を公開したよね。その辺の諸問題をスマートにやっている気がするけど。良いもんはお金を払いますよと。

 

えんとつ町のプペル

えんとつ町のプペル

 

 

政夫:届かなければダメだということですよね。無料で配って、読んでオシマイの人もいるけど、これ良いなと買う人もいるんですよ、一定数。そこにリーチさせるための。

 

ろこ:そこは分かってやっていると思うんだよね。

 

政夫:マーケティングとしてね。

 

ろこ:音楽もそんな感じするやん。

 

政夫:そりゃあ、情報というのが、情報の価値としてお金を落とすに足りることなのかは疑問になっていて、特に無形のものですよね。インターネット上で消費できる娯楽、音楽にしてもウェブマンガにしても。手に残らないものの、実在性ですよね。

一時期、マンガ村のブロッキング騒動が話題になって。あの時に突き付けられたのは、出版社の態度だと思うんですよね。このまま出版社が古めかしいままだと、ネット的なものに食い破られてしまう危惧が現実化した瞬間ですよね。ただ、読者の態度も問題になる話なんですけど、インターネット上に転がっている情報は恰もフリーに思えるから。大半は。

 

ろこ:その皺寄せが音楽的にも来ている気がする。

 

政夫:音楽の場合はフェスですよね。インタラクションのあるイベントを押し出すべきだし、マンガはマンガで、ウェブマンガはウェブで読めるからそれでいいやだけじゃなくて、紙の本も買う人もいるし、電子書籍もマンガ村ブロッキング以降、実は売り上げが良くなっているという数字も出ているんですよ。

 

ろこ:本腰を入れたということ?

 

政夫:読者的な…

 

ろこ:そこのリテラシーは上がっていないと思うで。俺が、高校生だったらマンガ村ラッキーって思うよ(笑)

 

政夫:文化というものを保存していくか。お金は切っても切れない関係なので。おおたまラジオ的にも、語らないといけない。語り続けないといけない。

 

ろこ:そうだな。答えは欲しいな。何か(笑)

 

政夫:僕が嫌だなと思うのは、一応今まで色んな作品に触れているわけじゃないですか。ありがちな落としどころとして、「これオススメですよ」で終わるわけなんですけど、キュレーション的なメディアとして働きたくないという気持ちが。

 

ろこ:働きたくない(笑)

 

政夫:これオススメですよと思っているんだけど、確かにあるんだけど、それ以上の気持ちが別の方向で働いているというか。これは語らないとダメでしょという部分があるんですよ。

 

ろこ:俺はどうだろうな…

 

政夫:「良いものだから語りたい」と「これ良いものだから読んでねや観てね」は一緒のようで一緒じゃない。

 

ろこ:え、難しい。

 

政夫:そういう意味で、語りの技術として。

 

ろこ:海外のドラマでメガネを付けたら、その人の信頼度が数値化される社会を描いたドラマがあって。

 

政夫:まさに評価経済的ですね。フォロワー何人とか。

 

ろこ:めっちゃ管理されている社会だから、恐いなと思ったんだよね。無料で色んなものが楽しめている日本社会は、それはそれで幸せな国なのかなとちょっと思うんだけど、でも、古市さんは主張は逆なのかな?って。

 

政夫:若者的な話ですか。

 

ろこ:そうかな。勝手にね。

 

政夫:古市の主張としては、「俺たち金ないけど、休日に仲間とスマブラして楽しければいいよね」みたいな感じですよ。

 

ろこ:そんな感じなの?

 

政夫:あの本の最大の主張は、若者をあきらめさせることなんで。これ、来月やるじゃん(笑)今、やらなくていいじゃん。

 

ろこ:こっちは勝手に想像しているだけだから(笑)

『希望難民』と『平成くん、さよなら』は読みたいよね。ラジオをやってから読みたい。

 

政夫:それはダメじゃないですか。僕らの中でもインタラクティブじゃない。僕がレジュメ10枚ぶつけてオシマイになっちゃうじゃないですか。それだと(笑)

 

ろこ:読んで、立ち向かうみたいな話になっちゃっているけど、政夫君のレジュメ10枚って、俺はそこまで出来ないから。政夫君の思考法とか勉強になるやん。

 

政夫:いやいやいや、一貫しているというか凄い単純なんですよ。

この前、第9.5回であだち充の作品について少し喋っているんですけど。メタフィクショナルの暴力性について話しまして。メタレベルによって、虚構を楽しんでいる僕たちが現実に揺り戻されてしまう暴力性というか(あだち充の懐古趣味と並べて語りました)。

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おおたまラジオも10回もやっていて、自分の考えってあんまり変わっていないんだなって分かる。ずっと同じことを喋っている。実は。

表現というのは一つの暴力なんですよね。ある種、何かしらを規定してしまうんですよ。作品世界に、環境に、キャラクターに依存してしまうように何かしらを区切るんですよね。規定したりすることが一つの自由でもあるんだけど、暴力的でもあると。メタレベルに突き詰めて行けば(目線が昇華しつつ)拡散していくんですよ。虚構と現実みたいな話から、目の前で展開されているストーリーや文章が、以前にフットサルのポエム化の話をしましたけど、目の前に起きている現象に対して言語化することは何かしらが零れ落ちているのではないかという話をしたわけですよ。

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言語化しきれない部分、抽出できない何か、用語として纏められているけど、そこからはみ出ているもの、零れ落ちているものがあるから、身体的な連続性に対して、言葉が追い付いていない感覚。僕らは言葉でしか量れないから言葉に集約するんだけど、それはつまり身体としての連続性をある種の省略が行われるわけですよね。

だから「パラレラ」としても、その準備動作や状況もあるし、ある部分だけを抽出すれば「パラレラ」になる。規定するためのメソッドでもあるんだけど、それが僕のずっとの関心事なんですよね。

 

ろこ:規定したいんだけど、イシュードリブン的な話かもしれんけど、俺が喋ることは全体的にフワっとしているじゃないですか。だから恐いんですよ。

今回、前提として古市さんの本があるじゃないですか。前提が間違っていたら、そもそも話にならない。認知の部分だよね。

 

政夫:そうなんです。僕はずっと認知世界の話をしているんです。おおたまラジオで。認知できる部分とできない部分の話を『我らコンタクティ』にしても、バンクシーの話にしても、作品論にみせかけているわけでもないけど、作品、虚構を通して見る作品の認知世界と現実の僕たちの認知世界のラインというか、どんどん高度化していく感覚に対して、どのように言語で処理すればいいのだろうかと。

だから20世紀的なんですよね。言語的な解決というのが、強い時代だったのが20世紀だったわけで。言語学が顕著ですけど(ソシュール以降の思想)。そこから、21世紀になって、やっぱり人間ってのは自分の目や耳や皮膚で知覚しないとダメなのでは(実在性)というモノですよね。あるいはコト。

その重要性が強くて、モノが溢れすぎている現代で、コト消費が大事になってきているのが2010年代の頭からずっと言われていて。フェス文化や本を売ってオシマイだけじゃなくて、サイン会やイベントのチケットにする役割を充てる。読書会や講演会ですよね。一つ、手元にあるモノを消費して、その先にあるコトに向かう手段になっているのが今風なんですけど。やっぱり、モノの大事さってのが分かる一方で。

 

ろこ:その辺の感覚というのは、抽象的でありながらも本質的なものではないかと勝手にイメージしているんだけど、政夫君の話を聞くうちに普遍的なものに結びついているし、実は大きなものなのではというのは凄くあるから。

 

政夫:多分、ろこさんがリーチしようとしている話はめちゃめちゃ大きな話で、それはやっぱり人間、考え事をしていてある程度行くと大体他の人も考えているとなるんですよ。昔の哲学や思想などで、自分の問題設定が図られているみたいな。それを現代の状況に照らし合わせて再帰的させるという話になるんですけど。

だから、自分の抽象的な概念へのリーチの困難さは、なぜ抽象的なのかを考えるべきで、何が分からないんだ何が足りないんだって話になるわけですよ。そこで、筋トレの話ですよね。

 

ろこ:俺はね…

 

政夫:やっぱり『日本代表とMr.Children』を一度やるべきなんですよ。

 

日本代表とMr.Children

日本代表とMr.Children

 

 

ろこ:それは批評の話になるからさ…

 

政夫:僕が今喋っている話は全部批評の話ですよ。ずっと。どうやって語りを得るのかとして、そういう技術として批評なるものが必要だという話をしているんですよ。

 

ろこ:え、令和の時代に、これ。

 

政夫:語り続けるんだったら、語り続ける技術が必要なんですよってことです。

 

ろこ:それはそうやな。政夫君は筋トレじゃないですか。ちょっとポジティブに聞こえるんだけど。

 

政夫:(笑)

 

ろこ:俺はポジティブに捉えられないというか地獄みたいな感覚(笑)自分が空っぽだから、自分で取りにいかないといけないから。

 

政夫:それが、とてもポッドキャスト的ですよね。僕は、ハトトカ最終回を聴いて愕然としましたよ。あの中村慎太郎さんが、ポッドキャストは数字が出ないと。

 

hatotoca.com

ろこ:そんなことを言っていたんですか。

 

政夫:それと反応がないと。前に、ろこさんとポッドキャストの話をした時に、ろこさん自身の態度が受動的だったわけですよね。それに対して、僕が「クール気取っているんですか」と煽ったわけですよ(笑)

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ろこ:(笑)

 

政夫:今の時代で、クールなんですか?と。でも、ハトトカでもそういう状況(数字として)ということなんですよね。それは幸せになれないですよね。バズれば僕たちは幸せになれるのかというと、それも幸せになれないと思うんですけど。例えば、100万DLされましたとか。嬉しいですか?って(笑)

 

ろこ:そうだよね。今のYoutuberはそこを表明するじゃん。俺は自覚的でありたいから。

 

政夫:数の話は付いて回るわけなんですけど、やっている間はずっと。

 

ろこ:そこの競争の中に、突き抜けると楽なんだよね、多分。落合陽一もそうだと思うけど…この話、何回かやったな。

 

政夫:僕は、ハトトカはそこを突き抜けていると思っていたんですよ。

 

ろこ:俺も思っていた。

 

政夫:ただ突き抜けていないんですよ。

 

ろこ:コラボとかしてビジネスに乗っけている気がしたけど。

 

政夫:それでも反応が無くてという話をしていて。ポッドキャストは前向きなメディアではないと。中村さん自身はYoutubeで配信している状況なんですけど。

 

ろこ:Youtuberになっちゃったわけね。

 

政夫:我々と一緒で。

 

ろこ:俺は違うけどな(笑)俺はポッドキャスターよ。

 

政夫:何か変えたいですよね。態度的なものを。

 

ろこ:そこ、何かあるの?

 

政夫:中村さんが言っていたのは、ポッドキャストなんて人生で1、2回くらいしか自分からリーチしにいかないでしょみたいな話をされていて。どうですか、これは。

 

ろこ:俺は…違うかな。俺は寿命的な話として、続けていくこと、寿命を延ばすことで得るものがあると。ちょっと逆行しているかもしれないけど、好きなことを…

 

政夫:「好きなことで生きていく」ということですか。

 

ろこ:違う(笑)現実は違うのだけど、やっていて価値が生まれるものって何かあると思うんですよね。別に面白くなくても。なんか、ポッドキャスト論みたいになりそうだけど。

 

政夫:ポッドキャストというメディアの性質上、そういうのが見込めないよ、がハトトカの結論だったと思うんですけど。

 

ろこ:それは、ハトトカが突き抜けていて環境的になんでポッドキャストをやっているの?って突き付けられたと思うんですよね。ハトトカは明確なアンサーが無かった。俺はそれでいいと思うんだけどな。ポッドキャストは。

 

政夫:そういう撤退戦をすればいいという話ですか。

 

ろこ:生存戦略的な。

 

政夫:諦めたいけど諦めたくないという消耗戦をするってことですか。その果てに、地平が拓けるという期待ですか。希望難民ですよ。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:戦略性のない希望難民ですよ。

 

ろこ:繋がっている。

 

政夫:この話は来月にやるので。

 

ろこ:俺はレジュメ10枚に向き合いたくない。別にやる理由も明確化しなくてもいいのではって。

 

政夫:あー。内在性も何回かしていますけど、「好きだから」だけじゃキツイ感じもあると思いますけどね。

 

ろこ:だから、政夫君が言っていた話せる技術は選択肢としてあった方がいい。

 

政夫:最近読んだマンガの話をしてもいいですか。

 

ろこ:今日は何でもいいよ。

 

政夫:ガンガンオンラインで連載している『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』という、とても濃いタイトルのマンガの話なんですけど。

 

 

www.ganganonline.com

ろこ:凄い。

 

政夫:知っていますか?

 

ろこ:知らない。

 

政夫:これ、アニメにもなっていて、とある一部の界隈でとても熱狂的な支持を受けているマンガなんですよ。通称『わたモテ』というマンガで、タイトル通りなんですが、主人公のもこっち(黒木智子)というキャラクターがいまして。喪女なんですよ。モテない女性を指すネットスラングですね。由来は2ちゃんねる的な話なんですけど、掻い摘んで話すと、もこっちというのは高校デビューに失敗してずっとボッチだったわけですよね。

ただ、2年生の修学旅行辺りからもこっちと絡む人間が増えていき、それまではずっとボッチだったんですよ。ボッチ特有の自意識の空回りがコミカルに描かれているのが『わたモテ』の特徴だったんですけど、修学旅行編を経てもこっちは3年生になっているんですが、ハーレム状態なんですよね。

 

ろこ:なにがあったんだ。

 

政夫:周りは女の子だけなんですよ。同性の友達がたくさんいる状態なんです。

 

ろこ:女の子にモテる女子になったということか。

 

政夫:それもスポーツが得意でボーイッシュで同性人気がある感じとかそうでもなくて、なんか、アイツちょっと気になるよな状態なんですよね。

クラスで関わらないけど、気になるアイツみたいのっているじゃないですか。

 

ろこ:基本的に明るい子がモテるのってあるじゃん。

 

政夫:もこっちは明るくないです。

 

ろこ:その子がモテているという話なんでしょ。

 

政夫:同性にモテると。面白いのは、もこっち自身は基本的には何も変わっていないんですよ。

 

ろこ:関係性が変わったということか。

 

政夫:もこっち自身は相当クズなんですけど、関係性が変わったんですよ。なぜ変わったかというと、クラスというのは基本的には動かない(1年間固定)。ただ、修学旅行というイベントの中で、よりミクロ的にグループが決まった時に、嫌でも誰かと関わらないといけない状態になってしまう。無理矢理な関係性が生じて、ゆるやかな繋がりが発生して、そこから連鎖的にみたいな。それが3年生になって、もこっちの周りに女の子がたくさんいるんですよ。

 

ろこ:なんやねん(笑)

 

政夫:これが大事な点があって、ボッチを描いているマンガだったのに、今はハーレム状態であると。つまり、他者性というのがどうしても必要になるんですよ。

『わたモテ』自体はボッチを否定的にも肯定的にも描いているというマンガではないんですが、ボッチの痛い自意識をあからさまに描いているマンガで。ある意味、反面教師的に取れるんだけど、それがブラックジョーク的に面白く、もこっちは基本的に変わっていないんだけど、環境があれば人間関係も変わっていくという当たり前のルールに、あの、もこっちでさえも取り込まれてしまうという話なんですよ。

当たり前なんだけど、人間って他者性が必要なんですよ。もこっちは友だちイラネーとか思っているわけではないんですけど、別に。結局、ボッチというのは友だち的なもので解消されてしまう。これで、もこっちの立ち位置が分かって貰えたと思うんですけど。

futbolman.hatenablog.com

ろこ:分かった。

 

政夫:最新話ですね。これが衝撃的だったんですけど、前回のラストで不良の吉田さんとバイクのニケツをして通報を食らって謹慎処分を受けるというオチだったんですよ。あの、もこっちがバイクに乗って誰かと帰る。凄い青春してんじゃん(笑)みたいな。1年生の時のもこっちでは到底考えられない状況なんですよ。

 

ろこ:うん。

 

政夫:それで謹慎処分を受けて、最新話は初めてもこっちが本編に出てこない話だったんですよ。つまり『わたモテ』という作品世界で、もこっちという中心がいないまま描かれた世界の話になっているわけですね。

 

ろこ:うん。

 

政夫:これ、完全に『桐島、部活やめるってよ』の話ですよ。

 

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 

 

中心の不在ですよ。

正確にいえば桐島はスクールカースト最上位の子ですよね。いきなりそいつが部活をやめたらしいぜという話になり、その周辺のカーストの崩壊と変動するのが『桐島』の群像劇ですよ。

ただ『わたモテ』の中心の不在というのは、もこっちというスクールカースト最底辺の子がいつのまにか中心になっている。クラスの中で外部的だったもこっちが、中心にシフトしていっているんですよ。それが謹慎を受けて不在になった瞬間に、もこっちを中心に描かれていた人間関係を同時並行的に群像劇として描いているのが最新話なんですよね。この、もこっちが居ないのに、不在の中、彼女たちを描くことがどういう意味を持つのかというと。

 

ろこ:それは宏樹的なポジションの子がいるということなのか。

 

政夫:そういう話ではないんです。スクールカースト的な話です。

 

ろこ:もっとカースト寄りの話か。

 

政夫:カースト最下位のもこっちがいつのまにか中心になっていた。その中心の不在の波紋を描いているわけですね。中心がいなくても各自で独立して成り立つわけなんですけど、全ページにもこっちは描かれていないんだけど、読者は(キャラも)もこっちの影を探してしまう構成になっているんですよ(笑)

居ないんだけど、今までの作品の中で、もこっちの存在感が際立つようになっている。

 

ろこ:なるほど。『桐島』みたい。

 

政夫:『桐島』だったり『藪の中』でも、中心の不在を描いた群像劇の中での化学反応というか。

『わたモテ』というマンガは長期連載で、単行本でいえば15巻くらい出ているんですけど、ハーレム状態になったのは8巻以降の展開で、つまり1~7巻はもこっちの痛い自意識に付き合わないといけないわけですよ。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:そこまで付き合っていたら、もこっちというキャラクターが好きだと思うでしょ。僕はそんなに好きではなくて。今の『わたモテ』人気は8巻以降のハーレム状態における女性キャラクターの参入が、関係性消費として盛り上がっているわけですよ。キャラ的な文脈で。それは別にもこっちを中心にしなくても盛り上がっているわけですよ(しかし、多くの二次創作ではもこっちというキャラクターとの関係性の文脈と切り離したものではないので、やはり厳密に直接的に描かれていなくても、間接的にキャラクターのベースとして存在することを意味するのが特徴的である)。

なんだけど、最新話で初めてもこっちが出ない『わたモテ』を読むと、俺たちは黒木智子が好きだったんだなと自覚せざるを得ないんですよ(笑)

 

ろこ:(笑)

 

政夫:という感じですかね。

 

ろこ:ヤラレタと思ったわけね。

 

政夫:はい。謹慎処分として、そういう可能性はあったわけですけど。確かサブタイが「モテないし謹慎するってよ」なんで完全に『桐島』オマージュなんですよ。

 

ろこ:なるほどね。

 

政夫:『桐島』といっても、ろこさんの好きな『桐島』の文脈ではないですね。『桐島』の作品の前提としてあるスクールカーストと桐島という中心がスッポリ抜けた後の余波みたいな最初の部分を描いてる感じです。

 

ろこ:面白そう。

 

政夫:面白いですけど、別にこれを読んでくれと言っているわけじゃないですよ。キュレーションになりたくないから。

 

ろこ:(笑)

 

政夫:面白いし、『桐島』的でもあり…『桐島』で面白いのはトップカーストだった桐島というのは何者だったのかという話として。

 

ろこ:そっち?

 

政夫:いや、作品で描かれていないからこそ、語るという意味で。

 

ろこ:あーなるほどね。

 

政夫:『わたモテ』はもこっちというキャラクターが存分に描かれているわけですよね。そのキャラが、スクールカースト最下位だったもこっちが居ないことで、物語が展開してしまったという今の状況が面白いんですよ(成立してしまうことのプロセスとして)。

ただ、カーストという概念を超えて色んな人たちと関わりを持ってしまったもこっちとその周辺の関係性が物語として構築されているので、これは語らないといけないなと思って喋りましたけど。

 

ろこ:(笑)

 ※この記事は5月に配信した音源を一部文字起こししたものです

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