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歌野晶午『密室殺人ゲーム王手飛車取り』読書感想

 

密室殺人ゲーム王手飛車取り (講談社文庫)

密室殺人ゲーム王手飛車取り (講談社文庫)

 

本格推理小説は、殺人を主に扱う。それが故に、人間の死を玩具のように、トリックのためのパズルのピースのように描かれることが多い。そこに関しては、数々の議論が交わされてきた。話が逸れるためにこの場では控えることにするが。
本書は、そのような議題をまるで蹴り飛ばすかのようなある意味痛快な作品となっている。

推理ゲームである。出題者が殺人を行って、それを回答者たちがあれこれ推理する。まさにゲーム感覚で、殺人は行われていく。参加者たちは、殺人をゲームの名目のために、自身が考案したオリジナルティのあるトリックのために、躊躇いもなく生贄に捧げる姿が描かれている。

登場人物たちにとって殺人が主題ではない。殺人者改め出題者にとっては、殺人に関するトリックの披露がメインであるのだ。それをもって、他の回答者たちの頭脳を屈服させることで承認欲求を満たすかのような狂気の姿が一貫して在る。
殺人における『動機』は推理ゲームであるから、殺人という行為に付き纏う動機を一切排除している。

また、本格推理小説のみならず広義のミステリ全般に当然のように入って来る要素として『犯人当て』がある。

本書では、出題者が殺人者であるために、その要素も予め排除されている。純粋にトリックへの謎解きのみがファーカスされている仕組みは、ミステリとして斬新といっていいだろう。トリックのために人間を筆で殺してきた数多の推理作家からすれば、都合のいい、良く出来た舞台と言っても差し支えないはずだ。
人間が書けていないと度々批判されてきた本格推理小説。その論調にある意味倣ったのか。最初から人間を書くことを外して、真面目に推理ゲームに興じているのは本書くらいだろう。作者の遊び心そのものでもあり、その推理作家としての矜持についつい頬が緩むものであるが、苦手な人はとことん嫌悪感が纏わりつくはずだ。言わずもがな倫理的に問題作である。そこを切り替えられるか。乗り越えられるか。そこの壁が高いこともあるだろう。
骨の髄まで推理パズルに興じたければ、これほど相応しい本はないかもしれない。

論理的思考で、非日常的な彼らの遊びに付き合うのも悪くない。ゲームには、ゲーム感覚で臨むのがあるべき姿である。
しかし、心に残る余韻。この形は光明といっていいかもしれない。
徹底的に倫理と人間を排除した作品を読んで気付くこともある。
どんなに仕掛けが優れていても、人間が居なければ物語は成立しない。
人間の感情なくして物語の魅力は引き立たない。
そういった当然のファクターを認識させてくれるのが、こういう本というのは何たる皮肉なのだろうか。

まるで殺人を扱うエンタメ作品への一石を投じるかのように、その石は深く沈んでいくことだろう。論理的に間違ってなくても、倫理的に問題のある本書だからこそ意味のある問い掛けなのかもしれない。

こういうのを反面教師と言うのだろうか。